魔界から”私”を救いにいらした吸血鬼にメンヘラが救われた話

主が欲しいと思ったことはないだろうか。
恋人でもなく、神でもなく。友人ほど気安くなく、芸能人ほど住む世界が違うわけでもない。主従という、この現代では難しい絆のかたち。

わたしには、あるじと呼べる存在ができた。


『吸血鬼と人間のハイブリッドティーンエイジャー』を名乗るその彼女は、口上の通り人間ではない。
九条林檎。
吸血鬼の名門貴族の娘であり、もちろん人間なんかより上位の存在である。父が吸血鬼で母が人間。人間の血を飲み、すべての人間は食糧であると認識している。
魔界より人間界に来て、ヘッドマウントディスプレイをかぶって、バーチャルの世界に顕現した。現在はSHOWROOMというサイトをメインに活動を行っている。

いわゆるVtuberというやつの亜種である。バーチャルタレントの企業勢だ。
『バーチャル蠱毒』などと揶揄されたオーディションでデビューしたことから、その名を知っているものもいるかもしれない。そのオーディションでの立ち回りのうまさはずいぶん評判になった。


オーディション当時のtoggeter


有志による非公式wiki


九条林檎の何が、わたしにとっての救いであったか。
それは、彼女が徹底的に「貴様の悲しみに寄り添うあるじでありたい」という姿勢を取っていることである。

ひとつめ、マシュマロとリプの返信がすごい。
彼女のもとには、毎日すごい数のマシュマロとリプライがやってくる。マシュマロにいたっては、メンヘラの長文相談がちょくちょく来る。入れ食いである。
「さいきん疲れて何もできない」「自分に喝を入れて欲しい」「死にたい」まあそんな感じだ。
それに対して、彼女はひとつひとつ丁寧に返信していく。「疲れているなら休むといい」「自分の好きなように頑張ってみるといい」「いますぐ専門機関を受診しろ」などなど。
特に「がんばれ」と「休め」の見極めがうまい。
メンヘラというのはずいぶん身勝手なもので、がんばれと言ってほしいのか休めと言ってほしいのか、自分でもわかってないやつが多い。その上でマシュマロを送るのである。自分のほしい言葉をもらいたい、と思いながら。そして、彼女はその「欲しい言葉」の見極めがうまい。メンヘラをよく理解しているのである。(ちなみに理由もある。後述する)

ふたつめ、上位存在であるという立場を崩さない。
九条林檎は、人間を食糧として見ている。血液に貴賎はない、たいていの人間の血の味にさしたる違いは無い。それゆえ、彼女は人間のことを『ディナー』と呼ぶ。晩餐に並ぶごちそうなのだ。
だから、彼女はリスナーを贔屓しない。毎回配信に来ようが、初見だろうが、等しく同じ食糧である。リスナー間にも、それを周知させている。リスナー同士に上下も無い。
配信に貢献しているから偉い、という価値観ではない。リスナー同士でのマウンティングは無意味だ。だって吸血鬼のほうが、人間よりずっと上だから。シンプルにして最強の解答だ。
貢献しているリスナーだから配信者が気を使う、という流れもない。吸血鬼のほうが上だから。まったくもってシンプル。

みっつめ、コンテンツであるという徹底した価値観。
バーチャルタレントたる彼女は、自分がコンテンツであるということを明確に発言している。リスナーが消費するもの、コンテンツたる彼女は消費されるもの。前述した項とは矛盾しているとも思われる。だが、その矛盾をも彼女は消化してみせる。
「浅はかで残忍な人間どもは、我を消費しようとする。いいだろう、我は進んでコンテンツになってやろう」という立場をとるのだ。まったくロールプレイがうまい。
その上で、彼女は言うのだ。「貴様が好きなように、我というコンテンツを消費するといい」。
毎日配信を見なければ、という強迫観念で、コンテンツ消費が辛くなるなら見なくていい。貴様の楽しいコンテンツであれ。
逆に、配信を見たいならばyoutubeにアーカイブが残っている。いつでも好きな時に消費できる。楽しい時に楽しいように、消費していいのだ。
このコンテンツ飽和の時代に、ひとつのコンテンツを追うのはずいぶん体力が要る。だが、追いきれなくていい。本人が言うのだ。追い切る必要はない、と。
さらには、いつ離れても構わない。飽きたら離れていい。これも本人が明言している。だから、飽きることに罪悪感を覚えなくていいのだ。

よっつめ、過去の話。
圧倒的上位存在である九条林檎。だが、彼女にも辛い過去がある。
吸血鬼の名門貴族に生まれた彼女だが、人間とのハイブリッドであるということでずいぶん差別されてきたらしい。人間との混血は、魔界の貴族の目には気味の悪いものとして映る。友など一人もできなかった。中高一貫校時代はあまりに辛かったらしく、高校の途中で学校を飛び出し、校舎を燃やしてしまった。ついでに焼き芋をやった。
『だから』。『だから、貴様の悲しみを知っている』。
辛いことや悲しいこと、抱えていることを『知っている』。体感しているのだ。貴様の辛さを、我は知っているぞ。なるほどメンヘラに優しいわけだ。
その上で彼女はこう続ける。「貴様のあるじになってやろう」と。
あるじという拠り所として、人生を照らし、相談に乗ってやり、そして最後には看取ってやろう、と。

わたしは、この話を聞いて泣いた。ああ、この人はわたしをわかってくれているのだと思った。そういう勘違いを生み出せるだけの人が、この虚構を作って支えようとしている。もうそれだけで、わたしは救われた気持ちになったのだ。



そして、九条林檎は、わたしに「生きろ」という。

過去配信の記録から、九条林檎の言葉を引用してきた。
これをもってこの文章を終わろうと思う。

 「我は我と同じように首が閉まる程苦しい者を助けに来たのだ 貴様だ 我は貴様を助けに来たのだ 貴様を勇気づけることが我の仕事だ 生涯にわたる仕事だ ライフワークだ」

 「もしこの先辛いことがあっても大丈夫だ 誰が貴様を愛さなかろうがこの我が愛してやろう なぜならこの我のディナーだからな 生きる意味があるぞー」

 「死んだら我の愛しきディナーが減ってしまうのだ 決して死ぬんじゃないぞー」




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さいきん死のうと思うことが減った。思っても、あるじさまがいるからもうちょっと生きていようと思えるようになった。あるじさま、ありがとうございます。

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