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喜び上手は愛され上手―せんちゃんになりたい33歳児―

私の応援する赤ジャージの彼は、5児の父だ。

彼がYouTuberになると決めた当初、家族の出演予定はなかったが、たまたま撮影していた”1日ママ体験”の動画を奥様の勧めでUPしたとき、大ヒットしたのだ。

ここから一気にファン層を広めるとともに、今や彼のチャンネルでは恒例となっている”家族動画”を生み出すきっかけとなった。

「子供を使って金稼ぎ」なんてアンチさんからは言われているが、特に長男には将来YouTuberになりたいという夢もあり、子どもたちは全員、自分から「出たい!」と言って喜んで出演している。「パパの手伝いがしたい」なんていうやさしい子どもたちばかりだし、視聴者の中では各々の子どもにファンがついているくらい、個性あふれるたのしいきょうだいだ。


先日、次女で4番目の”せんちゃん”のお誕生日パーティーの動画がUPされた。彼女は4歳になった。

ママ体験動画の頃は2歳だった彼女。年齢的にも、視聴者からはいちばん成長が目に見えて分かる子であり、天真爛漫を絵に描いたような存在だ。


4歳。

成長してかなり言葉も話せるようになり、

「今日は特別な日」「自分が主役の日」「自分に嬉しいことがある日」「”3歳”から”4歳”になる日」

ということを理解して、この1日を過ごしている。

まだ”言葉”が話せない、思いをうまく伝えられない、”赤ちゃん”に近い頃のせんちゃんを知っている視聴者としては、本当に感慨深い成長っぷりだ。


せんちゃんは、愛される子だ。

他のきょうだいと比べ、まだ年齢的に小さいということもあるが、どうやら理由はそれだけではないな、と、この4歳のお誕生日動画を観て思った。


”お誕生日”を100点満点のリアクションで、心から喜んでいるせんちゃん。

家族みんなでしてくれた部屋の飾りつけも、自分のリクエストに応え両親が台所で料理していることも、プレゼントやケーキも。

「きゃーーーーーーーーーー!」(大歓声)

「何作ってるのーーーーーー?」(分かっているのに)

「ありがとう!」(メッセージをくれた家族ひとりひとりに)

プレゼントのおもちゃに大興奮で周りが見えなくなったり、もう。



自分が祝われている状況を、こんなに純粋に、全身全霊で喜んでいる。


ほかのきょうだいのお祝いのときのことも覚えているだろうし、両親の育て方が素晴らしいということももちろんだが、


こんなに100%喜んでもらえたら、お祝いした側も、絶対に嬉しい。

またこの子に喜んでもらえることをしたい、と思わせる力が、彼女にはある。


愛される、かわいがられる存在。

子どもだけでなく、大人でもそういうひとがいる。


「ありがとう!」「うれしい!」「助かる!」

何か、相手に対してしたときに、言われたら嬉しい言葉だ。


”喜び上手”は最高の武器なのかもしれない。




というのも、私が

”喜び下手” 代表選手だからこそ、せんちゃんが羨ましいのだ。


私は、正直だ。


学生時代なんかに、プレゼントをもらってその場で

「開けてみて」

と言われるのが、本当に苦手だった。


自分のために時間、お金その他をかけてくれたことは嬉しいけれど、どうしても、もらったものが自分の必要としないものだったり、予想と違ったりすることって、あるものだ。

そんなとき、私は、相手の喜ぶリアクションができない。

思いやりがない、と言われればその通り。でも、嘘をついてまで

「わー!これ欲しかったのー!」って、言わないといけないものだろうか。

私には、どうしても、どうしてもできない。

”やさしい嘘”がつけなくて、きっと周りに気を使わせてきただろうな。

母にも、よく「あんたは感謝が足りない」といわれるけれど、こういうことだろう。


そして、私は自尊感情が著しく低い。

病気してからのこの8年は特に、欲しいものがあっても経済的に我慢の連続で、贅沢なんて言えない生活だ。

そんな私に家族からの突然のプレゼントや餞別、友人からの贈り物などが突然あると、いちばんにやってくる感情は


「え⁉ え⁉ なんで⁉ なんでなんで⁉ え⁉」


、、、、、、という、パニック状態。


”こんな人間に、どうして?”

