258回 秒速299792458メートル



最近クルマを運転していてつくづく感じるのは、人間が作り出した道具というのはすべからく身体の延長線上にあるのだなということだ。
運転に慣れていないと、自分の身体よりもかなり大きいクルマの挙動や限界がわからず、具体的にはどこまで端に寄っているのかとか、どのタイミングで曲がればぶつからないかとかが掴めない。それが段々慣れてくると、あたかも自分の身体がクルマの大きさになっているような、言うなれば身体の延長線上となっているような感覚になる。
我々人間はそうやって身体を拡張しながら、道具を使いこなしてきたのだろう。

思えば単位というものも、元々は身体の一部分を目安にしてつくられた。
今もアメリカなどで使われている「インチ in」は、男性の親指の付け根の幅がもとになっており、2.54cmにあたる。同じく「フィート ft」はつま先から踵までの長さで30.48cm、「マイル mil」は古代ローマ時代の単位であった人間の歩幅2歩分の「パッスス passus」の1000倍で約1600mである。日本でも「寸」は男性の親指の幅からで3.03cm(なぜ日本の男性の親指の方が太かったのか)、1寸の10倍が1尺であった。
この「尺」であるが元々中国から伝わり、親指の先から中指の先までの長さ(親指と人差し指という説もあり)で約18cmだったがその倍になったとも、上腕骨のまさに尺骨という骨の長さとも言われており、いずれにせよ最初に「1尺=30.3cm」と決めたのはかの厩戸皇子(聖徳太子ね)だそうなので、なにからなにまで目配りができる人だったのだな。
その後に定められた「大宝律令」によって、日本で初めて長さや重さの単位の統一がなされたが、時代は下るに従ってまたバラバラになっていく。それを豊臣秀吉が太閤検地によって再度統一、天下を獲るには度量衡を統べることが非常に大事だったのだ。そしてもちろん徳川幕府もそれに続くのだが、長さの単位はそのままで重さの方だけ厳しく取り締まり、江戸と京に枡座と秤座を置いた。そのため長さの方は徐々に職種や地域によって再度異なるようになり、それが「尺貫法」で統一されたのは1893年(明治26年)のこととなる。

産業革命以降各国間の商取引などが盛んになってくると、単位の統一が不可欠になってくる。
そこで登場したのが「メートル法 metoric system」であった。フランス革命の最中、パリ科学アカデミーが度量衡の統一に乗り出したのだが、まずは地球の子午線を長さの標準とすることを決める。といってもそれを測ることから始めたのだから気が長い。6年余りをかけて、スペインのバルセロナからフランスのダンケルクまでの精密測量を行ったのだ。それをもとにしてパリを通過する北極点から赤道までの長さ、つまり子午線の1/4に当たる距離を計算し、それを4倍にした子午線の長さの1/10,000,000を「1メートル」と定めた。同様に「4℃の水の1/10メートル立方」を「1キログラム」として、質量の単位も決められた。
1799年に当時の最新技術で作られた白金製の「メートル原器」と「キログラム原器」(アルシーヴ原器 Mètre des Archives)が、フランス国立中央文書館に納められた。1875年にはメートル条約が締結され、日本も1885年に加入している。1889年に開催された第1回国際度量衡総会では、アルシーヴ原器に合わせたコピーである、10%のイリジウムを混ぜた合金で製造された「国際原器」が各国に配布された。

1900年代半ば辺りからは、単位は長さ重さだけでなく、光や電気や化学などの範囲に拡大されていく。1960年の第11回国際度量衡総会では、「メートル」の定義を、環境に依存して変化する原器という物質から光の波長へと変更し、それまでに追加されてきた単位を「国際単位系(SI)」として体系化した。「メートル」は更にその後、光の速度に基づいた定義となる。
これまで国際単位系は、長さ(メートル m)、質量(キログラム kg)、時間(秒 s)、電流(アンペア A)、熱力学温度(ケルビン K)、物質量(モル mol)、光度(カンデラ cd)の7つを基礎単位としていた。実はこのうち質量のみがまだキログラム原器という物質に依存していたため、長期的な安定性に問題があり、またその他いくつかの単位も科学の進歩に追いついていなかった。
そこで2018年の第26回国際度量衡総会で大幅な定義の改訂が承認され、7単位のうち4単位が変更、2019年5月20日からは新しい定義に基づいた単位が使われるようになっている。これは一言にまとめると、全ての単位が自然に存在する変わることのない基礎物理定数で表されるようになったと言うことである。
単位はいまや、量子力学と相対性理論に基づいたものになった。おそらくこれからも新しい発見がある度に、より精度の高い定義に書き換えられていくことだろう。

人間の身体の延長線上から随分遠くまできたものだが、道具もまた感覚を拡張してなんとかなるとは言えなくなってきた。思いもよらぬ挙動をするAIも出てくるかもしれない。
せめてクルマはなんとかコントロールしたいと願う毎日である。

登場した用語:基礎物理定数
→プランク定数、ボルツマン定数、アボガドロ定数などなど。高校の物理や化学で習ったこと、思い出しました?
今回のBGM:「500マイル」 by 忌野清志郎
→清志郎が日本語でカバーした原曲はPPMの「500 Miles (Away from Home)」だが、そのルーツとなる「900 Miles」というカントリーソングがあるそうだ。

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