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街函


鋭い歯の緑が重なり
あいまから鋼色の茎が直立する
枯れた井戸の底
光が降り注ぐかぎり花は繰り返され
光の中で水になる
そのままで 菫



冬の陽


 天気予報では高気圧が紀伊半島の南をゆっくりと移動していく、と言っていた。節分の前といえば一年で一番寒い頃なのに、春の気圧配置である。おかしな日ではあったのだ。
 北向きの、二階の硝子窓に光が注ぎ込むようにと、北の庭に楠を植えて十年が過ぎた。ある程度成長した大きな苗を植えたので、高さが二階を超えていくのは早かった。
 思い描いていたとおり、楠の常緑の葉は「鏡」の役割を果たし、冬は南側の軌道をゆく太陽からの光線を反射して室内をほんのりと明るくしていた。
 東向きの、一階の硝子窓には昼まで光が注ぎ込む。冬の光をたくさん取り入れようと、秋には窓の前に立つ枇杷の木を深く剪定した。高さは二階の窓の下くらい。
 少し残した枝の花には鳥が蜜を吸いにやってくる。
 二階の北の部屋には、たたんだ蒲団をインド綿の麻の布でくるんだ 犬のためのベッドがある。「鏡」からの光が当たる位置に。

 高気圧が紀伊半島の南を通過していく。光を吸って、犬のベッドがいつになく温もっていた。けれどもこのベッドに犬はもう上がらない。老いた犬はこの高さを自分で飛び乗れなくなったのだ。なので夜になるとここに載せてあげる。横のベッドで私が眠る。


 一階、居間の東側窓の下には新たに購入した犬のベッドがある。ふかふかした布地のボックス型で、一部出入りを容易にするための凹みがあり、犬は昼のあいだ、たいていここにいる。
 光を浴びる犬には影がみえない。光のプールに寝ているようだ。時折脚がひくっ、と動き、なにやら寝言のような呟きをらすのだけれども、微かな「うぐぐ」がなにを意味するのか、こちらがわかるはずもない。

 夢を見ている。家族はみな、そういう。
 他の季節とは別の、光の恩寵なのだろうか。
 太陽が東の窓から離れたので犬と散歩に出かけた。
 公園に行くと、砂の広場が光を白く反射していて目が痛いほどだった。

四角い広場のそれぞれの辺にベンチがあって、それぞれに一人ずつ坐っていた。
 一人のおばさんは豆本のような小さな本を読んでいる。一人の会社員はお茶のボトルをじっと眺めている。一人のガードマンはお弁当を見つめている。一人の女子学生はケータイをのぞき込んでいる。
 私は犬とゆっくりと彼らの後ろをまわりながら、白砂がまるで発光しているような様子を見つめていた。四人のうなじも輝き始め、反射光が広場外のヒマラヤスギの巨木にあたって揺れていた。たぶん私と犬も光を蓄えていたのだろうとおもう。

 午後一時近くになり、会社員とガードマンが立ち上がった。おばさんと女子学生が顔を上げ、私と犬が公園左回りの半分が過ぎた時、何か光の塊がふわりと動いた気がして、思わず目をつむった。
 次の瞬間、ヒマラヤスギの太い枝が折れて落ちた。折れる音はなく、枝が地面に落ちる轟音だけが響いた。

 枝の向こうで、影が蒸発していくのがみえた。その先の塀の横に車を止めて昼寝をしていた営業マンの顔に白い光が集まりだした。さらにその向こう、黒い板塀のある家の北側の窓に光が流れ込んでいくのがみえた。
 窓の中が一瞬で見えなくなった。
 窓の下の寒さに縮れたゼラニウムの葉にも光がいっぱいに注ぎ込んでいくのだった。 (冬が消えた?)。


 おばさんは豆本を読み続け、女子学生はケータイに親指を這わせ始めた。ガードマンは東階段、会社員は北階段から去っていく。
 私と犬はもうすぐ砂の広場を一周する。
 冬の陽が、再びゆっくりと積もり始めた。砂に、肩に、うなじに、顔に、樹に。
                                                               (了)



 

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