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葉子、と。

の、あいだに。


 お彼岸の朝、葉子はシャワーを浴びていた。
 半分開けた浴室の窓からは紺碧の空が覗けて、雲が速度を上げあげて滑っていく。
 雲を急かしている風は、どうやら小笠原諸島を通過した台風を中心とした直径千㎞の円弧にそって北から流れ落ちて来ているもの。(夜明けの天気予報で聞いたのだった)その俯瞰図を葉子は脳裏に描いてみる。…その風でグライダーしている鳥がいたりして…などと。

 くびすじを洗いながら顎をあげた葉子の視界を、紅色した萩の花がよぎっていった。
 …そうか植物も飛ぶんだ…。軽い種なら上昇気流に乗って、そこでグライダーしている鳥の羽に乗っかって…。
 想像はますます膨らんでいくのだった。

「おはよう」
 硝子戸の向こうから亨の声がして、葉子の「想像」は急停止。
「おはよう」と声をかえすと、珈琲ミルの音が聞こえてきた。

 葉子は、朝、シャワーを浴びていると夜を洗い落としている気分になることがある。それは亨に抱きしめられた体の記憶だけではなくて、強い夢の記憶だったりも。自分の抜け殻が足元に流れ落ちていくように感じると、もうどんな夢だったかは忘れてしまっていて、ただ夢の痕跡のようなものが心に残っているだけなのだけれど。それがまるで夢の「重さ」の証のように。


 葉子は「痕跡」からまた想像を始める。
 ある版画家が、古いイギリスの友人からドーバー海峡の石をもらい、それを何年も紙の上に置いて飾っていた。ある時そっと石を動かすと、紙の上に痕がうっすらとついていた。それをみた版画家が、石と紙のあいだにあるものこそが「二人の存在の証」なのだと直観した、と新聞のコラムで語っていたのだった。(注1)

 そのことがずっと残っていたのだろうか。体を洗っていて、ふいに自分の体を、そして亨の体を思う。体だけじゃなくもちろん心も、お互いが「石」になり「紙」になり、お互いに「微かなしるし」を、まるで自分の「存在証明」をつくるようにお互いに置いていく…。そうやってずっと二人で生きていく…。それを日々、繰り返し。

 葉子は石鹸を洗い落としていく。窓の向こうの空を羊の形をした雲が流れていった。するとこんどは子供の頃の、ある年のお彼岸を思い出しました。

 葉子の実家のお墓は東山にある。ちょうど京都市内が一望にできる広い墓所で、幼い葉子は市内を黒い羊の影が横切っていくのを見つけたのだった。
「あ、ひつじ」と言うと、母が「雲の影なのよ」と笑った。葉子がさらに「ひつじ、ひつじ!!」と言いつのると、父がいいものを見せてあげるといって、太陽の位置を確認しながら掌で「鳩」や「きつね」をコンクリートの壁に映し出してくれました。初めて「影絵」を見た日の思い出。

 ふふん、と葉子が鼻歌を歌い出しそうになった時、また窓の外を萩の花が飛んでいった。
「想像」はまた、「グライダーの鳥」に戻る。
…例えば南洋の植物の種が鳥の羽に乗って…。

 実は月下美人とドラゴンフルーツの花がまったく一緒といってもいいぐらい似ていると近所の人から言われたことがあったのだ。しかも同じ「一夜花」。その方はフロリダで花を見たと。実も食べて、とにかく甘かったと言うのだ。そして「月下美人ってドラゴンフルーツでしょ?」と。
 (あ、ネットで調べてないや)と葉子は一瞬思うのですが、…フロリダ、いやハワイからならドラゴンフルーツの、あの芥子粒のような黒い種をのせた鳥が…とすぐに思いの翼はそちらへ飛んでいくのでした。

 
 葉子は浴室を出ると、バスローブでキッチンへ。亨が珈琲を淹れていました。
  
「風が凄いね」と亨。
「お寺の栗や柿が落ちたかも」
「大学のぎんなんもね」


 葉子は珈琲を淹れている亨の横にいって、手もとをじっと見つめます。亨はお湯を注いでいるあいだ、ポットを持たない左手を必ず垂直にテーブルに立てる癖がある。ポットの注ぎ口をあげると、その手もテーブルを離れ、また注ぐときに立てる…。
 亨の左手がテーブルに立とうとした何度めか、そこに葉子の掌があった。
「あ、ごめん」
 そういって亨が左手を離そうとすると、葉子の掌がその手をぎゅっと握って離さない。
「あれ?」
 亨がポットから葉子に視線を移すと、そこには綺麗なおでこが目の前に。
 両手のふさがっている亨は、そこにそっと唇をつけたのだった。

