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「察して」文化

突然ですが私は「察して」文化が大嫌いです。
大前提に
①正直であるべき
②人の気持ちは推測しても思い込んで決めつけるべきではない
と思っているので、そもそも「察してくれない」という言葉に疑問を抱いてきた。

え?何も伝える努力をしない自分を棚上げして察してとは?(困惑)

である。
女性に多いと聞くが、自分の周りでは男女で差を感じない。女性の方が言いがちと言われているが、それはプライベートな時間ではそうかもなーであるが、仕事の時間ではむしろ男性の方が察してと同じように「それぐらいやって当然だろ」「先を読めよ」なんていうので男女に差がないと思う。

自分の中で「察して/察しろ」は伝える努力をしないことからの甘えという認識なので、察して欲しいそうな事でこちらも察しているが、敢えて言ってもらうスタイルを私は取る。言わずに相手にやってもらおうとするスタイルがなぜ良しとされるのか、本当に謎。

そもそも察してとは要は察知能力=推し量って気づいて欲しいと言うこと。
推し量って気付く能力をどう使うかはこちらサイドの問題であり、要求や強要されて使う能力では無いというのが私個人の見解。

なぜ言葉というコミュニケーションツールがあるのに、伝えようとはせず先回りしてほしいのだろう?と常々思ってしまう。こちらが決めつけて動いていいの単純に何故それ(察する)をしてもらう事は当たり前だと思うのだろうか?

自分自身、非常に面倒な人間と言うか思考回路持ってる自覚があるので、せめて正直で居ることを意識して生活している。(嘘や誤魔化しなどが大嫌いだし嫌悪の対象。見抜いてしまう)
なのでして欲しい事という要は頼み事や願い事は言葉で伝える努力をする。相手の時間や労力を私のために消費してもらうのだから、ちゃんと伝えない事は酷く無礼で失礼だと思うから。
というような考えなので「察して」文化を嫌悪してしまう。

そう誰かに言うと「気遣い心遣いがない奴」扱いを受けるが、なぜそうなるのだ?気遣いと察しては別物でしょうが・・・。
まず気遣い/心遣いとはコチラが自主的に行うことであり、察しては相手から要求されるものなので出発点が違うのに・・・。

察知能力は生きてく上で非常に大切な防衛本能の一部だと認識している。
経験から得た知識などをフル活用して、リスクヘッジをするのに非常に欠かせない「予想/推測」能力。
何かアクションする時にその結果を予測し、対応できるようにする。または起きそうな事へリアクションして先に整える。

察して欲しいという気持ちは理解はするが、一度も伝えられていないようなことを一体何から察しろというのだろうとも思う。観察眼?会話の節々?たくさんの情報から?

例えば麺類が嫌いというパートナーが居たとする。
それを何気ない会話で数回していたのに、美味しいからと有名なラーメン屋に行こうと誘ってみた。そしたら不機嫌になり「察しが悪い」と言われてしまったとする。
この場合は察しが悪いよりも好みを覚えてないことにキレているのであり、それは察知ではない。単に好みを覚えようと努力しなかったパートナーが残念なだけ。次を見つけた方が良い。(察知能力と言うより思いやりの部分が欠けているのだと思う。幸せになりたかったらそういった部分をどこまで許容できるかが大事ですねという余談)

または洗濯物を干したまま外出したら雨が降ってきた。
家にはパートナーが居るので取り込んでくれてると思い、連絡をしなかったが、帰宅したらずぶ濡れの洗濯物があった。
またはA社と来月の営業方針についての会議がある。自分はC社との打ち合わせがギリギリまであるので、A社との会議予定を知っている部下が資料をまとめていると思い指示も出さなかったが、結局部下は資料を用意していなかった。

このどちらもある意味相手を思いやっていれば先回りできるだろ思いがちだけど、それは違うと思う。
自分でやる事や自分で抱えている何かに対し、基本他者はそもそも手出ししない事が前提にある。
なぜか。日本人は小学生レベルで自分のことは自分ですると学ぶから。海外に掃除時間が設けられておらず、日本の小学校で生徒が教室などを掃除することは驚かれる。各W杯でもそう。自分のことは自分でやるが無意識に根強く刷り込まれているので、他者への介入は逆に意識しないとし辛いのかな?と分析している。

洗濯物はパートナーが干していったものに対して(パートナーがした家事)手を出して良いものか?という気持ちもある。
正直大概は面倒だし気付いてすらない人が多いか、以前手を出し文句を言われた経験があるパターンのどちらかが多い印象だ。前者のような家事をしてもらって当然と思っている人は早々に縁を切るべきだし、後者のビビリさんには感謝を伝えてから一緒にやっていこう/こうして欲しいと伝えることで大体問題は解決する。ので、そもそも「察して」を使うべきシーンとは思わない。
洗濯物を例に出したが、女性的察しては家事がメインに起こってる印象なので、解決策は割りと簡単な方法で解決できる。伝え方を変えるか、バッサリ別れる。

だが仕事は面倒だ。別れるわけには行かない。退職する訳にはいかないから。かといい上司や先輩に直談判なども気が引くという人は多いと思う。
「これしておきますか?」なんて効く程余裕なんてものは無い。「自分で考えろ」と取り付く島もない場合も多い。こればっかりはキャリアアップしたいなら、ガチで察知能力を観察眼から身に付けるか諦め違う能力みがくかだと思う。もうこの能力は環境と触れて来たストーリーの差。伏線回収系に強い人は恐らく察知能力も高いと思ってる。
上司や先輩もスケジュールというタイムテーブルがカツカツだから「資料作りくらいやっておいてくれるだろ」と思ったのだろうが、部下もタイムテーブルがカツカツなのくらい分かりそうなものなのに不思議なものだ。
誰かの上に立てば立つほど、自分が出来ないことを要求したりするのが性(サガ)らしい。出来る上司ほど無理強いしないと体験で知っているので、この認識。

