父の死

父が亡くなった。
7月10日(月)夜
東京の弟から「お父さんが施設で転倒し、顔を大怪我。救急で搬送された」と連絡。入院してすぐ肺炎も見つかり、翌日から呼吸器内科に。

7月12日(水)
授業を休校にして(それでも0校時はやった!)、日帰りで東京へ。痛々しい姿に胸が苦しくなる。認知症で動こうとしてしまうので、拘束され手にもカバーをされているし、狭い部屋の廊下側で暗い。かわいそうで置いて帰るのがつらかったが、コロナ禍で面会時間は15分と決められていた。
いろいろ弟夫婦に任せて帰沖。

7月14日(金)
弟からの報告。肺炎はウィルスではなく誤嚥性と。延命治療を望むかの選択を迫られ、姉弟で相談して「望まない」選択をする。認知症でここ数年はかわいそうなことばかりだったから。

7月16日(日)
お父さんの入院のことをお母さんに伝える。驚くがそれほどでもなく、その後なんで入院したかをすぐに忘れて何度も聞かれる。

7月18日(火)
父発熱。肺炎悪化のため、口からものを入れることをやめる。薬も飲めない。胃ろうか点滴かを選択せよとのことで、胃に穴を開けるより栄養が足りなくなる方を選択。点滴のみの栄養摂取となる。

7月20日(木)
今後は終末医療をする病院へ転院となるが、転院には時間を要するので、それを待たずに亡くなる可能性もあるとのこと。少し唖然とする。この日面会した弟は、病院の説明とは裏腹に父は元気で面白い話を連発していたと。

7月23日(日)
弟が母を病院に連れて行ってくれる。母は弱った父を見て恨んだり憎んだりする気持ちがなくなった様子。この日も割と元気で「このまま一生病院?」と疑問に思うくらいだったと弟。

7月25日(火)
1泊2日で東京に帰省。母を連れて沖縄に行く予定。GWに続き、沖縄に長期滞在して一緒に暮らせないか模索する計画。
午後、父を見舞いに。顔のアザも少し良くなり悪くない様子。

7月26日(水)
飛行機の時間にぎりぎりだけど、もう一度お見舞いに。
今朝熱が出たと看護師さんとお医者さんが教えてくれる。口から何も入れていないが、唾が入ってしまうのだとか。鼻から酸素を入れていて少し苦しそう。この後に及んで「ありがとう」という父に本当にいい人だなと思う。一緒に飛行機に乗るため病院にも母を連れてきたが時間もないので、ロビーで待っていたもらう。タクシーで空港へ。ぎりぎりセーフで沖縄へ。

7月27日(木)
病院から私に直接電話。よくない状態とのことだったが、弟が繋がらないからかけてきただけと楽観的に受け止めた。午後、弟につながり、弟と義妹が病院に行ってくれる。弟夫婦が一旦帰宅しようと病院を出て昼食を食べている間に病院から呼ばれ、父はあっけなく息を引き取ったそう。
電話を受けて私も愕然と。
施設と教会に連絡する。その後申し訳ないが、全て弟夫婦に任せることに。
家族葬で、通夜もなく7月31日(月)葬送式と決まる。
沖縄に来たばかりの母の体力を考え、30日(日)のチケットを探すも、夏休みで空きがなく、29日(土)の便を取る。

7月28日(金)
母を美容院へ。父のことはまだ言わず、行きは私が送り、帰りはタクシーを手配。夏期休を取っていたが、忌引きを取る関係で出勤。が、タクシーには乗れた様子だったのに、首からかけていた鍵がないと電話があり、急いで帰宅。美容院の駐車場かタクシーを降りたところかなとアタリをつけたら、ちゃんとマンション前のタクシーを降りたあたりに落ちていた。よかった。
夕方タイミングを見て、父が亡くなったことと、だから明日東京に戻ることを伝える。混んでいて母のチケットが上手く取れないので、一緒に空港へ。考えていた便より一つ早い便に変更になったが無事チケットをゲット。

7月29日(土)
朝、学校で必要なものを全て持ち、車を学校に置かせてもらって空港へ。羽田には弟夫婦が迎えに来てくれて、その足で教会に安置させていただいている父の顔を見に行く。
昭和医大→三光教会と最短ルートで送る私たちの労力を最小にしてくれている父がすばらしい。口も目も開いてしまっていたのを葬儀屋さんが閉じてくれたとのこと。

7月30日(日)
朝礼拝へ。もう一度父の顔を見る。

7月31日(月)
12:30 教会へ
13;30 葬送式 中川先生のお話に初めて少し涙が出る。弟はかなり泣いていた。
14:30  桐谷斎場へ お父さんは骨がとても多いらしく骨壷いっぱいになった。祖母の時もだったら立派な骨だと褒められた。ペースメーカーや銀歯が残っていて少し面白い。
17:00  一旦弟の家へ。台風で帰れなくなりそう&体験学習を中止にするとのことで対応に追われる。しみじみするゆとりなし。
18:00  母、弟夫婦、姪、甥、いとこで会食。みんな揃って楽しい時間だった。

8月1日(火)  
弟はこの日まで忌引きをとっていて、いろいろな手続きをしてくれた。私は父の部屋を少し片付け。夜は母と弟夫婦で近所のお蕎麦屋さんへ。穏やかで楽しい時間だった。

8月2日(水)
この日の朝沖縄に戻るチケットをとっていたが、台風で帰れず、帰れるチケットの予約にてんやわんやする。今回の台風6号はブーメランのように戻ってくる進度なので、一旦去る3日4日になんとしても帰ると必死で全ての便を予約。

8月3日(木)
乗りたかった6:15発の便は欠航になるも、14:30をゲット。11時くらいの便が飛ぶというので、飛んでるうちに一つでも早い便を取ろうとすぐ空港へ。1時間くらい並んで13:05をゲット。揺れも遅れもせず15:40無事那覇に到着。
その足で学校へ。いただいたお悔やみへのお返しなど渡し、簡単にご挨拶して帰宅。ねこたちは、台風の中もお世話してくれた友人のおかげで無事。途中停電したようだったが、電気も水道も問題なく、被害は全くなかった。

8月4日(金)
夏の特別授業を形を変えて行う予定だったが(海での体験学習だったが台風の影響ため)、台風の影響が残るためこの日は生徒を登校させないとの判断のため中止に。あれこれ対応し、1日が終わった。

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