 唇とおでこの間、葉子はちいさな「証明」を感じていた。
「おでこ、ぴかぴかやね」
 亨は嬉しそう言った。
 
                            (了)

注1  2004年2月・京都新聞「ひと ART TALK」より。
 世界的な規模で活動された版画家・造形作家の故・井田照一氏が、友人のジョン・ケージから贈られたドーバー海峡の石を、ある日たまたま動かしてみると、長い年月の間、下に敷いていた紙に石の跡がうっすらとついているのを発見し、感動したという発言をされています。「石と紙の間に生まれていた存在の証」と。


観察


 波多野は大学近くの古寺の鐘楼の石垣にもたれて考え事をしながら、寺の門前にやってくる人をそれとなく眺めていた。灰色と緑の多い風景の中で赤土色の長袖のTシャツが鮮やかに浮かび上がっている。まるで目印のように。何かのしるしのように。訪れる人の一瞥を待っているかのように見えた。
                   

 波多野は、自分の住んでいるこの学区に画家に関するさまざまな「跡」が残されていることに気がついていた。(花村亨、花村葉子、波多野勝、鈴木尚美。この物語の主な登場人物は皆同じ学区に住んでいる。)
 名前を挙げれば堂本印象、小野竹喬、山口華陽といった大家の旧宅や美術館、記念館があるのだ。美術サークルに入っている同期に訊いてみると現役の画家もたくさん住んでいるという。しかし彼は小野竹喬、山口華陽に関する場所が大学のすぐ近くにあることを知らなかった。
 先ず絵に興味があること。そして街を歩いて観察する「趣味」のあること。この二つがないと、この学区の土地柄がひょっとしたら画家にとっての磁場のような「気」を出しているかも知れない、という思いを抱くこともないのだろうな、と波多野は思うのだった。

 実はその前にこの学区、とういうよりもこの寺を中心とした半径二百メートルくらいの一帯に文学の才能が「棲んでいた」ということも知っていた。
 水上勉、谷崎潤一郎、井上靖、金子光晴である。


 水上勉と金子光晴はそもそもこの寺にいた。水上勉は小僧として、金子光晴は執筆に集中するために、である。井上靖は毎日新聞の記者でアパート住まい。谷崎潤一郎は関東大震災に被災し関西へ逃れてき、神戸に居を構える前にこの寺近くの借家に住んでいたのだった。

 四人ともそれぞれに執筆と生活に取り組んでいたのだけれど、「伏していた」というイメージが強い。それぞれこの地を離れてから文学史上に足跡を残す仕事を果たしていく。実際にこの場所で作品を完成させたのは金子光晴だけであったけれど。作品は「こがね虫」という彼の鮮烈なデビューを飾った詩集である。また水上勉はのちにこの寺での体験をふまえた作品を書いている。

 だけど文学部でいったい何人の人間が四人の本を読んだことがあるだろうか、せいぜい谷崎ぐらいじゃないのか…しかしそれも当然といえば当然のことなんだろうな、と波多野は思う。自分だって井上靖のことを訊かれたら、そんなに読んでません、としか言いようがないのだし。

 文学に興味があって、本を読んでいること。そして街の中を、本の中を観察する「趣味」のあること…。その時も画家たちの時と同じようなことを思ったものだった。

 しかし、知ったからといって何かが起きるわけではない。場所に依存するような気分にもならない。ただおもしろがっているだけだ、と波多野は自分自身を見つめていた。
 なによりも、どんな辺境にいようとも自分のいる場所こそ、自分の「創作エンジン」が全開になるところこそ「Voltex」なのだ。そんな気概をマサルは持っていた。しかしそんな自分の心のありようとともに、自分を作り上げる周りの「流れ」や「場所」や「人」もまた大切だという直感もあった。
 興味があって、誰も見ようとしないところであっても自分は見るという「趣味」があって…。
  
