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葉子、と。

トタンの壁、金木犀の壁


 十月の町。
 夏の間に伸び放題だった垣根や庭木の剪定に、庭師が忙しい。と、いってもここ数年の間に、剪定する庭師の姿を町内で一年中みるようになった。「剪定の時期」というのはそれほど厳密ではないらしいのね、植栽の種類で違うのよきっと、などと主婦たちが庭師の姿を見かけると話をしている。
 葉子は街を歩いていて、それらの木々がかなり厳しい剪定を施されているように感じていた。

 例えば三軒隣の二階まで届いているソテツはてっぺんの緑の新芽一つを残して全部葉を落とされたし、その隣の老夫婦宅では、玄関横の芙蓉が花盛りだというのに根元数センチで全部刈られてしまい、おばあさんが青い顔をして立ち尽くしていた。
 芙蓉は春になればまた旺盛に枝を伸ばしはじめ、そして大きな葉を繁らせ、薄い和紙のような白い花を咲かせるのだろうし、剪定の四日後にはてっぺんの新芽が扇子のようにひろがったソテツも、その棕櫚に覆われた幹に沢山の葉を繁らせるのだろう。そうわかっていても「なんだかさみしいねえ」という人がいる。かと思えば「やれやれさっぱりしたねえ」という人もいて、そんな人たちが剪定された木の前で立ち止まっては、「ほんまにねえ」とお互いの意見を認め合っている。
 そんな十月の町。

 十月はまた金木犀の咲く時だった。
 ご近所よりも早く剪定を済ませていた日本画の大御所で、近所の人たちから「センセイ」といわれている人の邸には、南側の白壁の上にさらに高さ5、6メートルの金木犀の「壁」があった。(「センセイ」の邸は路地の北の突き当たりから東へ数メートルいったところにある。)そして路地の南端からさらに南へいったところには、いつでも法然上人がらみのポスターが貼られているお寺があって、その山門の横には土塀を越えて高さ3メートルの金木犀が球状に刈り込まれていた。その裏隣には庭師の手を入れずに伸び放題の金木犀のある家があり、一方、「センセイ」の邸から西へ三軒いった家にも幅5メートルほどの金木犀の垣根があった。
 今それらがすべて満開になっている。町中が金木犀の香りにうずもれていた。中でも「センセイ」邸の金木犀の「壁」は上から香が流れ落ちてくるようで、多くの人が思わず立ち止まるほどだった。

 葉子と亨の住んでいる町はこのような香が至るところにある。カソリック系の高校には長さ100メートルはあるクチナシの垣根があるし、山に近い大学にも延々と続く沈丁花の垣根がある。少し広い通りの路肩には季節になるとオシロイバナがいっぱいに咲いた。そして金木犀である。


 またこの街は「画家の街」でもあった。葉子が知っているだけで「センセイ」を含めて三人の日本画の大御所の家があったし、若手画家のアトリエも数多くあった。

 画家を引きつける何かかがあるのかも知れないけれど、若手が集まる最大の理由は家賃の安さのようだった。
 市民の高齢化がすすむとともに、この町でも古い空き家が増えた。その多くは路地にある手狭で傷んだ家である。リフォームするにも解体するのにも、結構お金がかかるものだからそのままに置かれていたのだ。そこを若い画家が家賃の安さからアトリエとして借りているのだった。葉子たちの住む町内にもアトリエを構えている女性がいた。

 「センセイ」の邸から南へ行くとオシロイバナの通りにでる。そこから細い路地が南へ伸び、路地に沿って四軒の家が並んでいた。家はすべて傾いでいたし、瓦が欠けた家もあったけれど、どの家でも生活が営まれていた。それがある日突然、一斉に引っ越しが始まり、次の日には家が解体された。そして次の日にはもう駐車場として地面はならされはじめたのだった。ただ一軒の家を除いて。それが彼女のアトリエだった。

 前三軒がなくなったので今まで隠れていた一番奥の家が顕わになった。平屋で築四十年以上の木造の家である。彼女は頑としてそこからの立ち退きを拒否したのだった。大家と彼女との間でどんな話し合いがあったのかわからないけれど、彼女は立ち退きをまぬがれた。ただし駐車場を縦断しないと玄関に辿り着けなくなってしまったのだけれども。
 このことをきっかけに路地の人たちはみな彼女のことを知ったのだった。
 背の低い痩身の三十代の女性で、いつも胸をはっている印象があった。長い髪をなびかせてミニサイクルでアトリエに通っていた。