で、私自身の体感的にだが参考になれば。

①もし自分が気付いたならおくせず「やりますか」と聞いてしまう。聞いて「当たり前だろ」と理不尽な怒りをぶつけられるよりも、後に損害が出てから「やっておけよ」と怒られる方が遥かにリカバリーが大変だし、火消しという意味合いでも時間がかかる。
それに聞けるということは少なからず自分に余裕がある証拠。その時点で時間の使い方が上司や先輩よりも上手なのだから内心で自分を褒めていいと思う。自信へも繋がる。特技に時間の使い方が上手い事って書けるレベルだと思う。
②無駄になってもいいからって用意しておく。少なからず用意して無駄になったら損するのは自分だけだが、無いはずのものを用意しておいたら正直ポジティブな結果になることがほとんどだ。あるはずのものが無ければ第問題にしかならない。(ちなみに恐らく社会的察知能力の大半はこの部分であり、求められるスキルだが。ここは結構諸刃の剣で、普段の自分の仕事力をこなした後のプラスアルファな能力なので、自分の業務すら出来ていないのにこの能力を伸ばそうとしても痛い目をみるだけである。余裕があって出来ること)
③察することが苦手/推測すること自体が苦手ということをオープンにしてしまう。ちなみに慎重派というと逆に用意周到に事前に準備するタイプと思われがちなので、気をつけた方がいい。

この辺りで社会ってのをのらりくらりしてきた。
基本的に上司だろうが理不尽には真っ向勝負してしまう性格なので、理不尽なこと言われたりやられたりしたらキョトン顔でやってきた。「何言ってんだろう、この人・・・」スタイル。
ガチで本当に言ってることが理解できなかった時は
・何が(物事/人)
・どう(そうなった結果を説明できないので説明/解説してもらう)
理解できなかったを聞いた。
案外怒ってる人は感情をぶつけたいだけで、なぜ怒っているか自分の言葉で説明できないものだったりする。
上司や先輩が部下である自分に怒る時、自己感情から来る叱責でなければ言葉の中に具体的な単語が出てくるもの。
あの時先方が発言していたタイミングで言葉を被せるななど。(常識的なことを怒られることは早々無いが、案外知らない人が多いのも事実。被せる行為はとても失礼だし、冷静さを欠いていると思われる行為)
「俺や社が恥かいただろ」の場合で何故か分からいなら、そう聞いてしまう。自分の何かの言動のせいなら誠心誠意の謝罪をし、教訓として身につけていく。
もしそこで具体的な指摘がなかった場合は(うるさい/口答えせず黙って聞けよなど)感情的になってるだけなので、嵐が去るのを待つ。アンガーコントロールが出来ない人なのだから、カウンセリングが必要だなって私なら内心思ってしまうレベルだ。頑張って顔には出さない。額を動かさないよう注意する。額は無意識に感情が反映される場所らしいので。

こうやって書いてみると察してとは一体何なんだろうなって思わずに居られないし、そもそも察したいと思うほど相手のことを思えれば、自然と気遣い心遣いが出るので結果的に察した状態が完成する。思い遣りってやつだと思う。

察してと言う人は、逆に相手のことを察してるのかな?って考える。
察して欲しいなら同じように相手の事を察してなんぼやし、察しての前に気遣い心遣いという思い遣りの関係があれば、そもそも一方通行に察してなんてならんと思うけど。
結構察してってわがままじゃないか?伝えても伝えても駄目なら、それは関係が破綻していると思ってしまう。家族など身近な人ほど「察して」で済ましがちだけど、そもそも身内であっても他人ではないけど「個別の人」だから。一卵性双生児並みに遺伝子レベルで同じで無い限りは。クローン人間でも無いし別の個体です。

なのでむしろ遺伝子が全く違うような恋人・夫婦間ほど、察しては通用しないというのが私個人の考えだし、書いてみてもやはり「察してくれない」という謎の主張でモヤモヤを抱え続けるよりも、折角言葉というコミュニケーションツールが在るのだから存分に活用して少しでもストレスフリーで生きたいなと思わずに居られない。
楽したい。本当。小難しいこと考えずにストレスフリーで。でもそれは無人島で一人で今の生活レベルを謳歌するするくらい難しいこと。人は一人で生きて行けないからね。
パソコンや電気、浄水された水、安全な食べ物。これらは自分ひとりでどうにか出来るものでもないし、そもそも自分だっていきなり産まれ落ちた存在じゃない。他者の存在で自分を確立できるという意味でも、人は一人では生きていけないんだよねー。

読んでくれて、サンキューです。久々に書いたらタイピング遅くなってる気がする。悔しい。

「察しの悪いガキは嫌いだよ」というか「君のような勘のいいガキは嫌いだよ」がハガレンの台詞から来てると知らなかったしトラウマ回と呼ばれているのも知らなかったので、ハガレンをいつかちゃんと読もうと思いました。

更に余談。
個人的にやって欲しそうなことに気付いてでも頼まれたわけでもないので「◯◯しとく?」と聞くと「やるから大丈夫」と言うのでそこで終わったと思ったら。あとで不機嫌になられたり他で「やってくれない」と愚痴を言われたことが数回では無いので、本当にこの察して文化は嫌いですって話。
なんでも言えば良いわけじゃないけどさ。








サポ、サンキューです。 叩いても出るもん埃しか無いから、サポートついでに自分なりの記事を書いてもらえたら良き。選択肢が多い方が幸せになる人が増えて皆HAPPY。 選択肢の多さ、多種多様の見解が多様性だと思ってる。 不幸が多いより幸福だらけの方がきっと良い世界じゃん?しらんけど。