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機能不全だった家族での生活や性的な虐待、発達障害についてなど私が経験したことや思ってき…

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機能不全だった家族での生活や性的な虐待、発達障害についてなど私が経験したことや思ってきたことを書いていきます。

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最近の記事

ある時の感情メモ

気づけば、意識があること自体苦痛になっていた。 息をするたびに体に錘が付いて動きが鈍くなっているイメージだった。 嫌な過去と向き合うために思考の整理や記憶を書いてみたけど、それが良くなかったみたい。向き合うのに早すぎたかなぁ。

    • 向き合うの早過ぎたかな。体調が悪くなって何も出来なくなって、目の前の人達にも迷惑をかけてしまっている。ごめんなさい、何もしなくて。

      • 心なしか、ここ数日の間、動悸になる頻度が上がってきた。書いていたのもあるけど、疲れたのかな。

        • 性被害だと言えるようになるまで〜試行錯誤した日々〜

          前回の記事で、自分が被害者だった事を、言えずに学生時代は諦めた事を書きました。 今回は言うまでに色々試した結果、どういうアウトプットになってしまったのかを載せていきます。 試行錯誤の日々目下の悩みは、それを言語化できない事でした。 今はある程度言語にすることができます。その成果が、このアウトプットです。まぁ、相変わらず気分は悪くなるのですが…。 文章にすれば、これだけの量なのにです。それでも書けませんでした。 PCを開いては打ち慣れたキーボードの上に指を置き、体調が悪

        ある時の感情メモ

        • 向き合うの早過ぎたかな。体調が悪くなって何も出来なくなって、目の前の人達にも迷惑をかけてしまっている。ごめんなさい、何もしなくて。

        • 心なしか、ここ数日の間、動悸になる頻度が上がってきた。書いていたのもあるけど、疲れたのかな。

        • 性被害だと言えるようになるまで〜試行錯誤した日々〜

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        • 記憶の整理
          5本

        記事

          性被害だと言えるようになるまで〜諦めた学生時代〜

          前回の記事で自覚した事までの過程を書きました。 私がこのように外に言えるようになるまでの話を書きます。 長くなると思うので分けて書きます。 憚る学生時代性被害を自覚した時は学生で、たびたび動悸などがして私自身を蝕みました。これは困ると思って、何度も外の誰かに相談するために言おうと思って伝えようとはしました。何度も外に伝えようとしました。 でも、ダメでした。結果的に何でも出来ませんでした。理由としては 医者に頼るにも経済的に余裕がない 親起因での症状もあるので親に頼る

          性被害だと言えるようになるまで〜諦めた学生時代〜

          調子が悪くなってくると色々な場面で嫌な記憶が想起される。今は安全、安心できる環境にいる事を自覚しなきゃ。

          調子が悪くなってくると色々な場面で嫌な記憶が想起される。今は安全、安心できる環境にいる事を自覚しなきゃ。

          怒る父親と眠気

          はじめに父親の気の短さと私の発達障害による問題行動により、頻繁に叱られ、怖い思いをしていました。どなり声や叩かれるなどの叱責は日常茶飯事であり、私にとっては辛い思い出です。 父と私若い頃の父は血気盛と言う言葉が似合うくらい気が短い性格でした。 私は発達障害だったのもあり、鼻に付く行動が多かったのでしょう。父親が家にいる時は頻繁に叱られてました。叱る時は決まって、どなりそして叩かれたりして怖かった記憶があります。 母親が用事でいない時は怖かったので2人きりになるのがとにか

          怒る父親と眠気

          眠い日はとにかく寝る。やりたい事があるんだけど、精神的にも影響出るので休むのが1番だと信じて…。

          眠い日はとにかく寝る。やりたい事があるんだけど、精神的にも影響出るので休むのが1番だと信じて…。

          性被害自覚後の症状

          前回、私は教職の免許の取得過程を通して、自身が被害者であることを思い出すと同時に認知した事を書きました。 そのことに気づいた時には、すでに20年近く経過しており、その出来事はもう私の頭の中にしかないものだと言うことを悟りました。 主に出た症状としては 動悸がする 夢見が悪くなる、寝れなくなる 性的なものを避けるようになる(これは元からだった気もする) 体が自分ではないような、遠い場所にいる感じ などでした。 当時は症状が出ると、これはただの記憶、これはただの記

          性被害自覚後の症状

          こういうの書くとやっぱり調子がイマイチになる…。頻度は考えながらしないと…。

          こういうの書くとやっぱり調子がイマイチになる…。頻度は考えながらしないと…。

          私が性被害を認識するまで

          子どもの頃にされた事はずっとずっと忘れてました。それは驚くほどまでに思い出すことはありませんでした。 しかし、20歳くらいまで時折体が硬直するような感覚がありました。きっかけはわかりませんが、瞬間的に記憶が蘇って痛烈な恥ずかしさや罪悪感、恐怖の感情が身体中を駆け巡るのでした。 硬直した時はいつも大丈夫、気のせい、ダメなことじゃない、小さい時の大したことのない記憶だと自身に言い聞かせてやり過ごしました。 すると不思議な事にまた忘れていくことができました。 こうした小規模な

          私が性被害を認識するまで

          私の性被害の記憶その2

          子どもの時お話です。思い出しながら書いているのと一気に書くのは精神的にも辛いので分割して書いていこうと思います。 当時は分かりませんでしたが、思えば1番大きな出来事でした。所々、よく覚えていませんが。 いつものように親は私のプライベートゾーンを触ってきました。その時はまだくすぐられているような感覚でした。私は笑っていたかと思います。 そして私の恥部を舐めてきました。時間は一瞬だったかもしれません、それか数秒ほどだったかもしれません。幼いながらびっくりした記憶があります。

          私の性被害の記憶その2

          小さい時はどんな家だったか

          私にはいくつか年が上の血の繋がった兄弟がいました。ただ上の子は父親が違いました。それを知ったのはずっと大きくなってからの事でしたが、何か違うことを子どもながら感じてました。 両親はけんかが多かったです。喧嘩がひどくて、3,4歳の頃は喧嘩する両親の間に入って、両手を大きく広げて止めていたような気がします。 ただ、やっぱり事情も知らずに止めているだけで、私を隣の部屋に移動させて喧嘩を続けてました。

          小さい時はどんな家だったか

          私の性被害の記憶その1

          子ども時のお話です。思い出しながら書いているのと一気に書くのは精神的にも辛いので分割して書いていこうと思います。 記憶が正しければ保育園くらいだったと思います。それは日常の中にありました。私の母親は日常的に私のプライベートゾーンに触れてくることが多かったです。服の上からが多かったですが、そうじゃない時もありました。 それは家ではもちろん、服屋であったり、スーパーであっり、エスカレーターやプールであったり…。触れれば、にっこり微笑んで、これはおかしなことではないんだと。そん

          私の性被害の記憶その1

          はじめに

          このnoteは、機能不全だった家族での生活や性的な虐待、発達障害についてなど私が経験したことや思ってきたことを書き記したものです。 上記についてのトラウマなどある方は閲覧にご注意ください。 これらの記事は私が立ち直るまでの過程ではございません。あくまで、そのような家庭で育った私の思考や感情の整理程度のものと捉えていただければと思います。 また個人の特定を避けるためにぼかし、また記憶が一部ないところもありますので矛盾などがあるかもしれませんがご容赦ください。