 その家は目立った。建っている場所もそうなのだけれど、鏡のように舗装された駐車場と対照的に、その継ぎ接ぎだらけの壁のためにさらに目立った。玄関以外、壁のすべてにトタンが貼られていたのだ。
 だけどよく見ると傾いだままの屋根ではあるけれど瓦は新しくなっているし、玄関の引き戸も建具屋さんが新しいのをいれているのを亨が見かけていた。メンテナンスは施されているのである。
 
 葉子と亨は、駐車場の向こうにこの家が現れたとき、少し話題にしたことがある。ほかにも細かな修理がしてあるのを亨がみつけていたからだ。

「あのトタンの壁の上にも窓があったんやと思うよ」
「わかるの」
「足場板が二枚、壁に直接打ち付けてあるんや」
「足場板って?」


「工事現場で建物の回りに組まれる足場の…。ほら鳶の人が組んでる細長い板。普通、ほとんどアルミやけど、簡単な現場なら今でも木の板なんや」
「ふーん。だけどあの家って元々土壁でしょ。ひび割れているんかも。そやけど板で塞ぐなんて大胆というか…なんか凄いね」
「まあなんにしても外の光が入らないように徹底しているんとちゃうかなあ。トタンとトタンの間も目張りがしてあるし」
「そういえばセンセイの家も雨戸が開いたの見たことないね」
「画描きは日光が嫌いなんかな?」
「画材が日に灼けるからとちがう?それに日射しによって色が違ってみえるとか」
「うーん、どやろ。そういえば、うちの親父は日のあたらない部屋にしか本を置かへんかったなあ」
「ひょっとしたら音とちがう?」
「音を遮断?」
「そう。だって二つの家とも、裏はわからへんやん。『トタン』の裏は竹藪やし、『センセイ』の裏はお寺やから裏は静かでしょ、ね。だから表からの音をシャットアウトして制作に励むという…」
「ああそれもあるかも」

 ある夜、仕事が遅くなった亨は、帰り道で「トタンの壁」の家の玄関外に灯りがついているのに気がついた。玄関の横にはミニサイクルが駐めてある。亨は制作が始まったんだな、と思った。
 玄関上の灯りは裸電球だった。そしてミニサイクルの横に床机が出され、そこに座った男女の姿が照らされていた。長い髪の女性と、細い肩に丸い頭の男性。
 …センセイ?…
 亨は直感した。通りで何度か見かけた姿に間違いない。
 手には缶が握られていて、二人の影がゆうらゆうらと揺れていた。何を話しているかはわからないけれど笑い声が聞こえてきた。その日はまるで夏の飛び地のように暑い日だったので、亨には夕涼みのようにも思えた。手に握られているのはたぶんビールだろう。

 次の日は快晴だった。午前中に買い物に出た葉子は金木犀の「壁」の下で木を見上げている「トタン壁の家の画家」に出くわした。彼女は大きな画帳を抱えている。
「こんにちは」画家が葉子に声をかけた。
「あ、こんにちは。ねえ凄い金木犀ですねえ」
「ほんまに。満開ですね。思わず見とれてました」
「スケッチですか」
「そうです。こんな天気のいい日には外に出ないと」
…お日さんが嫌いなことあれへんやん…
「ほんまにねえ」
 葉子はそのまま歩いて金木犀の切れたところから邸のほうを見た。相変わらず雨戸は閉まったままである。振り返ると彼女は顔を上げたまま目を閉じていた。香を全身に浴びているようにみえた。


 次の瞬間、彼女は「金木犀の壁」から角を廻って姿を消した。その先は行き止まりで「センセイ」の家の裏木戸だけがある。
 葉子はゆっくりと歩いていった。駐車場がみえて、トタンの壁がみえた。
 前の晩、亨が言っていた床机は片づけられていて、ベージュのミニサイクルがぽつんと駐めてあった。
 …なんだかいいな… 
 葉子は微笑んだ。
                          (了)

石榴の樹の下で

 一昨日あたりから街中の金木犀がいっせいに散り始めた。おまけに二日続いた雨が木を洗い、路肩は金色の小さな花で埋まっていた。それでもしぶとく枝に残っていた花が、今朝は噴き出すように落ちてくる。なんだろう、と目を凝らしていると、枝の中で雀が遊んでいた。繰り返し繰り返し潜り込んでは飛び出してくる。そのたびに花びらが舞い上がり散っていくのだった。

