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顔が見える科学!大賛成です。科学道100冊2019選書会議を見て感じたこと

noteを毎日書く2021年12月にしたいなと思う19日目!本日はこちらの動画を見て、同意できたことに関して紹介しておきます👇

動画の1:00前後で、編集工学研究所所長の松岡正剛さんがおっしゃっている言葉が印象的でした。

日本のこども達や若い人たちが科学者の名前を知らないことは非常に問題だと思います。それは一種のラベルというより、物語の主人公なので…

動画を視聴していて「これだー!私も思っていた!」と激しく同意できたので本日紹介しようと思った次第です。

科学道100も素敵な本がたくさん紹介されているので、別記事で読んだことあるものなど紹介したい次第です

科学教育を振り返って

みなさん科学者の名前を何人言えますか?10人?20人?パッと言える人は少ないことでしょう。大体の方はオームの法則の「オーム」がどのような人物だったかは知らないと思います。(現時点で私も知りません…)

名前は知っていても、その科学者が幼少期どのような生活を送っていたのか?などになると、知っていることなんて皆無のように感じます。

顔を知っていると何が良いのか?

松岡氏が「名前」という言葉を使いましたが、その本質は人物像のことを指していると捉えています。

科学者がどのような性格の持ち主で、新たな発見に対してどのように向き合い、どのように苦難を乗り越え発見に至ったのか。それらをもっと指導するべきだと主張しているのでしょう。少なくとも私はそう考えます。

オームの法則

オームの法則を聞いたこともない人はいないはず。中学2年生くらいの理科で学んだはずです。そう$${V=IR}$$とか$${E=RI}$$とかいうやつです。いずれにせよ$${R}$$の「抵抗」の単位「オーム(Ω)」の由来ともなっています。

ほとんどの人がショパンやモーツァルトの顔を知っていたり、見分けられるのに、オームの顔を知りません。ましてや彼がどのようにしてオームの法則を発見したかなど知る由もありません。

上記の公式や定理、法則の結果だけ知って計算すること、できることが大切なのはもちろんですが、科学者が何か新しい発見をするときの姿勢を知ることは、科学教育においてもう少し重要視しても良いのではないか?ということを最近強く感じています。

科学史を知ることが、理科教育において重要です。

ゲオルグ・オーム

Wikipediaから拝借しました👇

ゲオルク・ジーモン・オーム(独: Georg Simon Ohm)

かっこいいですね。さてさて、生い立ちを見てみましょう。

オームの兄弟は幼いころに何人か死んでおり、大人に成長したのは3人だけだった。その生き残った1人がゲオルクであり、弟のマルティンも後に数学者として名をなした。母はオームが10歳のときに亡くなった。

WIkipediaより

凄まじい。。。1789年フランス革命の後、大人に成長できる確率がこのようなものだったのでしょうか…今では考えられませんね。

オームの法則の発見

中略)この業績は後の電気回路学とその応用に重大な意味を持っているが、当時の学界の反応は冷ややかだった。興味深いことに、オームはこの理論を近接作用と考えており、遠隔作用ではないと考えていた。

Wikipediaより

新しい発見につきもの「反応が冷ややか」、ウェゲナーの大陸移動説然り、新しい説には周りの理解が追いつかないことは、むしろ自然なことなのかもしれません。

そもそも電気に関する研究は

1800年前後に盛んに解明されたようです。今、当たり前のように恩恵を受けている電気の歴史がたった200年前ほどのものだなんて想像もしませんでした。

電気に関する歴史を簡単に追うと次のようになっているようです。

  • 紀元前600年ごろ(ミレトスのターレス)
    琥珀を毛皮で擦ると羽毛が引き寄せられた

  • 17世紀
    電気は熱や磁気と同様液体のようなものと考えられていた

  • 18世紀
    電池の開発など、電気に関する研究が加速した

  • 19世紀
    電気と磁石が関係すると考えられた電磁気学の発展

おわりに

今日もだらっと歴史を振り返るだけの記事になってしまいましたが、何気ない知識、科学に顔が見えるようなアプローチがいいのではないかという方向性が見えてよかったです。終わり方が強引ですが以上です。バイバイ!



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