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【裏レポート】理想の組織探訪~島根電工編

数字では見えない企業の価値を伝え、新しい就業先の選択軸を伝える「人を大切にする企業」特集。
全5回の最終回は、島根県にある島根電工㈱に行ってきた。

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島根電工は、公共施設の電気設備の設置等を行ってきた設備工事の会社だが、2000年以降公共事業が減少の一途を辿る中、個人宅向けのサービスを増やして成長を続けている会社だ。
また、週3日のノー残業デーや、子育て支援も手厚く、離職率1%と、働きやすさの代表のような会社となっている。
人口が少ない山陰地方、減る公共事業、不利な条件をあげたらきりがないが、そんな中でどうやって業績をあげ、社員の幸せを実現しているのか。なぜ転換できたのか。
考えれば不思議なことだらけだが、その秘訣を学びに行ってきた。

社員の会社

窓から宍道湖に注ぐ川から見える美しいオフィス。
始めに人事担当の山本さんが応対してくれた。

島根電工はグループ全体で600人の会社で、島根・鳥取を中心に多くの営業所を持つ、島根ではとても大きな企業だ。
「住まいのおたすけ隊」といって、一人暮らしの高齢者の家で電球の取り換えから行うような個人向けサービスを行っていることで有名で、現在は全国にフランチャイズ展開もしている。

現社長は社員出身。創業家は引退すると退き、役員OBは退社する際に権限を残さないので、現役社員が9割以上の株を持つ、名実ともに「社員の会社」だ。
先輩社員が新卒社員をマンツーマンで育成するビッグブラザー制度(B・B制度)は50年も続き、先輩が仕事から私生活までサポートにのる体制が築かれている。
社員旅行はほぼ全員参加するらしい。

山本さんは臨床心理士で刑務所に勤務していたそうだが、父親がこの会社の社員で、運動会で社長と話をしたのが縁でこの会社に来ることになった。
家族的な会社だ。

時間が来て、経営者インタビューを行うために、応接室に場所を移す。


応接室に、社員と同じ作業服に身を包んだ荒木社長が現れた。
名刺交換をして、挨拶をして対面に座る。取材の意図を説明する。

社長は仏頂面。口を開かない。
あれ?

後で聞いたことによると、事前に送った取材依頼書がいけなかったらしい。そこには、聞きたい質問(会社の理念や制度の内容やできた背景等)を箇条書きにして書いていた。
島根電工の成功を聞きつけてたくさんの取材が訪れ、制度や仕組みの話を聞いてくるが、大事なことはそこじゃない。社長はそういった取材にうんざりしていたようだ。

沈黙が流れた後、僕は聞こうと思っていた質問は全部飛ばした。

この特集を何回かやっていて、インタビューで自分なりに大事にしようと思っていることがある。
インタビューは対話なのだ。こちらが聞きたいことを聞いても意味がない。
インタビュー中に聞き手側が気を付けることは、対話の温度だ。いかに相手に話したいことを熱を込めて話してもらえるか。
エンジンがかかるスイッチを探して押すことだけを考えるようにしている。その方が結果的に真に迫る話をしてもらえる。

自分「僕は、地方の会社の魅力を伝えて、地方で働く人を増やしたいんです。」
社長「そんなことできないよ。」

荒木社長のトークは、政治への苦言と、企業経営の在り方についての話から始まった。

農耕型の経営

東京にいれば、今は景気が良いことになっている。「昨年度の決算が最高益!」そんな話もよく聞く。
だがそれは大企業の話。スーパーゼネコンも、震災以降、オリンピックまで続く需要により大きな利益を叩き出す。

でもその利益はどこから来ている?

企業の利益を上げるのは、単純に言えば売上を上げてコストを下げればいい。一次受け企業は、多くの案件を受注し、下請けを買い叩けば大きな利益を出すことができる。
安倍首相の話では、トリクルダウンが起こることになっている。でもそれは高度経済成長期の話。
小さくなっていく経済圏で、地方の下請けは相変わらず喘いでいる。

この地域の大企業である島根電工は、その収奪型の成長をとらなかった。
安い事業者は使わない。価格も下げない。適性価格で地域のパートナー企業と共に栄える道を選んだ。
「今のサービスも、価格を下げて案件を増やした方が、うちとしては総売り上げは確実に上がる。でもその道はとらない。何のために事業をやっているのか。そこを外してはならないんだ。」

公共事業という元の需要は30年前と比べて大幅に減った。
代わりに、当時は見向きもされなかった小口の個人案件を増やし、売上はバブル期の2倍になっている。
これまでになかった「顧客を創造」したのだ。

「農業型の経営」荒木社長はそう言ったが、無視されていたニーズを拾い集めて土を耕し、事業を育て、以前はなかったエコシステムを作りあげた。

「考える社員」は育てられるか?

