第3回  マドレーヌの頃が過ぎても


少女の香りというとすぐ「石鹸の香り」とか言い出す輩が出てくるが、私はこの安易に石鹸の香りと言われる類のものが大嫌いである。もわっとそれが匂ってくるとどうしても、もっとよくすすげ!と思ってしまうのだ。
フレグランス自体は大好きで、いつも何か香りをまとっていないと服を着ていないような気分になるくらいなので、香りがあることが嫌いなわけではない。幾重にも調合されたフレグランスは、トップノート、ミドルノート、ラストノートと時間の経過に従って移り変わるだけではなく、着ける人の元々の体臭によっても香りが変わるのがまた奥が深い。

プルーストではないが、香りと記憶は密接に関係している。これは臭球という匂いを司る脳の部分と記憶を担う部分が近いからと言われているが、実際ある特定の匂いを嗅いだ途端、強烈に記憶が蘇るという経験をしたことがある人は少なくないだろう。
それを利用して私は、自分の人生において何らかの区切りがつく毎に、いつも着けるフレグランスを変えてきた。もちろん日常の生活でも、仕事の場面とプライベートでは変えているし、もっと言えばプライベートでも出かける目的や相手によって異なる香りにしている。その方が気分を切り替えやすいし、服を選ぶように香りを選ぶのは、何より自分が楽しい。

初めて手にしたブランドもののフレグランスは、クリスチャン・ディオールの「ディオリッシモ」であった。高校生の時である。確か大好きな少女漫画の中で「沈丁花の香り」として出てきたのがきっかけで知ったのだと思う。実物を着けてみて、本当に沈丁花だ!と感激したのを今でもよく覚えている。
一般的にこのディオリッシモは、鈴蘭の香りとして有名である。そして好悪がかなり別れる香りとしても。つんとくる、刺激が強い、青くさくて嫌などなど、苦手だという人もいるだろう。匂いの好みは千差万別だ。誰かが「うっとりするほど良い香り」と感じても、他の誰かは「湿った毛布のように嫌な匂い」と感じることもある。このディオリッシモも決して単純な香りではないため、好き嫌いの個人差が大きいのかもしれない。
青くさく、華やかで、清楚で、品が良く、凛として、甘い。

そういえば沈丁花にも鈴蘭にも毒がある。
いかにも少女に相応しい香りではないか。


登場した香水:「ディオリッシモ」 クリスチャン・ディオール
→言わずと知れた名香。1956年に発売されてからずっと愛されてきた香りは、グリーン系フローラルの傑作だろう。
今回のBGM:「ベル・エキセントリック」 by 加藤和彦
→「ヨーロッパ三部作」と呼ばれる加藤和彦の作品の中の1枚。最後に入っている坂本龍一が弾いたエリック・サティの「JE TE VEUX」ほど幸せで哀しい曲を私は知らない。

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