277回 みんな笑顔であたたまる


身体を冷やすと胃痙攣を起こしやすくなる。今でこそ頻度は減ったが、昔は夏は冷房冬は低温にやられて、しょっちゅう悶絶していた。
胃痙攣に限らず、冷えは身体の大敵である。立春を過ぎた途端に大雪になるなど、この時期は特に油断ならない。気分は春に傾いているが、実際はまだ冬である。特にお洒落は季節を先取りするので、迂闊に春物を着たりしてしまうと、てきめんにやられる。痩せ我慢より健康。
家に居れば暖房に頼ることもできるし、どんな格好をしていても暖かくしていればいいのだが、いざ出かけるとなるとモコモコの部屋着というわけにもいかない。
それなりにスタイリッシュなファッションをしたいが冷えも怖いという時に強い味方になるのが、使い捨てカイロである。

今でこそ当たり前のように誰もが持っている使い捨てカイロだが、発売された当時はその使い勝手の良さと手頃な価格は保温具として画期的であり、爆発的な人気を博した。
ここであらためてカイロの歴史を振り返っておく。
カイロ(懐炉)はその名の通り、懐に入れた炉(熱源)である。平安時代末期から江戸時代にかけては、温めた石や砂や塩を布に包んだ「温石(おんじゃく)」と言うものが、保温具として用いられた。江戸時代後半には、木炭に保温性のある麻殻や桐灰を混ぜて燃焼を緩やかにした燃料棒を、金属製の密閉容器内に入れて使う「灰式カイロ」が登場する。
明治時代に入ると、金属製の筐体にロックウール(石綿)を保持媒体として内蔵する灰式カイロを製造するメーカーが国内に多数現れ、安価で簡便な保温具として一般に普及した。また麻の一大産地である栃木県で麻殻の再利用として懐炉灰の大量生産が始まったことも、普及に貢献したと言われている。この灰式カイロはアメリカにも「The Jap's Pocket Stove」と言う名前で紹介されたという。

大正時代ロンドンに出張していた的場仁一は、街中で円筒形の容器の蓋を開けると火が付くライターという代物を見つけた。手に持っていると温かくなる。これはカイロとして使えるのではないかと考えた的場は、帰国後研究に没頭し特許を出願、1923年に会社を起こし「ハクキンカイロ」と言う名称で発売した。
白金触媒式カイロ、ベンジンカイロとも呼ばれるカイロで、仕組みとしては気化したベンジンを白金(プラチナ)の触媒作用で酸化発熱させる方式である。戦争中は戦闘機や戦車までも温めたというこのハクキンカイロは、現在でも使い捨てカイロより温かいと言うことで、登山家などに根強く愛されている。
ただ可燃性のベンジンが入っているため、扱うのに手間と注意が必要でにおいも気になるということもあり、誰でも簡単に安全に使うというわけにはいかなかった。

第二次世界大戦後に勃発した朝鮮戦争で、寒冷地で戦う米軍兵士は、鉄粉と食塩などの助剤を入れた水筒に水を注いで熱を発散させる「フットウォーマー」なる装備を使っていた。これは「鉄の粉は錆びる時に酸化熱を出す」という化学原理を利用したものだった。
このフットウォーマーを基にして、旭化成工業(現・旭化成)が研究を加え、1974年に「アッタカサン」と言う商品を鍼灸院を中心に売り出し好評を得た。この内側の包材に不織布を用いた「発熱性保温袋」(実用新案特許)はその後販売中止となったが、その後も旭化成は使い捨てカイロに不可欠な不織布を独占的に供給することで利益を上げている。
1977年に日本純水素(現・日本パイオニクス)という会社に、このアッタカサンが2個持ち込まれ分析が行われた。なんでも腰痛持ちの社員が見つけて役員会に持ってきたそうだ。すぐに同じ原理に基づき改良された試作品がつくられたが、同社で一般消費財を販売することには抵抗があるということで、脱酸素剤の供給で取引があったロッテ電子工業(現・ロッテ健康産業)に販売協力を仰ぐことになった。
価格を下げるように要望された日本純水素側はコストダウンを工夫し、ロッテ電子工業側はネーミングや宣伝方法を任され、1978年に薬局ルートで発売されたのが、世界初の使い捨てカイロの「マジックカイロ・ホカロン」である。