会社が大事にしていることを説明してくれた紙には、1に社員、2にパートナー企業、3に顧客、4に地域、5に株主とあった。

ネッツトヨタ南国でもこの順番に違和感を持った。最も顧客を大事にする会社がなぜ顧客より先に社員を掲げるのか。
その疑問に荒木社長は会話の中でサラッと答えていた。「自分が大切にされてなかったら、お客さんのことを大切にできるわけがない。」
荒木社長が最近出した著書の名前は、「不思議な会社に不思議なんてない」だが、その名の通り、当たり前のことを当たり前にやっているだけだった。残業時間の短縮も、手厚い子育て支援も、あがった利益を惜しげもなく社員の賞与に還元していることも。会社が社員を大事にしなければ社員が顧客を大事にできるわけがない。

見ればわかる。でも人間は見たいものしか見ていないことがいかに多いことか。疲弊している社員に「もっと顧客志向を」と平気で言ってしまう。

荒木社長は、30年前の管理職だったころから、市況が変わって公共事業だけではやっていけなくなることがわかっていた。
現状を見たからだ。
でもわかっていても変えられないのが人間だ。短期的には大丈夫、仕事はあるので、従来のやり方を通してしまう。顧客と関係を築き、大型案件を受注し、粛々と仕事を進める。
個人向け事業の拡大を提案したとき、経営陣からは「そんな小口案件が事業になるか」と反対された。荒木社長は、表面上は平伏しながら、地道に個人向け事業を育てていった。
そして今は公共事業の減少分を補って余りある売上を占める。

元々は普通の電設会社だった島根電工。
同様の会社は全国に何十万社とあり、ほとんどが公共事業に依存する。
なぜこの会社は変われたのか。なぜ社員はついてこれたのだろうか?

大きな工事では、顧客と接する機会なんてない。一方、個人向けのサービスでは常にエンドユーザーと接するので、対応する人が商品でありサービスだ。社員全員が会社の顔であり、一人が信頼を損ねれば会社全体の信頼を損ねる。
建設業がサービス業に転換したのだ。顧客一人一人に向き合い、自ら考えて対応できる社員が必要となった。

ここで難しいのは、考える社員は、教えても育てられないということだ。どんな場合にどんな対応をするか、全てのパターンを覚えることはできない。上司が全顧客の顔を見て指示を出せればいいが、そんなことはもちろんできない。
社員一人ひとりが考えて適切なソリューションを提供できるようになるには、体験させ、考えさせ、自ら改善して身に着けて成長していく他ない。

荒木社長は、サービス業を行うためには、顧客を観察し、高い感度で反応できる感性が必要と考えた。
そこで感性を磨くための研修を始めた。
島根電工では、新入社員から幹部に至るまで、練り上げられたありとあらゆる研修があるが、感性を磨くために、わざわざバカラのグラスまで購入し、違いに気づくための練習をするという研修があるという。

島根電工のスローガンは「期待を超える感動」だ。人間は、期待を超えるサービスが行われたときに感動する。それはリッツカールトンから学んでいるといい、社員は自主的に勉強会を開いて学んでいる。

事業の転換についてこれなかった社員は退職したのかと問うと、そうではなく、今でももちろん公共事業の仕事があるので、従来型のビジネスが合っている社員はそちらへ、個人向けサービスへと転換できた社員を新事業へ振り分け、そちらの人員を増やし、バランスをとった。


午後は社員にインタビューをさせてもらった。

20代の彼らは、まだ社会に出て年数も浅いが、立派に島根電工の看板を背負て活躍していた。

施工管理の社員は、現場を見て、作業のプロセスを組み立て、デバイスから部署全員が共有するチャットに内容を打ち込むと、すぐに「もっとこうしたらどうか?」という提案が先輩や同僚から舞い込むという話をしてくれた。
同僚や後輩に関心を持ち、常にフィードバックを行うのは全社共通の文化になっており、B・B制度の時期が終わって独り立ちしても、常に相互の改善行動が行われる。
経理を担当する女性社員は、「このやり方無駄があるからもっとこうしないか」という提案が先輩からなされ、すぐに導入されたというエピソードを語ってくれた。一見ルーティーンに見えるバックオフィス業務ですら、提案と改善が日々なされている。
とりあえず良いと思ったことはやってみて、ダメだったら戻せばいい。「これまでこうやってきたから」と、先輩社員が既存のやり方に固執して反対することはなく、若手であっても提案でき、良いものは試されるという文化が根付いている。

「会社に入ってから自分が一番変わった点は何か?」
と彼らに問うと、技術職の男性社員が、「自分が島根電工の代表だと思って仕事をしているので、それが変わった」と答えた。

無数の工夫と改善が日々繰り返され、その中で自主性と感性の高い社員が育っていく。

「考えろ」と言って考える社員が育てば苦労しない。言ってできるようになるものではない。
この会社は、「考えろ」と怒号を飛ばす代わりに、観察するためのセンサー(感性)とフィードバックし続ける環境を授けて、社員を考える人間に変えたのだと思った。


撮影のためにオフィスに入らせてもらうと、社員のデスクに帰る時刻を告げるカードと、鏡が置かれていることに気が付いた。
あの鏡は何のためにあるのか尋ねると、電話しているときの自分の表情を見えるようにするためだと言う。

