第22回 サラダは勘定に入れません


突然だが、サラダは取り分けない主義である。
もちろん隣の人が届かないだろうなと思えば代わりに取ってあげたりはするし、自分が取ったあと皿を回したりもする。でも率先して全ての人の皿に取り分けようとは思わない。食べたい人が食べたいだけ取ればいいと思っている。だいいち均等に美しく取り分けられる自信はないので、もしどうしても最初に分けた方が良さそうだと思えば、自分でやるのではなくサーヴのエキスパートの友人に頼む。なんでも適材適所というものがあるので、下手に自分が手を出して悲惨なことになるよりも、上手な人がやる方がみんなが幸せになれるではないか。しかし世の中そう考えるのは少数派らしい。

ちょっと前に「サラダ取り分け問題」というのが話題になった。なんでも女子力とやらが試されるのだそうである。誰が試すのだと思うが、それより以前にその女子力とはなんぞやと疑問に思う。Wikiによると"輝いた生き方をしている女子(一部の男子)が持つ力であり、自らの生き方や自らの綺麗さやセンスの良さを目立たせて自身の存在を示す力"だそうで、思わず笑ってしまった。輝いた生き方って、あなた。輝いた生き方をしていると自然とサラダを取り分けるようになるのだろうか。これ以外にも、女子力が高い、女子力を磨くなど、どうやら女子力というものは修行によって高めなければいけないものらしい。そうやって高めた結果どうなるのかといえば、就職に有利になるだの結婚に有利になるだのと、これはもう女性を馬鹿にしているのかと。
女子力という言葉は2009年の新語・流行語大賞にノミネートされたそうなので、この時期から出回った言葉なのだろう。Wikiよりもう少しまともな辞書によると"女性が自らの生き方を向上させる力。また女性が自分の存在を示す力"だそうだが、それならなぜ女子力があって男子力がないのだろう。そういう意味であれば、女子だろうが男子だろうがいいではないか。
おそらくこの女子力という言葉は、従来ならば「女らしさ」という言葉で表現されたような内容と考えられる。料理を取り分けたり、お酌をしたり、朝早く出社して花瓶の水を替えたりetc. こういった言葉の裏には必ず、それを享受する立場の人間が存在する。端的に言ってしまえば、男性なり上司なりといった存在だ。
本来ならばこういった行動は、男であるとか女であるとか、はたまた上か下かといったこととは関係なく、気づかいといったことの範疇で語られるべきものだと思う。誰かが不便にしていれば手助けをする、それだけのことだ。過剰に気をきかせることもまたかえってありがた迷惑になることもあるだろうから、いつも先回りして先手を打つようなことまではしなくてもいい。
その場に応じて、必要ならやるというだけでいいではないか。そんなつまらないことで他人に評価されるいわれはない。

他者にやってもらおうなどとねだるな。こんな瑣末なことにエネルギーを使うな。
ただでさえ少女にとって、世の中には戦わなければならない問題が沢山ある。サラダくらいは好きなように取らせてほしい。


登場した料理(なのか?):サラダ
→なぜ取り分けるのがサラダなのかというと、最初に出てくるからということなのだろう。実際全ての料理を取り分けるという例はあまりないだろうし、店の人ではなく客の一人である同席者に最初から最後まで勝手に全部取り分けられるのは、かなり辛い。食べたいものを食べたい量だけ自分で取りたい。
今回のBGM:「Ⅳ」by BADBADNOTGOOD
→トロントを中心に活躍するジャズ・ヒップホップ・カルテット。軽々とジャンルを越境する楽しさを味あわせてくれる。なんといっても名前が良いではないか。良いこでなんていられない、自分の好きなようにやればいいじゃない。ねえ?

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高柳カヨ子

精神科医/元法医学教室助手/少女批評家/Bunkamuraギャラリー「新世紀少女宣言」キュレーション/『夜想ーゴス特集』インタビュー/『夜想ー少女特集』評論/『S-Fマガジンー伊藤計劃特集』アーバンギャルド論/パラボリカ・ビス「アーバンギャルド10周年記念展」キュレーション

少女主義宣言

少女とはなにか。少女であるとはどういうことか。 あらゆる時代と時間を超えた少女たちに捧げる少女論。 「不在の少女」を探して言葉の森に分け入る試みを始めよう。 ヘッダー:「あのコになりたい」宮本香那作
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