224回 絵に描いた餅


非常に危険で命に関わる場合も多々あるにも関わらず、季節的な習慣として必ずといっていいほど登場し、その美味しさと独特の食感に魅入られて挑戦する人が後を絶たない食べ物、それは餅。

海外では「サイレント・キラー」として恐れられ、イギリスBBC放送やアメリカのウォール・ストリート・ジャーナルでも特集記事が掲載されたというこの餅は、我々にとってはごく普通の食べ物だ。詰まると大変だよね、という程度にしか思っていない。
こんにゃくゼリーで窒息事故が頻発した際にはあれ程話題になって、危険な食べ物という認識が根付いてしまったのに、なぜ餅はOKなのだろう。市販されている大手メーカーの餅の袋には、確かに気をつけて食べろという内容の警告文が書かれている。でも規制はされていない。食べるのは勝手である。
そして毎年正月になると餅の窒息事故のニュースが、まるで欠かせない恒例行事のように報道されることになるのだ。

救急科の医者は正月が近付く度に、来るぞ来るぞと危機意識を募らせているらしい。
東京消防庁のまとめによると、5年間で600人位の人が餅などに拠る窒息で救急搬送されている。そのうちの4割近くが正月、9割以上が65歳以上の高齢者、そしてその半数が生命の危険がある重症であったという。
救急科でなくても医療関係者であれば、「高齢者にとって餅を食べることは自殺行為」という認識があるに違いない。小さく切ってだの、よく噛むだの、水分と一緒にだのという注意はどうでもいいから、とにかく食べるなというのが本音だと思う。
しかしこれがまた、高齢者ほど食べたがるのだ。以前勤めていた病院では、毎年正月に餅つきをやっていた。チャレンジャーである。
つきたての餅程危険なものはない。もちろん看護師がそばに付き添って注意しながら食べさせるのだが、まあよく食べる。美味しいのはわかるが、普段キザミ食やお粥を食べている患者が嬉々として餅を食べているのを見るのは、いつ詰まるかとこちらが生きた心地がしない。
実際詰まりかけたことがあるが、さすがに目を光らせて待機しているので、ことなきを得た。餅が詰まることまでは想定するが、救急の症例で餅にくっ付いた義歯(入れ歯)を誤飲したというのは、さすがにあんまりだと思う。
やはり高齢者には食べさせないに越したことはない。

そもそも餅というのはご存じの通り、研いで水に浸したもち米を蒸して、杵と臼でついたものである。地域によって丸かったり四角だったりするが、餅は餅だ。
米粉や豆を混ぜたり、ヨモギを加えたりしたものもある。きな粉をまぶしたり醤油を付けて海苔を巻いて食べても美味しく、雑煮のように汁に入れてもいい。保存食としても優秀で、煮たり焼いたり揚げたりと調理方法もバラエティに富む。
昔は年末に餅つきを行う風景があちこちで見られた。1974年に小型の電動餅つき機が発売されて大人気となったが、今では大手メーカーの個包装の餅が手軽に手に入るので、わざわざ家庭で作るという人は少なくなっているだろう。それでも餅は、食生活、特に正月には欠かせない存在である。
稲作文化に於けるなんたらとか歴史的な経緯はいろいろあるが、ともかく我々は1400年近くの間、この非常に致死率の高い食べ物を愛して食べ続けてきたのだ。

餅の原材料であるもち米は、米飯用の米であるうるち米とは性質が異なる。どちらも8割はデンプンであるが、そのデンプンの構成比率が違うのだ。
うるち米は、アミロースを75%とアミロペクチンを25%含んでいる。それに対してもち米は、アミロースを含まず100%アミロペクチンだけで構成されているのである。アミロースは直鎖状の構造だが、アミロペクチンは多数の分枝状構造を持つ。
もち米を水に浸した上で蒸すと、縮んでいたアミロペクチンが水を含むことによって伸びる。その状態で強い外力を加える、つまり杵でつくと、アミロペクチンは水分子を取り込んだまま分枝が複雑に絡み合う。これがあの餅独特の、柔らかいがコシがあり粘り強く伸びて噛むと甘い美味しさの秘密である。
デンプンの一種であるアミロペクチンは、唾液や膵液中のアミラーゼで分解されるはずなので、よく噛んで唾液と混ぜ合わせ、一度に沢山食べたりせず、安全に食したい。

最近海外では「Mochi」なるものが大流行だという。
こんな危険な食べ物を食べて大丈夫なのかと心配したが、これはいわゆる餅ではなく、求肥でアイスを包んだお菓子などを指すようだ。まあ、雪見だいふくと言えばわかりやすいだろう。
いろんなフレーバーと色を備えた一口サイズのMochiは、アメリカでもイギリスでも大人気とのこと。アイス以外でも、大福タイプの柔らかい食感の求肥が好まれるようで、弾力がある本来の餅は人気がないそうだ。
一方ベジタリアンからは、100%植物性原料から作られた(それはそうだ)「プラントベースフード」として好まれるというのだから面白い。

正月でなくても、餅は美味しい。
「餅すすり」などという恐ろしい風習もあるそうだが、くれぐれもよく噛んでゆっくり食べることを心がけたいと思う。


登場した科:救急科
→ERとも呼ばれる最前線。餅を詰まらせるだけではなく、大量の餅を一度に早食いして腸閉塞を起こしたり、熱い餅で火傷したり、杵で頭を叩かれたり、臼の下敷きになって足を折ったりと、餅には言いたいことが沢山あるだろう。
今回のBGM:「Indian Summer」by 薬師丸ひろ子
→嚥下機能低下の予防としては、カラオケが良いらしい。コロナ禍でカラオケに行かなくなった高齢者の窒息事故が多くなったという説もある。オールタイムベストアルバムの冒頭を飾るのは、年代別カラオケランキングで60代女性3位の「セーラー服と機関銃」。

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