僕は、20代の頃、オフィスで電話をしている時に足を組んでいて上司に怒られたことを思い出した。
何を怒られているのか当時はよくわからなかったが、今はよくわかる。電話中は、驚くほど電話先の相手の表情や姿勢が「見えて」しまうものだ。

ここは、恐ろしく感性が働き、人間を知っている職場だった。


観察と自己変革

社長のインタビュー中、急に「君の夢はなんだ?」と逆に質問をされて面食らった。
「地域の企業の魅力を伝えて、地域産業の担い手を増やしたい。」とドギマギしながら答えると、「0点。」と言われた。
「今やっていることの延長上のことを答えても仕方ない。それは目標だ。夢とは、延長上にないことを言うものだ。」

延長上で考えていたら、島根電工の事業転換はできなかった。本気で建設業からサービス業に転換しようとしたら、発想を変えないと実現できない。

荒木社長は、そう遠くない未来に、新入社員が、「なぜうちの会社は『島根電工』という社名なんですか?」と質問する例えで話してくれた。「昔、電気設備を敷設するという仕事をやっていたんだよ。」と答える未来が来るかもしれない。笑いながらそう語った。
衛星で電気が飛ばせるようになったら、今の電気工事はなくなる。そんな将来が訪れることは十分あり得ると。

荒木社長は、会社の中長期計画はたてない、たてても意味がないと言った。
1~2年先のことだってわからない。
大事なことは、計画どおり進めることではなく、現状を見て、必要なことを考え、事業も組織もそれに適応させていくことだと言った。
最も強い者ではなく、最も適応した者が生き残る。
島根電工はしなやかに進化する。

話を聞いていて、荒木社長は右脳で経営する人だと思った。
どうしてそんな風になったのか聞いたら、高校生まで画家を目指していたのだという。やっぱり!
デッサンに自信はあったが、色覚異常だったためにデザインに自信がなかった。画家になれればいいが、それで食べられなかったときにデザイナーを選ぶことになる。デザインでは、色彩のハンデは致命的だ。
そう算段して、人生を大きく転向することにしたという。
アートと算盤。正に、といった感じだ。

そんな社長、20代のころに、仕事に職場に悩み、どうにも嫌になって失踪し、3か月間無断で欠勤したことがあるらしい。石垣島に行って毎日海を見ていたそうで。。
家族から捜索願いを出すと言われて帰ってきて、退職の挨拶に行ったら、「明日から来れるのか?」と言われて「明日から出社します」と答えてそのまま戻ったそうな。
そんな人を社長にする会社の度量もすごい・・。

荒木社長は、フランチャイズの会社の社長に社員を変えるにはどうしたらいいか問われて、「まずあなたが辞めることですね」と答えたそうだ。
「会社の失敗はトップの責任。会社の成功は社員のおかげ。」
急に厳しい表情をするとそう言った。

「社長の仕事は文化をつくること。制度や仕組みを作ったところで変わらない。むしろうまくいってない会社が島根電工の制度や文化をまねたら崩壊するよ。」
制度に甘えない、自ら律して考える社員が育っていて、初めて島根電工の寛大な諸制度は機能する。これが、そういう文化がない会社が制度だけ導入したら、崩壊するのは火を見るより明らかだった。

「舞台さえ作れば社員は自分でやるよ」
その言葉は会社が証明していた。

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5社の取材を終えたが、振り返ってみると、濃淡はあれど、驚くほど共通点があった。

・社員を大切にしている。むしろ社員のために会社が存在している。
・社員が、本業(メイン業務)とは別に他のことを行っている。それが外の視点の獲得と自己成長に効果的に作用する。形は、会社によって、ボランティアだったり、部署横断のプロジェクト活動だったり、新商品企画であったりするが、プロジェクト単位で実施するところ、全て自主参加であることが共通している。
*これは、近年東京で言うパラレルキャリアや兼業推進が狙う効果と同じ効果をもたらしていると思う。優れた会社は社内で昔からこれを行っていたことがわかる
・「何のために働くのか」という問いを社員に必ず投げかけて考えさせる。
・人間のことを理解している。恐ろしいくらい理解している。それに合わせて社内の仕組みや制度がつくられている。
・社員が自主的に考えることを促す仕組みが機能している。
・制度があるからよい組織になっているのではない。制度が成り立つ文化ができている。その文化とは、社員が自主的であること。他の社員も自主的であると信じられること。相互にフィードバックし合い、変化していること。その結果信頼関係が築かれていること。

以上のような特徴がみられる。

強い組織は、よく周囲を観察し、受け取った情報に適合させて自己変革を繰り返している。それを社員もやっているし、会社自体も行っている。

経営者は、組織の目だ。その目は、組織の外部と内部に開かれている。
社会が変化している現実を受け止め、それを組織にフィードバックし、変化を促す。
事業を変化させ、人を育て、組織を構成する。それが外部に合わせて変化できているのか、常にチェックし、うまくいっていない部分を修正する。
複雑に変動する要素を常に調整しながら、調和した組織が変化を繰り返しながら成り立ち続けるべく、タクトをふるっている。

組織は交響曲のようだ。形は存在しないが、意志ある仲間が音を奏で続けている間、そこに存在し続ける。

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