 また今朝は蜘蛛の糸が光を浴びて空中を飛んでいた。軒先だとか垣根の近くではなくて道のまん中をふわあっと流れていくのだ。
 いったいどこからどこへ行くのだろう、と目で追うのだけれど、雲ひとつない青空を背景にすると、それはすぐに透明になってしまい行き先がわからない。
 そろそろ蜘蛛の子が飛んでいく季節かな、と葉子に聴くと、「まだ早いんとちがう」という。東北地方で「雪迎え」というこの現象は、晩秋の京都でもみることができる。でもそういわれてみればまだ十月だ。「せっかちな子もいるんや」とぼくが言うと、「そういえば誰かの小説にあったよね」と葉子が言う。ふたりでさっきから名前を挙げながら歩いている。
 なかなかわからない。

 ぼくの肩にはアルミの5メートルまで伸びる梯子が載っている。これから葉子と近所の石榴の木までいって、収穫の手伝いをするのだ。石榴の木は「トタン壁」の画家の家の裏手、20メートルほどのところにある。四軒の家が二軒ずつ向かいあって建っていて、それぞれの前には軽自動車一台分の幅の地道がある。そしてさらに道幅の倍はあるスペースがその間にあって、石榴の木はその一番端に立っていた。
 ぼくは店の車で前を何度も通っているので木の存在はよく知っていた。毎年沢山の実がなり、ほとんどが地面に落ちて壊れるか、鳥に食べられてしまっていた。

 最近、たまたま四軒のうちの西南端の家から大型液晶テレビの注文があった。
 取り付けをしながら、世間話ついでに「何故、石榴を収穫されへんのです」と奥さんに聴いてみた。今年もすでにたくさんの実がついていたからだ。すると、「ほんとにもったいないですねえ」という。「そやけど長い脚立を近所の誰も持ってへんし、高枝切り鋏もありまへんねん」と。それなら手伝いましょう、ということになったのだった。


 店から大きな脚立を借りた。葉子は、今日はお休みやのに、と不満げだったのだけれど、手伝う、と言ってついてきた。葉子は大宅さんから借りた高枝切り鋏と竹籠を持っている。竹籠の中には軍手と剪定鋏が入っていた。

 石榴の木の前に着いた。それにしても不思議な形状の土地だと思う。何故この四軒の家の間がこんなに不自然に開いているのだろう。四軒の南側は道路、北へは東側も西側も家が続き、この不自然な広がりを塞ぐように家が建っていて、普通車一台がやっと通れる道がその脇を北へ抜けていた。つまりここだけロータリーか広場のようになっているのだ。

 その「広場」のシンボルのような石榴の木は手入れもされずに伸び放題。その背後には四軒ぞぞれの家庭菜園がある。一つには立派な秋茄子ができていた。もう一つはダリアばかり。その向かいの区画はトマトの枯れ枝が積まれていた。そしてその隣はススキと牡丹の木が植えられていた。そして菜園全体は一段高く盛り土になっていた。

 葉子が大きな石榴の木をみあげている。ぼくは南端の吉田さんの家をノックした。吉田さんはすぐに出てきて「ご近所、よんできます」、と一軒一軒回り始めた。のんびり、というよりもスローモーションのように四軒の家から、ぱらぱらと人が出てきた。皆、老人である。皆、背が低く、皆、微笑んでいた。お爺さんが三人、おばあさんが二人である。

「さあ獲りましょうか」と葉子が声をかけると、まるで巨木に向かう子共のように、ゆっくりと老人たちが木にとりついた。ひとりのお爺さんが背伸びをして手の届くところの石榴をとろうとした。背伸びした瞬間履いていた草履が脱げた。はは。静かな笑い声。枝から落ちて途中に引っ掛かっている実をとるおばあさんもいる。曲がった腰のまま樹の回りに落ちた実を拾うおばあさんも。…それやったら掃除やんか…。

 ぼくは脚立に上り剪定鋏で手の届く範囲の実をとっていった。実はてらてらと深紅に輝いている。葉子は高枝切り鋏で慎重に一つずつ獲っていた。その横でひとりのお婆さんが微笑みながら指図してる。口がゆっくり動いているのだけれど何を言っているのかわからない。葉子が頷きながら鋏を移動させている。樹が囁くような声に包まれて、ここだけ空気が柔らかくなったように感じる。日射しも暖かだ。
 脚立を移動させて木の横に廻ると、お爺さんがひとり脚立に上った。転落しないように下につく。ゆっくりゆっくりと二、三個の実をとると降りてきた。にこにこ笑っている。
 大きな木といっても、よってたかって実をとるとそんなに取り終えるまで時間はかからない。気がつくと実を捜して獲っているのはぼくと葉子だけで、他の老人たちはゆるゆると床机を出し、お茶の用意を始めていた。

