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高校受験の思い出

私は福島のド田舎出身だ。

子どものころから全く勉強をしていなかったが、周りの子どもたちもそんなもんだったと思う。

家の近くには偏差値40あるかもあやしい高校しかない。

隣町にある偏差値55の高校が頭いい認定されるという、そんなレベルの町で生まれ育ったのだ。


で、中2の冬。

勉強とは無縁でモンハン2Gばかりやっていた。

ある日、ふと「このままじゃ来年の受験やばくね?」と思った。

ポストに進研ゼミの勧誘の手紙がたまに入ってたから、じゃあこれでも始めるかと。

志望校をどこにするかだが、どうせ目指すなら難しい高校にしようと決めた。

福島は会津・中通り・浜通りの3つに分けられる。

私は浜通りに住んでたんで、そこで一番難しいと言われていた磐城高校(偏差値65くらい)を受けることに決めた。


とりあえず本屋に行って薄い問題集を5教科分買ってやった。

それと並行して進研ゼミも。

田舎で周りのレベルも低いこともあり、成績は急激に伸びた。

中3の夏には学年で1~2位になっていた。


中3の秋頃に進研ゼミは中学校の範囲が全部終わるんで、それからはかなり暇だった。

余裕で受かる点数には達していたし、勉強することもない。

あまりにも暇だったから、進研ゼミの高校パンフレットを取り寄せまくって読んでいた。

その頃は、その高校に在籍する生徒が書いたパンフレットをタダで取り寄せることができた。

なんで、灘とか開成とか、ありえないような高校のパンフレットを大量に申し込んで読んでいたのだ。


で、迎えた受験当日。

結果的には落ちた。

本番の緊張のせいか、部屋の暖房が暑かったせいかはわからない。

母親と一緒に見に行ったのだが、私が結果を見る前に「ない」と母親に言われ、めちゃくちゃ腹が立ったのを覚えている。

先に言うんじゃねぇ!


それからは3期という、バカ救済枠の受験をして某高校に入った。

第一志望に落ちてやる気が無くなっていたし、高校生活はものすごくつまらなかった。

結局そこは途中で辞めてしまう。

今思えば、あの時第一志望に受かっていても途中で辞めてただろう。


私は受験という点取りゲームが好きだっただけだと思う。

受験は成績が上がるごとに順位も急激に上がって刺激的だった。

高校生活はマンネリで退屈だった。

大学受験という次の受験が控えてはいる。

だが、田舎の高校の授業なんてゴミみたいなもんで、独学で勉強した方が効率的とずっと思っていた。


今の自分が中学生にアドバイスするとしたら、「今は自分がしたいことをやっておけ」と言いたい。

勉強でも部活でも恋愛でもなんでもいい。

高校がどこかなんて、その後の人生ではどうでもいい。

学歴で大事なのは大学名だけだ。

自分が今中学生に戻れるなら、恋愛に全振りする。

バランスよくやろうが、1点集中しようがどっちでもいいが、人生は1回きりしかない。

あとで振り返った時に後悔しない選択をするのが一番だ。


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