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休職を経て、人生設計をもう一度考え直してみた①

ぴです。
2か月、適応障害のため休職していたのですが、その際に人生設計を改めて考え直していました。その内容を記します。
※あまり詳細に書きすぎてしまうと、特定されてしまう可能性もあるため、曖昧に書いてる箇所もあります。ご承知おきください。

そもそも何故休職することになったのか

簡潔に言うならば、過労とプレッシャーによるものとなります。
初めてのマネジメント業務でてんやわんやの中で、付き合っていた彼氏と結婚し、あまりの環境変化に身体がついていかなくなっていました。
ですが、管理職を望んだのは自分であり、結婚を望んだのも自分だったので、仕方のないことなのだと言い聞かせながら働き続けていました。
それが良くなかったのだと思います。
結局途中、出社拒否の状態となってしまいました。

今思い返しても、休職自体はどうしても避けられなかったのだと思えます。ただ、休職のタイミングで転職を決めたのは、休職理由と関係なく、これまでの企業体制の積み重ねでしかなかったなと思えます。

何故そう考えるに至ったのか。
大きく、三点が理由となります。

  1. 賃金

  2. 体制

  3. 同じキャリアパスを歩む人がいなかった

①賃金

入社した当時は中途入社時に付与されていた手当があったため、年齢を考えると平均以上の年収を稼いでいました。

いざ管理職になると、いままで付与されていた手当はなくなり、役職を考えると平均以下の年収となってしまいました。

入社前に手当がなくなるのが説明されていれば、おそらく誰も入社しないだろうと分かっていて説明しなかったんだろうな・・・と今は思います。
その会社は初めての転職先だったのですが、ある意味では良い勉強になったと思えました。次の転職時には、そこも踏まえた上で活動していました。

中途社員とはいえ、まともに仕事で利益を得るための教育コストなどを踏まえると、長期的に考えると誰も得しないですね。
仮にそこで残ってくれたとしても恐らくよほど他会社でやっていく自信のない人しか残らないでしょうに。

加えて、昇給についても今後平均以上の額を稼ぐことは難しいことが判明し、ここにずっといても私が将来的にやりたいことが達成できないのは明白でした。

②会社の体制

入社して4日後、仕事を教えていただいた先輩から、弊社は数年前は今以上のブラック企業だったと聞かされました。

中途入社したばかりの社員に何故自社のネガキャンをしていたのか……先輩も含めお互いに会社を辞めた今、真意はわかりません。逃げてくれと言っていたのかもしれません。
ネガキャンを聞いてからというもの、私は会社に対してその体制から脱却しようとしているのか、それとも何も変わらないままなのか見定めていました。
結果としては、変わろうとしていることはわかりました。そして、私に対しては、会社を変えるために動いてくれることを期待しているのだということも役員の態度からわかりました。
会社の中では、おそらく好かれていたのだろうなと思います。人間関係に悩むことが多かったことが多かった私には、自分が好かれているという状況はとてもうれしかったです。

それでも、辞めることを決めたのは何故か。


役員の私以外の男性社員(特に昔からいた社員)に対しての態度については、昔から何も変わってないことを理解したからです。
若い今のうちは良くても、いつ豹変するかわからない人が一番上にいるのは、率直に嫌でした。
そして、その直近の部下が、そこからずっと逆らえない状況にいるのはもっと嫌でした。
平成~令和育ちのわがままかもしれませんが、しんどい思いをして得られるものがあまりにも少ないなと結論が出ました。
最初に転職したときにも思いましたが、どこに行っても同じなら別にここじゃなくても良い。

辞める結論に至ったあとは、直ぐに転職エージェントに登録し、二か月後に内定を取りました。やったね!

③ロールモデルが身近にいなかった。

①、②と比較すると、ほとんどおまけのような理由ですが・・・
ただ、③の理由によって孤独感を抱いていたことは事実です。
女性エンジニアで将来的に子供を産んで、エンジニアとしてのキャリアを積んでいく人が身近におらず、将来的にどう動いていくのが良いのか、相談相手がいなかったことで不安に陥っていました。
育休を取得している人が会社にいることは、入社前に把握していましたが、女性エンジニアとして育休を取得している例については聞けていませんでした。今思えば、育休を取得していたのはエンジニアの方ではなく、人事の方だったように思えます。
これは、入社前にもっと深く聞いておけなかった私の落ち度だなと思います。
勿論、男社会といわれるエンジニア界隈で、女性のロールモデルを望むのは難しいかもしれません。また、自分が第一人者になるという気がないというのも今考えると、積極性に欠けていたのかもしれません。
とはいえ、仮に今の環境で第一人者になれたとしても、誰か引き続いて来てくれなければ後悔していたような気がします。

以上、三点の理由から、私は人生について改めて考え直しました。自分が死ぬまでにどういった人生を歩んでいきたのか考えていったのです。
少なくとも、死ぬ前にこうしておけばよかったと思わなくて済むような人生を送りたいとは思いました。
具体的にどういった人生を過ごせば満足できるのか、本質的な内容については自問自答中となります。
ただ、もしもこういった会社で将来過ごせたら、死ぬ前に後悔しないだろうなと考えました。

二回目の転職の軸


①自分で働き方を選べる会社。


企業というのは営利組織。
お客様、ひいては自社の利益を出すために一番効率的になるように会社は規則を定めます。
日本人は生まれながらの農耕民族なので、なおのこと規則というのはガチガチに定め、同調圧力を強めた方が確かに成果は出るかもしれません。

ですが、私自身は協調性のない人間です。残念ながら、治らないとこれまでの生き方から結論をつけました。
その上である程度社会性を保ったまま生き続けるのであれば、協調性以外の箇所で実力をつけて、給与を稼いでいくしかない。
であれば、協調性以外の箇所を重視して評価してくれる会社に行く。それしか生き残ることはできないと当時は考えていました。(今思うと、ちょっと極端かもしれません。)また、子供が出来た時に働き方を選べない会社だとしんどいなとも考えていました。
故に、働き方が自由(フレックス、リモート自由)のところを探していました。

②自分の会社のことを好きだとはっきり言える人のいる会社。


なんでこんな会社にいるのだろうと思いながら会社に居続ける人の気持ちが全くわからないです。今でもわからないです。
欲をいうならば、自分の会社のことを好きだと言い切れる人の会社に行きたいと思っていました。矛盾した気持ちを抱えながら生きていくことがとても嫌だったのです。

③待遇が良いところ。


正直、今思うと望みすぎだったかなと思いますが(笑)せっかく転職するなら今より良いところが良いな・・・と思えました。
というのも、企業というのも入社させるときには必死になるのはこれまでの経験からわかっていたので、万一ブラックに当たっても待遇が前よりも良ければ耐えられると思えたのです。

④子育てしている女性エンジニアがいるところ


正直①~③よりも望み薄だと思いましたが、いたらラッキー、いなかったら外部から探そう・・・と思っていました。

①~④の軸から、転職活動をしました。
結論、エージェントの頑張りもあり、①~④の内容をすべてかなえられる会社に入ることが出来ました。
休職しているのを伝えた上でです。入れてくれた企業には本当に感謝しています。

勿論ただ良い待遇を得られただけでなく、苦労しているところもたくさんあるのですが、その上でもとても良い会社に入れたかなと思っています。

軸を全てかなえた会社に入った感想、また再度人生設計を立て直していった結果にどうなったかという点については、次回の記事で記載します。

ここまで読んでくれてありがとうございました。

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