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私はあなたのケアラーじゃない

みなさん!またまたお久しぶりです!今年も気まぐれに徒然と記事が書けたらいいのかなと思っております!

さて、今回私がお話したいことはコロナ禍2年目に突入した中でも家族の変化、そして私は伝えたいことを拙い言葉にはなってしまいますが、発信できればと思います。


1, 弟の環境変化


昨年3月、弟は特支を卒業し、晴れて社会人としての一歩を踏み出すこととなりました。入所先は希望先の生活介護型施設、少しずつ慣れてほしいと願いながら通うことになります。しかし、彼の新生活に立ちはだかるのはコロナ。見通しが立たない日常が苦手な弟にとって、明日がどうなるのか目先のことが見えないことは不安でしかありません。毎日の感染状況や身の回りで起きることに、彼もかなり敏感になっていたと思います。普段以上に苦労させてしまったと思います。
日常でさえも社会環境や周囲からの理解の不足によって、辛いを思いをさせてしまっている中でコロナはこれでもかと追い込むように猛威を奮っています。
そんな彼の気持ちを汲み取ることしかできず申し訳ないです。ですが、私自身の生活もかかっているので自分も余裕がないし…当たってしまい喧嘩することも増えたように思います。お互いに暴力的にもなりつつあるような(笑)

2,  私自身の変化

私といえばなんと言ったって”ハタチ”を迎えたことです。本当の意味で大人への入口に突入したように思えます。大きな変化はいまだに実感できていませんが、やはり大人として扱われるようになったという場面に度々経験することがあるように。
アルバイトも始めてからは世の中の見方が変わってきてすごく充実しているように思えますが、やはり歳を取ろうが、学年が変わろうが私に常にひっつくのは「介護」です。
弟の施設への送迎が始まるようになります。朝は9時、夕方16時にはお迎えに行かなければいけなくなりました。母と分担しながら行っていますがやはり負担ではあります。片道30分、往復で1時間弱とられるのですから。帰宅すると、すぐに大学へ登校や授業後すぐにお迎えといったパターンもあります。
些細な日常ルーティンではありますが、すでにストレスです。自分の時間がほしくてたまらないのです。全くないというのは嘘ですが、せめて1日は彼のことを考えず自分のために時間を費やしたいと思うことがあるのです。
友達ともまともに遊べないのもしんどいです。
「夕方に家族(弟)のお迎え行かないといけないから、この日はごめん!」
家族のためには積極的に協力していかないといけませんが、彼の事情を考えて行動することがしんどいのです…

3, 「ヤングケアラー」「若者ケアラー」の認識不足を実感する1年


新たな新境地が開拓されてことで、自分には何ができるのか考えることが増えた一年でもあります。
その中で私が頑張ったなと思うことが「住民参加」です。非常に堅苦しい言葉に聞こえるかもしれませんが、まずは地元に自分=当事者としての声を届ける必要があるのではないかと思い、自治体の基本計画策定委員として活動を始めました。
これが非常に面白いのです!私と同じように地元が抱える福祉への問題意識を抱く方が集まり、意見を集う場なのです。とても印象的な意見や初めて聞くような新鮮な意見を聞くことができました。私も、地元の若者として、そして若者ケアラーとしてお伝えできることは頑張って伝えていくはずでした。

ですが、私が感じたこと。それは、「私の声を拾ってくれる人はいない」ということです。
「ヤングケアラー」「若者ケアラー」という言葉はこの一年で耳にする機会は増えたように思われます。社会の課題として認識する契機になって私も嬉しいです。
その反面、本当にその言葉を意味を理解し、私たちに寄り添ってくださる方はいるのでしょうか?報道や現状把握をして終わりになっていませんか?
また、ヤングケアラーは貧富の差や私生活の充実度によって苦労が違うということではないと思います。たとえ金銭的に恵まれている家庭だとしても、彼らは生活のどこかで自分を犠牲にして家族に対して必要以上に貢献しているのです。本質を見極めない限り、彼らは社会から自然と見逃されてしまう存在であると私は考えます。ヤングケアラーは、私たちの想像以上に苦しんでいます。でも、彼らが抱えてきたその辛さは、優しさや強さにもなります。福祉に関心があるのならば、言葉の表面に囚われず、彼らの葛藤が報われるまで、見つめ続けて欲しかったのです。

現実は、委員会での私は「若者」として扱われるのみ。「ケアラー」としての私を誰も見てくれません。私は一生懸命話しているのに、「ハイハイ、わかりましたよー」という態度を示す委員の方もいらっしゃいました。「その気持ちはよくわかります。」といって全然わかっていないように思われる委員の方もいました。私は何のためにこの場にいるのかわからなくなってしまいました。
ただのお飾りに近いかもしれません。ですが、それでも私はこうして自治体の政治に参加するという意味合いは大きいものではないかと考えながら訴え続けていくしかありません。どこかで応援してくださると嬉しいですな。

4, やっぱり言葉がまとまりませんね


長々とすみませんでした(汗)まぁ、こんな感じで私の怒涛の一年がまた終わりを迎え、新たな一年に向けた整理整頓が始まっています。
この一年で見出したある解として、
「私は両親の子どもであり、兄弟にとっては姉であり、社会では大人であり、ある時は学生であり、ある時は誰かの友人である」ということです。
「家族介護者、つまりケアラーではない
と思いながら生活しています(ですが、現実はそうもいかず…笑)
最近のお悩みといえば自分のアイデンティティがわからないことですかね。女性ではありますが、女々しいことをするのが嫌いなので。化粧は好きですが、あの女性ならではの雰囲気を演出するのが嫌いなんですー(振袖で一悶着あったくらいでしてー) これについては、自身の整理がついた時にいつかお話ししますね。


最後に、私はみなさんに再び問いかけたいことがあります。委員会で問いかけた内容です。

「”本当に困っている人”とは一体どのような人でしょうか」
貧困家庭ですか?ホームレスですか?障害者ですか?一人っ子世帯の方ですか?子どもですか?

私なりの答えはありますが、ここに書くことは控えておきますね笑
では、皆様心も体も健康でハッピーにお過ごしください!


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