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【長編小説】異精神の治し方「境界治療」.4

「起きてください」
 誰だろう。私を揺すっているのは。
 薄く目を開けてみると倒れているリコが見えた。私は眠ってしまっていたようだ。
「リコ!」
 立ち上がってリコに近づく。反応はない。
「え、大丈夫? 大丈夫?」
 声をかけながらリコを起こそうとする。
「えっと、あんまり揺らさない方が……」
 男の人の声がした。
「誰?」
 私を起こした人がそこに居た。同い年くらいの男の子だ。どこの学校の服だろう。なんだかブカブカしている。それに青くなるほど短い丸坊主。あと度の強いメガネ。ギャグ漫画に出てきそうな見た目だ。
「通りすがりの者です。彼女は大丈夫ですか?」
「一応脈はあるみたいだけど」
 リコは寝ているみたいに穏やかだけど、その静けさがかえって不安になる。
「病院までご一緒します」
 なんだか妙に優しくて怪しい気がする。もしかしたら、異精神者じゃない人からすれば、この優しさは普通のことなのかもしれない。
 けど、わたしは自分を信じてみる。
「いえ、大丈夫です」
 そう言ってリコを抱き上げようとする。意外に重い。いや、軽いんだろうけど、私じゃ難しい。
 それを見かねてか、彼がやってきてリコを私の代わりにおんぶした。
「大丈夫です。本当に怪しい者じゃないですから」
 腕が触れた時、意外にも筋肉質なことに驚きつつ、彼を仕方なく信じた。

 沼田記念学校の壁の中は、歩きでも十五分あれば端から端までいける。
 けど、外の世界は違う。明らかに徒歩向けに作られてはいないと感じる。
 歩くだけでも疲れるのに、リコをおぶったまま平気に歩いている彼は何者なんだろう。
「あの、あなた方は沼田記念病院から逃げてきたんですか?」
 彼は立ち止まってから、クイッとメガネの位置を整え、急に話し出した。しかし、話とは急に始まることがほとんどか。
「逃げてない。出てきたの」
「そうですか」
 明らかに彼はその先を聞かないでいる。
「そういえば、名前聞いてない。通りすがりの者で納得する人いないよ?」
 彼はまたメガネをクイッと直す。メガネの位置に納得がいかないらしい。また触った。それがなんとも小動物的だ。
「えっと、自分は鹿口と申します」
 あまり聞かない苗字だと思った。
「しかぐちくんか。鹿ってあの、京都の?」
「ええそうです。奈良の」
「へー」
 まあ、壁の中からしてみれば、京都も奈良も同じな訳で。
「貴方は?」
「へ?」
「貴方の名前です。なんというんですか?」
「そうだよね。私はニーコ」
「カタカナですか?」
「そう。異精神者だから、本名じゃないんだけどね」
「なるほど」
 鹿口は笑って頷くと、また歩き出した。

 どれくらい歩いたのか、判断することができない。とにかく、病院にたどり着いた。小さな病院だ。
「入りましょう。ここの先生は見てくれます」
「知ってる病院なんだ」
「はい」
 ドアを開けて中に入る。受付には年輩の女性がいた。髪の毛が真っ赤に染められている。カタカタとパソコンを打っていたが、目を瞑っているように見えた。
「鹿口さんね。お連れがいるみたいだけど?」
 オペラ歌手のような声。緊張してしまう。
「ええ、倒れてたんです。見てもらえますか?」
 赤髪のおばちゃんが目を開けた。やっぱり今までは閉じていたと分かる大きな瞳だ。
「着いてきなさい」
 そして赤髪のおばちゃんが立ち上がり、私たちの行く末を案内してくれた。

 廊下を歩きながら私は不安な気持ちになっていた。
 廊下が長すぎる。外から見ていた大きさとは比較にならないほど長い。おまけに、大きな病院のような廊下に変わっている。蛍光灯の白がいやらしく光って。
「なんか、結構広いですよね」
 と、口に出すと、二人は立ち止まって
「ですね」
 とだけ言いまた歩き出した。それは三回も続いて私は諦めた。
 カツカツ、と足音がやけに耳に響いた。その音に何か懐かしさを感じている。
 何かを思い出そうとしている。それは濁った水に手を入れて落とし物を探す行為のように無謀だと感じられた。
 ふと、赤髪のおばさんは足を止めた。
 真っ直ぐに続く廊下の向こうから、カツカツと音がする。誰かがこちら側に歩いてきている。
 足音の主は私たちの前までやってきた。服装から女性の看護師だと分かる。
 私たちには一切見向きもせず、近くに立ち止まった。
 壁に向かっている。と思っていたのだけど、そこに扉があった。いや、明らかに扉が現れた。
 そのドアを看護師がノックする。

 ココン、ココン。

 妙に特徴のある叩き方だ。この叩き方を私は知っている。そして、この扉の向こうでとても大切な人がベットに座っているのを思い出した。
 大切な人は、カオル。
 記憶の一部が救い上げられた。他にも記憶の手がかりがあるんじゃないかと探そうと思った。
 その時、リコが目を覚ました。
 鹿口さんの背中で目を覚ましたリコは一瞬で私の隣に移動して、
「ここは危険だ」
 と小さな声で言った。
「ねえ、私カオルのこと少し思い出したの」
 私も小声で報告する。
「それはよかった。けど、まずここを出るよ。この場所に彼らが居て良いはずがないし」
 聞きたいことが山ほどあったけど、リコに手を引かれていて、風のように病院から抜け出した。
 あれほど長いと思っていた廊下も一瞬で抜けることが出来た。
 空が明るい。外に出ることができた。
 しかし、
「ダメか」
 隣でリコが言う。
「どうしてってあれ?」
 ここは病院の外のはずが、噴水のある公園だった。
「出られてない」
 私たちは立ち尽くす。
 とにかく噴水が目に入るよう。じっと見ていると、とても寂しい気持ちが胸に一杯になった。
 そして涙が溢れ出した。
「ニーコ? 大丈夫?」
 リコが心配している。けど、止まらない。何か思い出すべきことがあるんだろうけど、今はこの寂しい気持ちだけ私に帰ってきている。
「何か、思い出せそうなのかも」
 泣きながら私はリコに伝えた。
 背中の方からオペラ歌手のような声がした。
「大丈夫ですよ」
 振り返ると赤髪のおばさんがそこにいた。
 リコには珍しい不安そうな表情で赤髪のおばさんを見ていた。
「安心しなさいリコさん、おそらく私とあなたの目的は同じです」
 私は? と疑問が脳裏をかすめた。


鳥居ぴぴき 1994年5月17日生まれ 思いつきで、文章書いてます。