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沖縄の久米島で3年間暮らし、2021年より沖縄本島の学校で働いています。かつては、東京…

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沖縄の久米島で3年間暮らし、2021年より沖縄本島の学校で働いています。かつては、東京で中高生と一緒におしゃべりしたり、大笑いしたりを生業にしておりました。沖縄のこと、中高生のこと、つぶやきます。

最近の記事

2023年のできごと

振り返ると本当にいろいろあった2023年だった。 まず、年末年始は母が沖縄に来た。この頃から少し長く滞在し、私の中には願わくはこちらに住んでくれないかという思いがあり、一方母がそんなことを承諾するわけがないということもわかっていたが、穏やかに二人で過ごす時間に、もしやという気持ちにさせられた。 2月には、修学旅行の引率。とても貴重な経験だったけど疲れることも多かった。 3月は、まず久米島高校の卒業式。式には参列せず出待ち。ほとんどの生徒を知っている学年だからお祝いに行けて

    • 2023年度志望理由書備忘録②

      今年の推薦入試のお手伝いがほぼ終わりつつあるので、振り返りをしようと思います。 今年は、強化指定の部活動に所属する生徒がほとんどであるクラスの授業を担当し、その生徒たちの推薦入試のお手伝いをさせてもらいました。 最初の生徒は、野球部の主力選手。県内の大学からスカウトされスポーツ奨学生の総合型選抜。 「甲子園に行くために興南に入り、厳しい練習にも耐えた」 「勝てない時期は、全員で話し合って、授業中も集中力を切らさない練習をした」 「甲子園には行けなかったが、最後までやりきっ

      • 2023年度志望理由書備忘録①

        今年度の推薦入試のお手伝いがほぼほぼ終わりに近づいてきました。 と言っても、私は本来やるべきでないお手伝いを勝手にやっていたので、組織の中ではよろしくない行動をしていたことになります。 今日は、何度も「やらなくていいです。断ってください」と言われながらやり続けた理由を記録しておきます。 予備校講師時代、志望理由書の添削は仕事としてやっていました。早慶、上智などたくさんの志望理由書を手伝う中で合格するための書き方とそれを書いてもらうための指導について10年以上経験を積みました

        • 父の死

          父が亡くなった。 7月10日(月)夜 東京の弟から「お父さんが施設で転倒し、顔を大怪我。救急で搬送された」と連絡。入院してすぐ肺炎も見つかり、翌日から呼吸器内科に。 7月12日(水) 授業を休校にして(それでも0校時はやった!)、日帰りで東京へ。痛々しい姿に胸が苦しくなる。認知症で動こうとしてしまうので、拘束され手にもカバーをされているし、狭い部屋の廊下側で暗い。かわいそうで置いて帰るのがつらかったが、コロナ禍で面会時間は15分と決められていた。 いろいろ弟夫婦に任せて帰沖

        2023年のできごと

          母の日に

          4月末から約3週間東京に住む母と沖縄で一緒に過ごしました。 母は85になりますが、足腰はかなり丈夫でこれまでも2回沖縄の私の住まいに来てくれています。 認知症が進み、夜1人でいることで妄想が進むように思えて、高齢者にとって環境の変化は良いことではないと承知していましたが、気候も良く親切な人も多い沖縄で一緒に過ごすことはできまいかと帰りのチケットを用意せず、嫌になるまで一緒に暮らそうというのが今回の計画でした。 事前にいろいろ調べて、他県から来た人も高齢者サービスを受けら

          母の日に

          2023年度(令和5年度)定年を迎えます

          いよいよ定年を迎えます。 といっても、今の職場はまだ2年目ですし、一年契約の常勤講師なので、もしかしたら定年はないのかもしれません(よく知らない笑)。が、キリも良いのであと1年3ヶ月と決めて、最後の年度を過ごそうと考えています。 2022年は、那覇市の中学校で教員二年目。一年目は新しい職場に慣れるのに精一杯だったので、育休代替担任や総合学習のコーディネートなどチャレンジしてみました。特別評価されはしませんでしたが、来年度も雇っていただけることになり、最後の一年も自分のできる

          2023年度(令和5年度)定年を迎えます

          離れていてもつながれる

          久米島から沖縄本島に転居して2回目のお正月、沖縄生活はトータル5年目になります。老親と離れて暮らしているので、いろいろ心配で沖縄の生活をあきらめて東京に帰るか、なんとか老親を沖縄に呼び寄せる方法はないものかといつも考えています。 そんなこの年末年始、クリスマスに帰省した際に母を連れて沖縄に戻り、年末年始9日間沖縄で一緒に過ごすというチャレンジをしてみました。今回はその際利用させていただいた便利サービスを備忘録として記します。 【JAL搭乗サポート】 https://ww

          離れていてもつながれる

          アドベント

          人にする話ではないと思っていましたが、2022年アドベント、イエス様のご降誕に向けて世界の皆様に相談します。 沖縄の離島に移住し、3年経とうという頃、島に残るか東京に戻るかで迷う中で、父が認知症になりました。島に残るか東京に戻るかの二択だったのに、那覇に移るという結果になって、ほどなく母も認知症になりました。 沖縄に来ると決意した時から老親問題はあり、自分のわがままで移住するからには、2ヶ月に一度は帰省して両親の様子を見ることを自分に課し、実行してはいました。が、二人ともと