”こんな、迷惑しかかけていない私に、どうして?”


、、、、、、自尊感情が欠落していることによって、感謝よりも先に、驚きと疑問が強く気持ちに現れて反応に出てしまうのだ。


鬱病治療開始から数年、少し調子が出てきて、まだ貯金が今よりも切羽詰まってない頃、東北圏内の会場を選び、新幹線で、尊敬する中島美嘉様のLIVEに行くことを決めた。その前日だったか、母と妹が、私に、”お餞別” を渡しに来てくれたのだ。

そのとき、私はあまりの驚きに叫んで、家の中を走って、隅に隠れた。

意味の分からない恐怖すら覚えた。

病気無職で実家暮らしの人間が、いくら治癒にもなりうるとはいえ交通費をかけて、LIVEという”遊び”に行くのに、どうして、その人間にお金なんてくれようとするのか、分からなかった。

、、、、、、はたから見れば謎すぎる行動だし、あげる側の気持ちを考えたらそれはもう、最低だ。困っただろうな。


また、

L'Arc-en-CielのLIVEにずっと行けずにいる私に、当時のTwitterでつながっていたファンのお仲間さんが、私にグッズや”ラルみやげ”(検索してみてください)を郵送や宅配で送ってくれたりしたことがある。

そんなとき、お礼をLINEなどでするのだが、

「わざわざ」「私なんかに」など、これまた自尊感情の低さ丸出しの文章を送信。自覚症状はないが、相手にこう言われたときに、はっとした。


「逆に、迷惑だったかな?ごめんね」


、、、、、、刺さった。

私、相手に気を使わせてしまった。

そんなつもりなかった。



手放しで、喜ぶことが、どうしてこうも難しいのだろう。



自分に自信がないひとは、やさしくされたときに、私みたいに「なんで⁉」と変に驚いてしまったり、ひとによっては”何か裏があるのでは”と疑ってしまうようなひともいるのではないかと思う。

そうなると、必然的に、”またこのひとに何かしてあげたい”という気持ちを相手に持ってもらうことは、なくなっていくよね、、、、、、


私が人間関係で苦労する理由の一つが、この”喜び下手”だと思う。


妹は上手だ。


何かしてもらう、物をもらう。妹は、まず最初の反応が明るい。

そして、次の日など

「さっそくあれは○○にいれて**したのー!」

「あれおいしかったわー♪」

など、役立てている、満足した、などということを、具体的に報告する。その声も、表情も明るいので、してあげた方は気分がいいし、嬉しい。

そして、こんな性格の妹は、何か良くない行動をして、指摘されても、

「あらー、ごめーん、忘れてたー(´;ω;`)」

なんて、軽やかな反応で謝ってくるので、どうしても憎めない存在になるのだ。


妹は、愛される。

職場から、定期的にお菓子なんか貰って帰ってくるし、勤務年数が長くなったこともあり、いろいろ相談も受けるようだ。

同じ場所で10年近く働いているということは、もちろん大変なことであると思うが、それだけ経験を積んで、信頼も得て、きっと自信にもなっているに違いない。この職場が、今の明るい妹を作ってくれたのは事実だ。確実に、変わったもん。



私も、自信をもってできる何かが見つかれば、自尊感情をもっと上げていけて、結果周りのやさしさに素直になれて、それを手放しで喜べるようになるはずだ。

”梶原雄太” が ”カジサック” として居場所を見つけたように、私も、ゆっくり探していきたい。


書いているうちに、気持ちが整理できたり、そういうことか!という気づきが生まれたり、、、、、、

このnoteも、自分の居場所を見つけるための大事なものだ。


いつか、せんちゃんみたいに、子どものままの素直な心で、嬉しいことを思い切り喜ぶ自分に出会いたい。

手放しで、

「うれしい!」「たのしい!」「ありがとう!」

が言えるようになりたい。


具体的に”どうする?”はまだ見つけられないけれど、

”申し訳ない” を ”感謝” に変える練習をしよう。

「ごめんね」より「ありがとう」を、言えるように。




私の居場所、やりたいことは見つかる、と信じてこの先もすごせますように。

せんちゃん、ありがとう。


せんちゃんに、任せろー!









未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。