 脚立の上から空き地のほうを見ると、菜園がきれいな長方形でできているのがわかった。そして草の覆っていない端のほうにまっすぐに続く低い柵のようなコンクリートがみえた。
 瞬間、昔ここに家が建っていたんだ、と直観した。


 …あれは基礎のコンクリートだ…。だとすれば、菜園の部分だけが盛り土のようになっているのも当然に思われてくる。道と地続きになっているこの石榴の木のところは庭か玄関の横だったんだろう。手を止めて架空の家の姿を菜園の上に想像してみた。
 下の植えているものを区切っているところも壁の基礎コンクリートだとすると細長い町家の姿が浮かんできた。
「亨さん」下から葉子の声がした。
「だいたい獲ってしもたね。降りてくる?」
「電器屋はん、お茶にしまひょ」吉田さんから声がかかった。

「若い人がいるとあっというまや」と、お爺さんが言う。
「鳥に少し残しといたったら良かったかなあ」というお婆さんも。
「たしか木の上の方にはまだ少し残ってますよ」
「いやあ優しいんやねえ」
「吉田はん。このお茶おいしおすなあ。宇治でっか」
「静岡のんどす。静岡のが私、好きでんねん」
「へええ」「へえええ」「ほああ」

「葉子さん、ここは家が建ってたんやと思う」と、ぼくは葉子にいった。
「え、なんでわかったん」
「上から見てたら、建物の基礎がみえたんや。ここに縦に家をいれたらすんなりおさまるやろ」
「ああそういえばそやね。路地に挟まれて家が並んでいる形になる」

「あのう」葉子が吉田さんにたずねた。
「はいなんでっしゃろ」
「ここには昔、家が建っていたんですか」 

 床机に並んでいた小さな老人たちが静かになった。
「ええそうですけど」吉田さんは微笑んでこたえた。
 お爺さんたちは、皆俯いた。
 お婆さんのひとりが眩しそうに目を細めて肯いている。
「遠いところに旅立たはったんです」
「もうずいぶん昔の話でっさかい…。住んではった人が亡くなって、長い間家が放ってあって、しまいに荒れ果てだしてねえ。住んではった人の関係の方は、いつまで経っても誰も来いしませんでした。そのうちに家も朽ちだしてねえ。古い古い家やったから…」
「ほいで、片づけはじめたんどす。勝手にやないですよ。了解をもらいましてね」別のお婆さんが言う。
「みんなで?」
「ええみんなで。少しずつ少しずつ」

「そりゃ、あんさん、傾いた家が一軒あると、狭い町内全体が打ち棄てられたみたいにみえまっさかいねえ」
 と、もう一人の婆さんが言う。
「あのお、土地の持ち主は…」
「ああ、藤井さんです。ほらそこの駐車場もそう」
 吉田さんは振り返って「トタン壁の画家の家」の向こう側を指さした。
「で、ちょうど私ら四軒は庭がなかったから、土地を借りよか、いうことになってね。みんな植栽が好きやったしね。もしよかったら私らに貸してほしいゆうて頼みにいきましてん」
「ほんまわね。駐車場にされるんがかなんかったんですねん」と、ひそひそ声が後ろから聞こえる。
「そしたら家を解体する条件で借りることが出来まして」
「地代は四等分でね」
 お婆さんたちが、かわるがわる、しわくちゃの手を揉みながら語る。
「石榴の木は残したんですね」と葉子。
「そうです。そんなん、よう切りまへんよ。生きてる木を切るなんて…」
「そやけど手入れできんようになってねえ。ほったらかしですわ」
 ふふふ、と老人たちが静かに笑う。

「亡くならはったんやね…」葉子がぼくに向き直って訊ねた。
「で、継ぐ人が誰もいなかったんや」
 葉子は顎を引くと、地面を見つめ黙ってしまった。

 ぼくは石榴の樹を見上げた。濃い緑の葉が輝いていた。鋭い棘が風を切っている。菜園を見た。雀が飛び回っている。金木犀に飽いたのかな。
 草に覆われたコンクリートが覗けてみえる。菜園全体は光を吸って膨らんでいるようだ。
 老人たちを見た。細い肩に光が載って、微笑んだままの顔を深い皺がさらに鋭く彫っていくようだった。

                             (了)  



 

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