 ところで波多野は大学から一人でアパートに帰る時、寺を抜けて両側に聚楽色の壁が続く参道を歩くようにしている。それはゆるい下り坂で、電線も背の高い建物もなく大学裏にある山からの風の通り道になっていたのだった。背中から受ける風がとにかく気持ちがいいのである。
 坂はやがて山門に辿り着き、そこで終わる。花村家はその右手にある。山門の外はちいさな広場のようになっていて、大学生が一日中、右へ左へざわざわと歩いている。
 昨日のことだった。波多野が山門からその広場へ出ようとすると、入れ違いに山門を潜ろうとする学生がいた。するとその背後から
「おーい、そっちは行き止まりやぞ。寺から大学にはいけへんぞ」
 と、声がかかったのだ。先輩なのか、少なくとも何年かはこの界隈を歩いたことのありそうな人物だった。

「あ、そうですか。近道かなと思って」
 そういって学生は引き返す。

 波多野は思わず苦笑して通り過ぎたのだけれど、妙なことを考えついたのだった。この大学には二万人くらいの学生がいて、そのうちこのキャンパスに来るのが、その三分の二ぐらいとする。さて、その中の何人が寺の境内を経由して大学にいけることを知っているだろう、と。
 そこからの帰り道にずっとそんなことを考えていると、そういえばこの道を歩き出してから同じ人間にしか会わないことに気がついたのだった。
 …まさか…
 マサルは、こんどは自分自身の発想に苦笑いしてしまった。
 …あの「長方形の出入り口」が見える人と、見えない人がいるんじゃないか…
 そんな発想をしたのには、あまりにも自信たっぷりだった「行き止まりやぞ」という声のせいもある。

 そうしてマサルは鐘楼の石垣にもたれて、寺の正面にやってくる人たちをそれとなく観察していたのだった。

 寺の正門の真向かいに鐘楼がある。玄関に向かって左手にはコンクリートの壁が道と境内を区切っている。かなり古い道にそった壁なのでくねくねと曲がっている。その寺側に曲がり込んでいるところに長方形にくりぬかれた「出入り口」があるのだ。そこを出て右へ曲がるとすぐに大学に出る。確かに大学側から歩いてきたら死角になって気づかずに通り過ぎてしまうかもしれないけれど、参道を歩いてきて寺の前に立てば目にはいるはずなのだ。

 寺には観光客もたくさん来るのだが、誰も「出入り口」を見向きもしないで参道を帰って行く。「次は龍安寺や」とか「次は金閣寺」といった声がかわされるのだけれど、ふたつともその「出入り口」から出た方がはるかに近い。金閣寺などキャンパスを縦断した方が早く着くのだ。

 砂利を踏みしめて歩いてくる音がした。波多野は手にしていた白川静の「初期万葉論」からちらっと目線をあげる。女性である。主婦には見えない。よくすれ違う人だ。いつも和装でまっ白な足袋が印象に残る人。少し俯き加減に正面を横切ってすうっと「出入り口」から出ていった。次につぎもよく見る男。この人は大学の関係者か。いつも白いソフト帽を被っていて、ページュのスーツ。鼻の下にはムスタッシュ。茶色の鞄。ちらりとマサルを見遣ると、そのまま「出入り口」へ。次に来たのはあきらかに学生。正面まで歩いてくると、あたりをきょろきょろと見回す。首をひねり…もう一度周りを見て…赤土色のTシャツに気がついて…マサルを見て…戻っていく。次も同様。その次も。
 今度は道から「出入り口」を潜って境内に入ってきた人がいた。この人もよくあう「顔」だ。シルバーのトレーニングウエアの上下に身を固めたおばさん。いつものウォーキングなのだろう。まっ白なシューズ。少し体を左右に揺らせてリズムをとる。
 次にまた女性が潜ってきた。尚美だった。

「あ、いたいた。メール読んだらおもしろそうだったし。で、どう?」
「うーん通り抜けるはいつもの顔ばかり。学生は案外抜けていかないね」
「『見えてる、見えてない』ってのは」
「あ、それはどうかなあ。やっぱり考えすぎだよね。どうも『見えてない』というより『熱心じゃないだけ』って気になってきた」
「ふーん、まあそんなとこでしょうね」

 メッセンジャーバックをたすきがけにした眼鏡の男が歩いてきた。いかにも学生である。門前できょろきょろしている。じっくりと周囲を観察している。マサルの赤土色のTシャツにも気がついたようだ。
 マサルは声をかけた。

「大学に抜けるんならそこからだよ」
「あ、どうも。やっぱりいけるんですよね」
 壁にあいた長方形をマサルは指さした。
「は?壁…しかないですが?」

 眼鏡の男とマサルの二人とも、困った顔をした。

                              (了)

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