          アドベント

          必要とする人に与えられる必要な場

          オンラインでおしゃべりの場をやっている。 適当に声をかけて集まった人たちで適当にしゃべる。みんな私のお友達だが、お互い同士は知らない人もいる。そんなところで話すことあるのかなーと腰がひけてしまいそうだし、開催した私自身もうまくいくのか全く自信がなかったのだけど、やってみるとなかなか良い場になった。 1回目 参加者は四人。 初めに自己紹介をして、その後は流れに任せて自由なおしゃべりにしたのだが、20代の若者が今の仕事や今後についてのぼんやりした悩みを打ち明けると、他の参加者

          必要とする人に与えられる必要な場

          「3年が境目らしいですよ。3年いたら、ずっと沖縄にいます。」 先日、移住20年の大先輩の方が言っていた。久米島から本島に移りはしたけど、沖縄生活5年目に突入。ずっといられるかなぁ…。

          「3年が境目らしいですよ。3年いたら、ずっと沖縄にいます。」 先日、移住20年の大先輩の方が言っていた。久米島から本島に移りはしたけど、沖縄生活5年目に突入。ずっといられるかなぁ…。

          ここで活躍すべき人たち

          久米島での3年間の生活に区切りをつけ、沖縄本島に転居して1年経った。 久米島での3年間は、「生活は最高、仕事は微妙」 【生活は最高】 冬でも暖かい気候、しっとりした空気、エネルギッシュな強い日差し。いつでもばしゃばしゃ入れる美しい海。出かければ必ず知り合いに会える、けどちゃんとプライバシーは守られる人との距離。美味しい島野菜や果物。人懐こいこどもたち。休日もしょっちゅう生徒たちに会うけど、当たり前に手を振って挨拶、保護者も知り合い。こんな幸せな生活があるんだなぁと。

          ここで活躍すべき人たち

          改めて「私の願い」

          沖縄で4回目のお正月を迎えました。 50代半ばでやりがいのある仕事を捨てての移住は不安もたくさんありましたが、暮らしは本当にとても快適で、2、3年の予定が延長戦に入っています。 何より気候が温暖であること。寒さに弱い私には、暖かく湿度が高い沖縄の冬の快適さからは離れ難いです。 そして、人が温かいこと。日本という島国の中でもさらに小さな島である沖縄の人たちは、お互いを傷つけないようにして生きてきています。もちろんそれによるマイナス面もあると思いますが、私にはそれがとても心地

          改めて「私の願い」

          沖縄暮らし

          何度も転職し、いきなり沖縄の離島に移住しちゃった私が「私は我慢強いです」と言ったら、自己認識が間違っていると指摘されそうですが、20代半ばから「小さな島の先生になりたい」と考えながら、54歳まで我慢したのだから、自分では我慢強いと思っています。 島に行きたい気持ちを抑えるために、 ・東京生まれ東京育ちの私に不便な生活できるわけない。 ・狭いコミュニティは息苦しい、耐えられるわけがない。 と自分に言い聞かせ、東京生活を楽しむ努力をすること30年余、最後はねこを2匹飼うこ

          沖縄暮らし

          どんな人を育てたい つづき2

          もう一つ、私が前任校でとてもがんばったのが修学旅行だ。これについては勤務校で紀要に載せていただいたので、ここでは簡単に。 勤務校の高校修学旅行は、長崎をメインとする九州で、テーマは「自然」「平和」「隠れキリシタン」だった(キリスト教の学校)。 例年、生徒たちに課題図書を読ませて感想文を書かせたりすることを事前学習としてきたが、「やらされ感」いっぱいの事前学習を変えたいなと思い、なんとか行き先に対して「行きたい!」という強い思いを持ってワクワクの修学旅行にできないものかと考

          どんな人を育てたい つづき2

          どんな人を育てたい?つづき

          そんなわけで、「広い視野と自分のものさしを持った人」を育てるという目標で国語の授業をやってきた、そんな私がわくわくして取り組んでいたのが、数年前から始まっている課題解決型学習や探究活動だ。 先進的に取り組んでいらっしゃる先生方から学んで、いくつかの活動をしたので、紹介したい。 「熊本地震応援プロジェクト」 京都の立命館宇治高等学校の生徒さんがYouTubeで支援を呼びかけているのをたまたま見たのはたぶん秋頃。担当学年の全クラスに「これやってみない?」と呼びかけると、ほぼ

          どんな人を育てたい?つづき

          どんな人を育てたい?

          学生時代、教員になるか否か迷っている友人は多かったし、私もとても迷っていた。ある日友人が教授に相談に行ってもらってきた言葉が 「教科を通じて人間を育てる」 という言葉だった。 国語の先生は漢字や文章読解を教えはするけど、それが目的なのではなく、その教科を通じて人を育てていくのだと。 その言葉から友人は教員の道をやめてCAになり、私は友達づてに聞いたその言葉で教員になった。以降学校で教えたり、塾や予備校で教えたり職場はいろいろ変わったが、その言葉はいつも私の根幹にある。

          どんな人を育てたい?