176回 大所高所


人生において、視力はずっと良い方であった。
かなりの歳になるまで両眼とも1.0〜1.5を維持しており、日常生活上全く不便はなかった。幼少時より本を読みふけっていた割には視力低下が起こらなかったのは、単にそういう体質だったという他ない。
一般的に眼が良い人は早く老眼になると言われている。眼が良いということは遠視気味なので、近くが見えなくなるのが早いということだろう。
しかしそれに反して、いまだに老眼にはなっていない。手元の細かい字を読むのに不自由はしていないし、老眼鏡も持っていない。
おかしな書き方だが、やはり単純に眼が丈夫なのだと思う。

視力検査といえば、ランドルト環。
スプーンのような道具(遮眼子というらしい)で片目を覆い、5m離れた場所から、壁に貼られた表のC字型の環のどちらが開いているかを答える。
上段の方が大きくて、正解すれば段々下の小さなC字環に移っていく。視力指示棒(何にでも名前はある)で指される小さなC字環の、かろうじてこちらが開いているであろう隙間を「うーん、右かな・・いや、下」とか答えていると、そのうち視力が言い渡される仕組みだ。
ランドルト環は、19世紀から20世紀初頭にかけてパリで活躍した、エドムンド・ランドルトというスイス人の眼科医が発明した。このランドルト、かのアーサー・コナン・ドイルが眼科医を目指していた時に仲が良かったという説があるが、本当だろうか。

ランドルト環は黒い円環で、環の開いている方向を識別することにより、2点が離れていることを見分けられる最小の視角を測定する。1909年に国際的な標準視標として採用されたというから、随分と歴史が古い。いまだに現役なのは、簡便に素早く測定できて便利だからだろう。
円環は、全体の直径:円弧の幅:開いている幅=5:1:1となっている。視力は視角の逆数で表され、環の直径7.5mm・太さ1.5mmの円環の一部が1.5mm幅で切れていることが識別できる視力が「1.0」である。
日本では一般的なランドルト環だが、中国や台湾ではEチャートという、CではなくEがどちらの方向を向いているかを答える測定法が用いられている。切れ目の向きを答えるという意味では、原理的には同じだ。
またヨーロッパやアメリカでは、スネレン視標が使われているとのこと。こちらは様々なアルファベットが印字されているのを読むというものだが、CやEという記号ではなく、アルファベットという文字なので、ある程度推測できてしまうという欠点があるのではないかと心配してしまう。アルファベットが読めない人には、Eチャートも用いることがあるらしい。

仕事でもプライベートでもモニター画面を見る時間が格段に増えた頃から、次第に視力低下を自覚するようになった。
病院でも電子カルテが標準になり、患者さんを診ていない時は画面を見ている状態だ。PCでもスマホでも、ずっとバックライトの光を見続けているわけなので、眼が疲れない方がおかしい。
視力が良い反面、何にでもピントを合わせてしまうので眼が疲れやすい。そのため眼精疲労による頭痛にはずっと悩まされてきた。視力が悪い人にはなに贅沢を言ってるんだと怒られそうだが、良いなら良いで苦労があるのだ。

以前は問題なく見えていた遠距離がぼやけるようになった時に、ついに眼鏡を誂えた。老眼鏡ではなく、普通に近視の矯正用だ。日常生活ではそれ程遠くを見る必要がないので、運転時や旅行の時、そしてライヴではかなり役に立った。
おもしろいもので、視力はその時の体調や環境によっても動的に変化するらしい。毎年職場の健康診断で視力検査をするのだが、良くなったり悪くなったりその年によって変わるのだ。0.7と1.0に落ちたかと思えば1.0と1.2になったりという具合で、リニアに低下していくというものでもないようだ。
いまは眼鏡もコンタクトレンズも、実用だけでなくお洒落のアイテムとして大活躍だ。もちろんそれがなければ何も見えないという人にとって、それらはなくてはならない体の一部である。

人間の感覚に於いて、視力が占める割合はとても大きい。
ただ目に見えるものだけが全てではないことは、常に肝に命じておきたい。


登場した指標:ランドルト環
→この頃クルマ(特に軽自動車)のライトに環状のものが増えている気がする。どこか切れ目がある環だと、すれ違いざまについ「上!上!」とか「横!」とか答えてしまう。当たり前だが答える必要はない。
今回のBGM:「ELAENIA」by Floting Points
→2回目の登場の浮動小数点。いつも思うが、聴力検査のようだ。

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