1978年にはマイコール(現・エステーマイコール)が使い捨てカイロの「オンパックス」を発売。マイコールは1988年に、業界初の衣類に貼るカイロ「はるオンパックス」を発売している。貼るカイロは単に接着剤が付いていればいいという問題ではなく、特別に酸素の透過率をコントロールした不織布を用いるというノウハウがあるそうだ。
因みにこのマイコールという会社、創業1904年栃木県で懐炉灰用の麻殻の製造を行っていた紙屋商店がもとだというから、カイロの歴史と共に進化してきた会社だと言えよう。
1979年に100円で発売された白元の「ホッカイロ」(現在は興和新薬が販売)は、東日本を中心にヒットして今では使い捨てカイロの代名詞にまでなっている。
その他にも桐灰化学(もともとは懐炉灰の会社、小林製薬に吸収された)、アイリスオーヤマ、大日本除虫菊(キンチョーですね)、オカモトなどなど、各社しのぎを削る使い捨てカイロ市場となっている。

便利な使い捨てカイロだが、昨今はエコロジーの観点から使い捨てという点が問題となっている。
中身は鉄とバーミキュライトと炭などで、外袋はプラスチックであるが、自治体によってゴミの分別の区分が異なるのが厄介だ。燃えるゴミで出せる地域もあれば、不燃ゴミや埋め立てゴミとされている地域もある。いずれもゴミとなってしまうため勿体無いと思わないでもないが、さりとて再利用といっても靴の中に入れて消臭剤とする(炭が入っているため)程度しか思いつかない。
そこで何度も利用できる携帯カイロとして、ゲル状の保温剤や小豆などを電子レンジで熱して使用する電子レンジカイロや、電池式・充電式カイロなども出てきてはいるが、使い捨てカイロの手軽さには遠く及ばない。
持ち運びしないならば、湯たんぽという手もある。
7世紀の中国唐の時代に現れた「湯婆(これでたんぽと読む)」が発祥とされ、妻の代わりに抱いて暖を取るという意味だそうだ。なんともはや、妻は保温具か。日本には室町時代に伝わり「湯湯婆(ゆたんぽ)」となったが、当時は陶器製だったという。江戸時代の徳川綱吉公が使った犬の形をした湯たんぽが、日光に残されている。
ヨーロッパでも16世紀には日本の温石と同じような保温具が使われていた。
19世紀頃には銅製の容器に湯を入れるタイプの湯たんぽとなり、その後容器はゴム製から塩ビ製となってやわらかく使い勝手が向上して今に至る。

使い捨てカイロにせよ湯たんぽにせよ、気をつけなければいけないのが低温熱傷だ。
以前は皮膚感覚が鈍くなった高齢者や身体の自由が効かない身体障害者がよく受傷するとされた低温熱傷だが、最近は若者の間で多いという。
低温熱傷というのは、60℃以下の熱源によって引き起こされた熱傷をいう。65℃以上であれば瞬時に熱傷を負い、反対に44℃以下であれば何時間触れていても熱傷にはならない。ただたとえ44℃であったとしても熱源に圧迫された状態であると、短時間で容易に低温熱傷を生じてしまうのだ。
具体的には、湯たんぽの上に足を置いたまま寝てしまうと、3~4時間で低温熱傷になる。これは使い捨てカイロの場合も同様で、直接皮膚に当てたまま忘れてしまうと熱傷となる。貼るタイプのカイロは「必ず衣類の上から貼ってください」と注意書きがあるのはそのためである。
低温熱傷が怖いのは、見かけより皮膚の損傷深度が深いからだ。受傷直後は発赤程度のⅠ度熱傷だが、翌日には水疱を生じⅡ度となり、1ヶ月後にはⅢ度の深部にまで到達してしまう。こうなると治癒するのに数ヶ月かかり、瘢痕も残る。
くれぐれも長時間の同一部位の使用はしないように注意しなければならない。

いくら手軽で便利なものが現れても、その使い方を間違えれば元も子もない。
まだまだ寒い日は続きそうなので、お腹が冷えないようにバッグに使い捨てカイロを忍ばせて出かけよう。
くれぐれも貼りっぱなしで忘れてしまわないように。


登場したカイロ:ハクキンカイロ
→1964年東京オリンピックの時、ギリシアから飛行機で運んだ聖火の予備としてハクキンカイロが使われた。独自の方法で300~400度という比較的低温で安定した触媒燃焼をするため、炎が発生せず熱の状態で保たれるので、安全で持続に強いとして選ばれたそうだ。そして1998年長野冬季オリンピックでは、予備ではなくメインの聖火の種火として活躍した。当時はそのような事情は伏せられていたので、私も今回初めて知った。
今回のBGM:歌劇「雪娘」ニコライ・リムスキー=コルサコフ作曲 クレシミル・バラノヴィッチ指揮/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団
→春の精と冬の王の娘である雪娘(スネグラーチカ)が、真実の愛を知ることで溶けて消えてしまうのが切ない。


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