257回 揺れるまなざし



一時期SNSで、アイライナー不要論が拡散されたことがあった。
なんでもアイライナーを引くのは不自然ということで、もっとナチュラルなアイメイクを推奨したいという意図だったと思われるが、「アイライナーはもう古い!やってるのはおばさんだけ!」という過激な書き方だったため、当然炎上した。ナチュラルがまかり通るのは若いうちだけ、それなりの歳になるとアイラインがないと顔がぼやけるという意見から、どんな化粧をしようと他人にとやかく言われる理由はないというもっともな意見まで、様々な年齢性別の人たちが喧喧諤諤とやり合って、まあ結果的には「好きにすれば」というところに落ち着いたと思う。

私はアイライナー大好き派である。
そもそも切れ長の一重の目は、ただでさえ存在感が薄い。ファンデーションやアイブロウなど他の部分の化粧をした場合、目元がはっきりしていないとバランスが悪い。
立体感が強く瞼もくっきり二重で目もぱっちりした所謂顔が濃い人なら、マスカラだけでも十分だろう。実際欧米では、化粧道具を一つだけ選ぶならと言われて「マスカラ」と答える人が多いそうだ。彼女(彼でも良い)らは、まつ毛も最初からくるんと上を向いてカールしているが、私の場合しっかりと下を向いた直毛である。どんなにビューラーでカールしても、カールを保持すると言われるマスカラを使っても、速攻で下向き直毛に戻ってしまう。まるで形状記憶合金だ。
というわけで、マスカラでは全く役に立たないので、アイライナーに頼ることになるのである。普段はそれでも濃い目のブラウンのアイライナーを使って、自然な陰影になるように心がけているが、たまにはブラックのアイラインをがっつり引いて、ゴスなメイクもしたくなる。
顔の印象が劇的に変わるアイライナーは、とても便利なアイテムなのだ。

ここでアイライナーの歴史について押さえておく。
期待に違わず、みんな大好き古代エジプトが起源である。ツタンカーメンの黄金の仮面然り、ネフェルティティの胸像然り、パピルスなどにも山のように描かれているが、紀元前5千年頃から、古代エジプトでは男女問わず目の周りはくっきりと黒のアイラインで彩られていた。もちろん化粧ができるのはある程度の地位にいる人々だったが、それでもかなり普及していたのは事実だと思われる。
この黒のアイライン、「コール(Kohl)」と呼ばれるもので、細かく砕いたアンチモンや方鉛鉱を樹脂や獣脂に混ぜペースト状にして、象牙や木でできた細い棒で塗られたという。古代エジプトの遺跡からは、鉱物を砕くための石製パレットと擦り石や、コールを収めておくガラスやファイアンスでできた美麗な容器などが、埋葬品として多数見つかっている。それほどコールは身近なものであったのだ。

コールには単に美しく装うという目的だけでなく、眼病予防という役割もあった。それは邪眼から守るという呪術的な側面と共に、実質的な作用として抗菌作用やハエ除けという意味もあったからである。これは原料となるアンチモンや方鉛鉱に鉛が含まれていることによるものであるが、鉛と聞いてお分かりの通り、鉛には毒性があるため健康にはよろしくない。だがこの鉛の毒性は水に溶かすと抗菌作用として働くため、重宝されたのだろう。
実は化粧品として古今東西用いられてきた白粉には、鉛が含まれていた。そのため使い続けると鉛中毒という副作用に悩まされることになる。鉛の他にも、昔の化粧品には砒素や水銀といった猛毒物質が使われていることがあり、白く塗られた肌と引き換えに、自らの肌はボロボロになるという宿命だった。
それほどまでに人は、美とそれに伴う権威に執着したのだ。その美がたとえ今の感覚で見ればかなり奇妙なものであったとしても。

時代はずっと下って、1920年代。ジャズエイジと呼ばれる狂乱の時代には、フラッパーたちの黒くくっきりとしたアイラインが良く似合った。この時期日本でも、モダンガール(通称モガ)と呼ばれる女性たちが、細い眉にくっきりとしたアイラインを引いて闊歩していた。
1930年代は大恐慌が訪れたため、アイメイクも一転して控えめなグレーのアイライナーが主流となる。第二次世界大戦中の1940年代は、赤い口紅がメインとなったためアイメイクはミニマム、そして戦争が終わり世界に活気が戻ってくる1950年代に、やっとまたアイメイクが注目されるようになった。
1960年代からは、アイメイクも次々と流行が移り変わっていく。日本では60年代には、彫りの深い西洋人モデルに憧れて、二重のラインを引き大袈裟な付けまつ毛を付けたメイクが大流行した。それが一転1970年代になると、山口小夜子を代表とする黒のアイラインをしっかりと引いた切れ長の目が人気となる。1980年代からはメイクの流れは一気に多様化するが、20年間細くなる一方だった眉はバブル期に向けて太く濃くなり、それに反してアイラインは控えめに目立たなくなっていく。
この10年程の間は、涙袋メイクなど可愛く幼い印象を与える方向が流行っているので、アイライナーは劣勢である。ただ涙袋メイクは下手をすると単なるクマになってしまうので、テクニックが必要だ。

アイライナーは意外とテクニックがいらない。
今はペンシル型や筆ペン型など様々なタイプが出ているので、自分の好みや技量に合わせて選べば良い。昔のようににじんで目の下がパンダになることも亡くなった。まつ毛の間を埋めるように細く目立たないように引いても、しっかり太く描いた後にぼかしても良いし、色もボルドーやカーキなどアイシャドウに合わせて選べるように豊富に揃っている。
猫の目のように目尻を跳ね上げてコケティッシュにしたり、少し垂れ目の柔らかい目元にしたり、その日の気分で顔の印象が変えられるアイライナー。
これからも愛用する所存である。


登場した用語:猛毒物質
→単一の鉱物としては地球上で最も猛毒と言われる「辰砂(しんしゃ)」。賢者の石とか竜の血とか呼ばれるが、主成分は硫化水銀である。古くから「丹(に)」という朱色の顔料として、また漢方薬の材料として用いられた。印鑑を押す際に使う朱肉の本来の原料は、この辰砂である。
今回のBGM:「Nina Hagen Band」by  Nina Hagen
→“パンクのゴッドマザー“との異名をとる彼女。黒々と目の周りを彩ったゴスメイクのインパクトは凄かった。

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