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【おっさんの戯言】うちの子ら…

思えばうちの子ら…

あっという間に育ってしまった。

実際は第一子の長男が生まれてから20年が経とうとしてるのだから、あっという間のわけはないのだが…

 うちの子供たちには、中学生になるまでは厳し目の躾けを施したり、勉強の意味とか読書の大事さ、楽しさ、遊びの楽しみ方、などなどを私なりの価値感で教えたりしていたが、中学進学後は、人生に於ける口出しや指示は一切出していない。問われればアドバイス的なことはしたが、決断は一切合切、本人に任せたし、させた。なにかやろうとしてる事を止めたことも、反対したことも一度もない。まぁ予想されるリスクと注意点くらいは教えることはあるが、やるやら無いやどうやるかなどは本人に判断させてきた。妻もこの方針を尊重し、賛同してくれた。

親はなくとも子は育つ。

という諺があるが、子育てをしてみて、その諺の意味を実感したし、意識して実践していた。

 子供達が幼少期の頃には、人としての基本を、自分が持ち合わせた範囲で、かなり厳し目に躾けてしまったが、思春期の頃からは一般的にいう親としての立ち位置から離れ、人対人の付き合い方をした。

親目線での口を一切閉ざしたのだ。

なので中学進学以降は、人対人としてのいさかいを子供とすることはあるが、叱りつけるなどの行為はしたことが無い。

そして、それは中学進学と共に子供たちにも宣言したことだった。

「子育ては昨日で終了。今後、独り立ちするまでのお金は支払うが、今日からは、お前の人生には一切口出しはしない。自分の人生、自分の責任で生きなさい。」

と言うようなことを告げ、本当にそうした。

子供たちが勉強しようとしまいと、遊ぼうが遊ばないが、やる事、やろうとする事、一切合切に口を挟むことを辞めた。

その後より、彼等は自分の判断で、自分の選択で、自分の意志で、自ら行動せざるを得なくなった。

当然、共に生活する上での制約や責任、経済上の制限などは当たり前に課せられたが、彼らの行動を縛る口出しや指示は与えられなくなった。

これが我が家の子離れだったのかも知れない。

 子供達は初めは戸惑い、指示を仰いでくることもあった。けれど、私達は決して指示は与えなかった。与えたのは私達の経験と価値感による助言のみ。あくまで自分の判断で行動させた。しかし、半年もすると、慣れてしまったようで、あからさまに指示を仰いでくるようなことはしてこなくなった。

そして子供も親離れを終えたのだった。

 それで結果的にどうなったかというと、私よりも真っ当な生き方で生き始めている二人がいる。

 息子は「高校生活を犠牲にしても大学へ進学する事を第一の目標としたい。」と宣言して、厳しく勉強を指導するという事が売りの、自宅から100キロほども離れた地域の、県立高校への進学を希望し、本当に3年間の高校生活をほぼ勉強のみに捧げた。そして晴れて念願の大学生となり、こんな御時世ではあるが大学生活をエンジョイしている。

私は高校2年生の年に勉強する事を辞めてしまい、のらりくらりとなんとか正規の5年で高専を卒業するという事が精一杯だった…

 娘は中学入学の頃から、「警察官になって白バイ隊員を目指す。」と言い始め、高卒での採用試験には落ちたが、専門学校へ進学し、頑なに警察官を目指している。

私は40歳を過ぎた今頃になって自分が本当にやりたい事を見つけた気がして、やっとその方向に向けて歩み始めたところだ…

 そんな二人に、私が親として望んでいる事は、
ただひとつだけ。

「自分自身の心から
     自分は幸せだと思える
           人生を生きてほしい」

この一点のみ。

 そして、二人共がこの望み通りの生き方を生きてくれるであろうことを、私はなんの疑いも、なんの心配もなく信じている。

 子供の人生を、その本人に全て託したあの日からずっと。そして、この先も変わることなくずっと。

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