母の声が大嫌いになってしまった話

⚠️愚痴noteですので、読者様を不快にさせてしまう恐れがあります。

自分が悪い事をした事は分かっているし、母が常識的に正しい事を言っているのもわかっている。
私は叱られている事に苛立っているのではなくて、叱る時の言葉選びが幼稚で、感情的で、娘の自己肯定感を下げる言い方をする事が嫌なのだ。
私の母は、必要では無いほどの罵声を浴びせることが多く、家の中での些細な失敗やミス(ご飯を食べる時髪を結ぶのを忘れてしまった、小麦類の食べ物をラップをかけずに数分放置してしまったなど)に、これでもかというくらいの喧嘩腰で言葉を浴びせるのだ。
「ありえない」「もうご飯食べなくていい」「社会で生きていけないね」「最悪」「だから友達できないんだ」
など、あげたらキリがないけれど。
勿論、普段料理を作ってくれるのは母なので、自分が作った食事を適当に食べられたり、残されたりしてしまうと私でも嫌だし、作法としても悪いという事は十分理解しているけれど、だとしても人格を否定する程のミスでは絶対に無いと思う。
叱る人は、叱られる人の罪の重さを図らなくてはいけないし、叱られる人はその罪に応じたペナルティを負うべきだ。家庭内での、食事のちょっとしたミスで人格まで否定されるのは、『母親』という家庭内での玉座に甘えて、娘を支配している様な気がする。

そんな母に対して、小学生〜中学生の頃の私はひどく怯えていて、負う必要のないペナルティをなくす為に、親を心配させない様にテストで良い点を取って、できるだけ言いつけも守った。母に叱られるのが怖くて、何回も嘘を吐き続けたりもした。

高校生になると、「これは母親が少しおかしいのかもしれない」という考えになり、今までの積み重ねもあってか反抗期…というか、「母に会いたくない」という感情が生まれた。
そして、大声で叱る母親の声が嫌いになってしまい、母の声(笑い声や普通の時の声も)を聴くだけで自室に篭って布団をかぶって泣いてしまう。
『叱る声を聞きたくない』という感情が強く、母に対しては一度も声で反抗したり、態度を悪くしたりは一切していない。『ミスをして、怖い言葉を浴びせられても、謝罪を言い続けて、終わった瞬間に自室に篭り泣く』という動作を続けている。
声で反抗する代わりに、体が拒否反応を先にしている。いつか、母の目の前で反抗をしたい。そんな言い方はないでしょと言いたい。頭の中で「死んじゃえ」と届かない反抗をしても何も伝わらない。もう笑い声を聞いただけで泣いてしまう自分が嫌だ。
いつ言えるのだろうか。

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