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リストの手紙3「圧倒的で超絶魅力的な空前絶後のパリ公演 (本人の弁)」

亀井聖矢さんリストプログラム全力応援企画3。今回はノルマの回想が作曲された1841年、29歳のリストの手紙をご紹介します。(ヘッダーはリスト演奏会図1842年 wikimedia commons)今回も思い切って分かり易い現代日本語に訳出しています。パリ公演が大成功し、クドイくらい自画自賛するリスト殿をお楽しみください。↓

リストの手紙:1841年5月20日 ロンドン 友人Simon Lowy宛:

親愛なる友へ まだイギリスにいる。(最後の手紙は12月末だったか?) あれから、三王国ツアーが無事終了した。(ここだけの話、大赤字だった。契約金の1500ポンドに対して、1000ポンドの純損失!)(略)

君だからはっきり言ってしまうが、パリ公演は私の自尊心を大いに満足させるものになった。(まぁ、そうなる予感はしていたが)席に着いていきなりトランプの賭けに勝ったような感じ。いや、キングも切り札も持っていたようなものだから、大勝ちだろう。

2回のソロ公演も、そして3回目のベートーヴェン記念碑のための音楽院での公演も、まさに空前絶後の公演になった。今、欧州であれほどの演奏会ができるのは私だけだろう。

新聞批評では、あの素晴らしさは全く伝わらない。うぬぼれでも妄想でもなく、パリであれほど圧倒的で、完璧で、超絶魅力的な公演を行った演奏家は、未だかつていないはず。

好意的な新聞批評は送っているが、今まであれ程私に批判的だったフェティスが「音楽評論」にあげた記事も送る。明晰ないい文章だ。私はこれをウィーン音楽院のフィッシュホフ先生に訳してもらい「劇場評論」に載せたいと思っているが、君の好きなようにしてもらって構わない。(略)

ハスリンガー(楽譜出版者)の私に対する態度は許せないな。可哀想に、バカなことをしたものだ、きっとすぐに後悔することになる。まぁ、私が初めてウィーンに行った時には、よくしてくれたから、それに免じて忘れるか。彼にはもう4通も手紙を送っているのに、一度も返信が来ないって信じられないだろ?面倒をかけてすまないが、グラーベン通りに行ったら伝言を頼む。「もう二度と手紙は送らない。しかし、友人としてではなく、誠意あるビジネスマンとして、私が先日送ったスコア2つ(『ハンガリー』と『カンツォーネ・ヴェネチア』)その後どうなったのか教えてくれ」と。

実は、新しいファンタジーの宝庫を見つけて、今、没頭している;ノルマ、ドン・ジョヴァンニ、夢遊病の女…(略) 

この欧州ツアーが好評で終了したら、ウィーンで演奏したい。ウィーンではこれまで沢山の拍手喝采を頂いた。ウィーンの聴衆は、既に私の演奏を聴き飽きているかもしれない上に、知的で、真の音楽を知り、良いピアニストを聴き分けることができる人達だ。そんな手強い聴衆をも感動させるチカラが今の私にはある。

では、また、親愛なるLowy!すぐに返信をくれるだろうね、住所は6月15日まではロンドン、それ以降はパリだ。 Yours most sincerely, F. Liszt

(Reference: "Letters of Franz Liszt, Vol.1, " 1894.  Col. by La Mara, and Trans. by Bache)🔚

ノルマの回想は、こんな絶好調のリストが作った曲だった。最近の亀井くんが奏でる『ノルマの回想』の世界、まさに肩で風切って歩くリストを彷彿とさせます。亀井くんが新しく取り組む『ダンテを読んで』もとても楽しみです。そこで、ダンテにちなんだレターも探しましたが、弟子のカール・クリントヴォルト宛(後のモスクワ音楽院ピアノ科教授、ベルリンフィル指揮者)の1854年の一節しか見当たらず:「『Dante Fantasia』は、『巡礼の年』の他の曲と共に、ショットからこの秋出版される予定だから、一部君に謹呈できるよう出版者に言っておこう」と、かわいがっていた弟子にリストは書き送っていました。

亀井くんはきっとリスト殿が誇りに思う演奏をしてくれる、そんな予感がします!公演の成功を祈っています。今回も最後までお付き合い下さり、本当に有難うございました。🙇‍♀️

亀井聖矢さんの公演情報はこちらオフィシャルサイトからご確認下さい。各公演のリンクがあります↓

こちらは、ノルマの回想とラ・カンパネラが収録された亀井聖矢さんデビューCD/DVDです↓