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市井の詩伝道師です。 「『一篇の詩に出会った話』を巡る旅」記事は他サイトに引っ越しまし…

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市井の詩伝道師です。 「『一篇の詩に出会った話』を巡る旅」記事は他サイトに引っ越しました(各記事参照)。

マガジン

  • 『一篇の詩に出会った話』を巡る旅

    2020年10月刊行のインタビュー集『一篇の詩に出会った話』(Pippo編)にご登場の11名のかたがたについて、また、インタビュー時のことなど。少しずつお伝えしてゆきます。

  • 芽と耳

    めとみみの、提供するものを、朗らかに感受してゆけたらと。

最近の記事

『一篇の詩に出会った話』を巡る旅 vol.4〈 加賀谷 敦さん(あんず文庫) : 室生犀星〉

記事を引っ越しました→『一篇の詩に出会った話』を巡る旅 vol.4〈 加賀谷 敦さん(あんず文庫) : 室生犀星〉

    • 『一篇の詩に出会った話』を巡る旅 vol.3〈 右手新土さん : ボードレール〉

      記事を引っ越しました→『一篇の詩に出会った話』を巡る旅 vol.3〈 右手新土さん : ボードレール〉

      • 『一篇の詩に出会った話』を巡る旅 vol.2 〈青柳しのさん :堂園昌彦さん、佐藤弓生さん〉

        記事を引っ越しました→『一篇の詩に出会った話』を巡る旅 vol.2 〈青柳しのさん :堂園昌彦さん、佐藤弓生さん〉

        • 『一篇の詩に出会った話』を巡る旅 vol.1〈 能町みね子さん:尾形亀之助 〉

          記事を引っ越しました→『一篇の詩に出会った話』を巡る旅 vol.1〈 能町みね子さん:尾形亀之助 〉

        『一篇の詩に出会った話』を巡る旅 vol.4〈 加賀谷 敦さん(あんず文庫) : 室生犀星〉

        • 『一篇の詩に出会った話』を巡る旅 vol.3〈 右手新土さん : ボードレール〉

        • 『一篇の詩に出会った話』を巡る旅 vol.2 〈青柳しのさん :堂園昌彦さん、佐藤弓生さん〉

        • 『一篇の詩に出会った話』を巡る旅 vol.1〈 能町みね子さん:尾形亀之助 〉

        マガジン

        • 『一篇の詩に出会った話』を巡る旅
          5本
        • 芽と耳
          4本

        記事

          『一篇の詩に出会った話』を巡る旅〈はじめに〉

          *この企画・記事は、2021年6月に引っ越しました→ 『一篇の詩に出会った話』を巡る旅

          『一篇の詩に出会った話』を巡る旅〈はじめに〉

          令和の竹久夢二、あるいは、甘やかな〈幼少期〉世界の語り部。

          「幼少期」と聴いて、あなたはなにを思い浮かべるだろう。家族、友人達、もしくは、ひとりで過ごした数々の時間──映像の断片──が白い光のような靄をまとって、きっと脳裡をよぎることだろう。  それは実際にむかし見たもの、体験したものだろうか。それとも、いつかの夢で見たものか、強い憧れが現実に起こったことと錯覚したものか。あまりにむかしのことゆえ、記憶と夢のボーダーは曖昧でにじんでしまっているかもしれない。 淺川瑠未『むかしはむかし、いまはゆめ』──と題したジャバラ折りの瀟

          令和の竹久夢二、あるいは、甘やかな〈幼少期〉世界の語り部。

          井上荒野『あちらにいる鬼』と、井上光晴の詩「恋愛」考察。

          作者の父 井上光晴と、 私の不倫が始まった時、 作者は 五歳だった。(瀬戸内寂聴)――井上荒野『あちらにいる鬼』帯文より この帯文にはたまげた。 そう。これは事実を元にした創作であり、小説である。 書き手は、井上光晴のご長女で作家の、井上荒野さんだ。 ・ 白木篤郎= 小説家の父(井上光晴) ・ 笙子= 聡明で美しく、料理上手な母(妻・郁子) ・長内みはる= 小説家で光晴と不倫、のちに出家する(瀬戸内寂聴) 主要な登場人物は実在の三人と、井上家の長女・海里(=

          井上荒野『あちらにいる鬼』と、井上光晴の詩「恋愛」考察。

          「早春の武甲山で遭難しかけた話(後篇)2」

          (「早春の武甲山で遭難しかけた話(前篇) 」 「早春の武甲山で遭難しかけた話(後篇)1」の続き。最終回です) 日の暮れた、山頂にて◆18:00 苛酷なロック・土砂クライミングをへて、一般山道へ復帰できたことにまずは、ほっと安堵…の勢いで twitterに書き込む いや登山、楽しかったんですが..くだりの途中、道間違え、スゲ沢(渓流)とかいうとこまでゆき「あれ、道がない!?」となり。一般山道に引きかえそうと→また迷い(家人に、迷ったかもメールして、インドにいる人にSO

