「どうせ誰も読まない」くらいの方が思っていることを素直に書ける
先日、とある番組宛に文章を投稿した。
締切を過ぎていたのでどうせ読まれずに受信ボックスの底に沈むだろうと思いつつも、書きたいことがあったので送信。深夜に15分くらいで書き上げた短いもの。
今日それを読み返して「思っていることがそのまま書かれているなぁ」と思った。我ながら。
なんというか素直。
素直な気持ちをそのまま文章にすることは難しい。
起きた出来事とか何かに対する考え(例えばある事象に対して賛成か反対か、その理由は?など)は客観視や比較が出来るので書きやすい。
対して「思い」や「気持ち」というのは自分の内側にしかない。客観的に見ることができないので言語化が難しい。
一つの物事に対する感情は一つでは無く、どの言葉がこの気持ちに1番近いのか悩む時もある。
加えて「これを誰が読むか」を想定して「その人がこれを読んだらどう思うか」まで考えると、何をどこまで書いて良いのか非常に悩む。
だから「どうせ読まれない」と思って書いて投稿したあの文章は思っていることをそのまま書けたのだと思う。
「誰が読むか」を意識すると思ったことをそのまま言葉にすることが難しくなる。
1番それが顕著に現れてしまうのがファンレター。色々と悩んで削ぎ落とした末に当たり障りの無い2〜3行が出来上がる。
一度だけ便箋3枚分くらいの手紙を書いたことがあるが、送った後にキモ過ぎやしねえかと後悔した。(あと字が汚いので読みにくくて申し訳ない。)
ものすごく気を使って言葉を選んで年下の女優さんに短めのファンレターを送った時は「嬉しかったです。」と反応が返ってきて安心した。良かったキモがられなくて…。
ファンレターの次がTwitter。
例えばライブの感想などを書く場合、こちらは本人の目に止まる可能性が高いと同時に第三者にも見られる。
なんとも思わない人がほとんどだが、中には「推しの良いね欲しさに書いてる」とか「良いことばかり書いてステマじみてる」などと言う人もいる。
気にする必要のない雑音だが、言い方の度が過ぎていたり長期間に渡ると多少の恐怖は感じる。
気にし過ぎた結果、こちらも当たり障りの無いものになりがち。
本当は自分が好きなコンビが1番おもしろかったと書きたいのに、他の出演者やそのファンの目を気にして書けなかったり。
対してInstagramとnoteはTwitterに比べると人の目に止まる機会があまりない(と思う)。
今850字くらいだが、恐らくここまで読んでいる人は閲覧者数の半分にも満たないだろう。
だから割と好き勝手に書ける。
以前はライブの感想などをnoteに書いた時はTwitterでシェアをしていたがそれも前述の理由でやめた。
「誰も読まないだろう」くらいの方が書きやすい。
でもスキやコメントをいただけるとめちゃくちゃ嬉しい。ビュー数が増えても嬉しい。
あくまで「書いている最中は」の話で、書いた後は色んな人に読まれたり反応がもらえたら嬉しい。
書くこと自体が楽しいので誰からも反応が無くても落ち込んだりはしないけど、あれば喜ぶ。
そんな矛盾したお話でした。
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