272回 新春万福


ここ20年くらいは初詣に行っていない。
いや、もっとかもしれない。実家にいた20歳頃までは、これでもかというくらい2年参りのはしごをしていたので、隔世の感である。東京の上野で生まれ育ったので、近くに神社仏閣は沢山あった。神田の藪蕎麦で年越し蕎麦を食べてから、神田明神、湯島天満宮、五條天神社、花園神社、そして氏神様である下谷神社と回るのが定番であった。
それが信州に来て松本に住んでから、せいぜい近所の小さな神社にお参りするくらいになった。安曇野に住むようになってからは、穂高神社という有名な初詣の名所はあっても、とにかく人混みには行きたくない一心で、正月は家で猫と一緒にゆっくりゴロゴロしている。
学生時代には冬休みという恩恵があったので余裕だったが、仕事をするようになってからは、そんなに悠長に休んでいられない。それに加えて今回は年末年始に土日が入るので休みは5日間だけだ。ただでさえ医療従事者というこの職種は休みが少ない上に、患者さんの様子が気になって毎日職場に電話をかけている始末である。
初詣に行くどころではない。

そもそも日曜日はまだ去年だったのだ。それが月曜日には今年になっている。おかしいだろう。
暦というか一年の区切りなんて、人間の恣意的なものであることは分かりきっているが、それでも歳をとるにつれその区切りが段々曖昧になっていくような気がするのは、気のせいだろうか。子供の頃は、それまで生きてきた自分の人生に対する1年という時間の比率が大きい。例えば6歳なら1年は人生の1/6を占めることになる。これからまた新しい1年が始まるとなれば、それまでとは違った何かキラキラと明るい視界が開けるような感覚があっても当然である。なんといっても、年越し蕎麦だのおせち料理だのお年玉だの初詣だの、非日常的なワクワクするイベントが目白押しだ。冬休みというまとまった遊び時間もある。宿題?なにそれ。
歳をとるにつれ、人生に対する1年の比率は小さくなってくる。60歳なら1年はたったの1/60だ。なに、もう1年増えるからといって大したことはない。経験値も積み重ねてきているので、なかなか新しい経験には巡り会えない。もう今更初詣なんか行かなくてもいいかなという、図太さも出てくる。なあに、神頼みをしなくても人生何とかなるさ。

初詣、初日の出、初売り、初出勤。新年になれば、何もかもが初だ。
それはそれで楽しいから良いのだが、淡々と日常が続くていくのも大事でありがたいことである。
初売りの歴史を辿ると、江戸時代に仙台藩で行われていた「仙台初売り」というのが発端らしい。1月2日に買い初めをするということが、伊達家の正月行事にもちゃんと記載されていたそうで、初代藩主の伊達政宗もきっと何か買ったに違いない。この仙台初売りは景品が豪華で有名であった。近年になって公正取引委員会により景品は商品代金の10%増までとされていたのが
、この仙台初売りに関してだけは20%の特例が認められていたというのだから驚く(現在は全部20%に統一)。
今でも初売りの呼び物といえば福袋だ。近頃はだいぶ世知辛くなって、損をしないように中身の見える福袋とやらが人気となっている。確かに私も子供の頃、福袋には苦い思い出がある。デパートだったか、ジュエリー売り場で貴石の小さな福袋を売っていた。今でいうパワーストーンである。お年玉といっても当時はまだ大した金額をもらえたわけではなく、確か5百円位を握りしめて買ったような気がする。綺麗な貴石が何個も入っていることを期待して開けてみたら、大きめの茶褐色のメノウが1個ポツンと入っていた。確かに何個とも買いていなかったが、複数だと期待していたところにまた全く好みの色ではない石だったので、物凄くガッカリしたことを今でも覚えている。
それ以降私にとって、福袋は鬼門になった。

新しい年の幕開けが1月1日ではない国は多い。
中国が旧正月を採用しているのは有名だろう。「春節」と呼ばれるこの新年は、1月末から2月初めのどこかと毎年変わるので、何月何日と決まっているわけではない。「今年の春節はいつ」という発表に合わせて移動するのだ。韓国もこの旧正月に準じているため、我々の元日が正月ではない。
アメリカやヨーロッパなどキリスト教圏では、11月下旬のサンクスギビングからクリスマスにかけての方が重要な行事となるので、新年は祝うがそれほど大事ではない。なので1月1日は休むが、2日からは通常営業となるのが普通だそうだ。
タイでは、西暦(グレゴリオ暦)の1月1日と、中華圏の旧正月と、タイ独自の4月に祝われるソイクラーンの、3回の正月がある。タイ北部のチェンマイで行われる大量の水を掛け合うソイクラーンのお祭りは観光名物となっているほど有名だ。
イスラム圏ではヒジュラ歴という太陰暦を採用しており、1年が355日となっている。そのため毎年10日くらいずつ西暦とずれていくので、その年によって元日は異なる。2024年に於いては、7月7日がヒジュラ歴1446年元日となっている。ちなみにイスラム教では元日を祝うことはなく、最大の行事はラマダンである。
インドでは宗教によってそれぞれ異なる元日があるが、ヒンドゥー教の太陰太陽暦では1月から4月にかけて各地で元日があるらしい。州によって違うというのだからややこしいが、タミル暦では4月とのこと。しかし実際ヒンドゥー教では「ディワリ Diwali」というカールティカ月の新月の夜(グレゴリオ暦では10~11月頃)のお祭りが、新年のお祝いに相当するそうだ。ディワリは「光のフェスティバル」とも呼ばれ、かつては冬に向かう前の収穫祭の意味合いを持っていた。今ではインド最大のお祭りとなっている。

たかが新年、されど新年。
元旦早々に災害があり波乱の幕開けとなったが、新しい年が平和で穏やかで、誰もが安心して過ごせる1年となることを心から願う。


登場した行事:年越し
→スペインでは、12粒のブドウを教会の鐘の音に合わせて食べていく「年越しブドウ」があり、スーパーで12粒パックが売られている。鳴り終わる前に食べるのはなかなか大変そう。デンマークでは、他人の家のドアに皿を投げつけて割り、沢山ドアの前に割れた皿がある家ほど、友人が多い幸福な家と言われる。正月の玄関前に割れた皿が沢山あるのはなんだかなと思うが、いろんな風習があるものだ。
今回のBGM:「Auld Lang Syne」 スコットランド民謡 ロバート・バーンズ作詞/作曲者不明
→日本では「蛍の光」として親しまれているこの曲。我々は大晦日に歌って年越しというイメージだが、スコットランドでは年が明けた年始に歌われる。


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