          「早春の武甲山で遭難しかけた話(後篇)2」

          「早春の武甲山で遭難しかけた話(後篇)1」

          (前篇よりのつづきです。) 山頂で、おにぎり二つを食し。 中学生男子4,5人が神社の横できゃっきゃと騒ぎつづける歓声を聴く。 二時間強はかかるだろうし、そろそろ、山を下りようと、ルートを確認。 左に「シラジクボ  小持山・大持山/浦山口登山道」 右に「武甲山山頂」とある(ゆきできた「表参道ルート」は反対側)。 春の花々を楽しみにしていたのに、ゆきの「表参道ルート」では、ほぼ花を見られなかったので、 この武甲山でしか見られない〈石灰岩固有植物〉(チチブイワザクラ他)など

          「早春の武甲山で遭難しかけた話(後篇)1」

          早春の武甲山で遭難しかけた話(前篇)

          はじめに先日、武甲山へひとりで登山した際、下山途中に道に迷い、遭難しかけた。結果的に助かったのだが、二度ほど(このまま、死ぬかもしれない)と思った。考えてみると、そんな経験をしたのは、人生で初だったし、そこで感じたこと、思ったことを忘れたくない、と。ここに記すことにした。 これは武勇伝ではなく、恥だ。 自分は、この登山で、いろいろな間違いをおかした。 けれど、それを克明に記すことで、いつか山を登るどなたかの脳裡にほんの少しでものこって、何かお役に立てることがあれば、と不遜

          早春の武甲山で遭難しかけた話(前篇)

          芸術の価値、とは。

          「落書きのような油彩画が210億円!? 高額アートのカラクリを専門家に聞いてみた」http://kindaipicks.com/article/001375 ライターの方の、そぼくな疑問にこたえるのは、「教授として生徒に美術を教えながら、作家としても数々の版画作品を発表しては世に送り出してきたアーティスト!」の方。 (ふむふむ、ふむふむ… うん、まあ、そうですよね、そうだけど、しかし。むう。えっ…? ) 三日前くらいに、この記事を読んで、なんだか、モヤモヤしてしまって。なん

          芸術の価値、とは。

          いかりについて。

          ひとは、どんなことで、怒りを覚えるのだろう。 いいえ、自分は。 振り返ってみると、「ぜったいに許すまじ!!」と、えらい怒気をはらみ。ひとにつめよって怒ったことは人生で(今すぐ思い出せるのは)、二回。 本気で怒ると、冷静に、なぜその発言がおかしいのか、なにを侮辱してるのか、その思考回路、思想、言葉遣い、などの矛盾を徹底的に、攻撃しつづけてしまう。自分がされたらかなりイヤです……(きっと泣く)。 考えてみると。いやなことをいわれたり、かなしいことをされたり。自分が傷つき、く

          いかりについて。

          少々お待ちください

          たとえば書店とか、飲食店とかで、何かたずねたり、オーダーしかけたら 「少々お待ちください」 といわれ。永遠(を思わせるかんじ)にもう来なそうなときが、たまにある。 高校位の頃か、ファミレスでバイトしてて、2ルームあり、小さいほうのBフロア(20人位)を一人でオーダー、配膳/皿さげ、レジもやるみたいな状況になったときがあり。四方八方から呼ばれ、はじめは少しは愛想よくしてたと思うが、しだいに能面のような顔で"少々お待ちください"と繰り返さざるをえなくなり、パタパタと順次対応

          少々お待ちください

          高円寺スーパー芸術論

          高円寺。この町へ越してきてもっとも驚いたのがスーパーの多彩とその豊穣さである。 おそらく高円寺に生まれ、長く暮らしているひとにとっては、それらの環境が当たり前のように思えるかもしれないが、全然当たり前ではない。歩いてゆける場所に一店きり、とくに覇気も個性も工夫もなく、その周辺にそこしかないのでなんとなく生き残っている系スーパーしかなかった、スーパー干ばつ地帯に長らく住んでいた私からしてみると。なんだこれ!マジか!この!!おぅふ…(挙動不審)。仕事帰りなどにただ夕飯の材料を買い

          高円寺スーパー芸術論

          その(1) 聖者のまなざし 11月3日(月)

          家のひとにさそわれ、「聖者たちの食卓」という映画を観る。@渋谷UPLINK。 インド北西部にある、シク教総本山。ハリマンディル・サービブ(黄金寺院)のランガル(共同食堂)では、シク教の「宗教・カースト・肌の色・信条・年齢・性別・社会的地位に関係なく、すべての人々は平等である」という教義にもとづき、毎日10万人分もの食事が無料で提供されていて。セリフもなく、ナレーションもなく、その料理/食事/食器洗いなどの風景が淡々と映しだされるドキュメンタリーだ。監督は、自らもキッチンで腕

          その(1) 聖者のまなざし 11月3日(月)