284回 歌の翼に


驚くべきことに、かつて歌を習っていた。
いや、これを読んでいる方は驚かなくていい。自分で驚いているのだ。
かつてと言っても小学生の頃だから、今はもう昔ではあるのだが、それでもしっかりお教室に通って習っていたにもかかわらず、このていたらく。
つまり何が言いたいかというと、私は歌が下手なのである。

カラオケに行く機会はまずないのだが、もし行ったとしても徹底的に他の人の歌を聞く側にまわる。聞くのは好きだ。下手でも上手でも、他人が歌っているのを見たり聞いたりするのは、非常に興味深い。しかしどんなに勧められても、頑なに自分は歌わないことにしている。
ちょっと前まではカラオケ全盛であった。二次会はカラオケというのが定番だった。
このカラオケという言葉は造語である。その語源は宝塚歌劇団にあるという。
1956年に宝塚歌劇団の楽団員のストライキがあった。あわや公演中止という事態に慌てた劇団側は、松下電器(現・パナソニック)に頼んで、演奏のテープと機器を提供してもらい、公演にこぎつけたそうだ。当然その時のオーケストラ・ボックスは空っぽである。当時の「ラジオ・事業部新聞」という業界紙にも、「カラになったオケ・ボックス」というタイトルでトップ記事になっている。

カラオケ自体は、誰か一人の発明というわけではない。1965年から1975年の間に、ソフト・ハード・システム・サービスに対してそれぞれのパイオニアが存在した。それが上手く絡み合った結果、「カラオケ」という革新的な文化が誕生したと言える。
60年代当初8トラック(今は見たことがない人も多いだろう)から始まったカラオケは、スナックを中心に置かれていた。80年代前半にレーザーディスク・カラオケが登場し、映像と歌詞が出るようになる。そして80年代後半にはカラオケボックスの原型が出現し、90年代にはISDNを使った通信カラオケが始まった。
2000年代に入るとVOD(ビデオ・オン・デマンド)が普及し、カラオケ産業が大規模化するとともに淘汰が起こり、寡占状態となる。現在日本のカラオケ業者は、第一興商(DAM)とエクシング(JOYSOUND)の2社だけである。

世界的にもカラオケが流行し、みんな一緒にでもひとりでも「歌う」ことが日常に浸透していった矢先、コロナ禍が起こった。
個室カラオケでクラスターが発生して、閉鎖環境で声を出し合うことの危険性が槍玉に挙げられるようになり、カラオケボックスには一斉に閑古鳥が鳴くようになった。それに加えて時短営業や営業自粛が追い打ちをかけ、全国のカラオケ店の1割が閉店に追い込まれたという。
危機感を感じたカラオケ業界は、徹底した感染対策と同時に、その防音環境を売りにしてリモート会議室やテレワークなどの、「歌う」こと以外の需要に販路を拡大していった。
今ではカラオケボックスも多目的化して、趣味の合う仲間と映像を見ながら飲んだり食べたり(飲食も充実している)する場としても人気となっている。

通信カラオケによって、カラオケボックスだけでなくどこでも歌えるようになった。
勤め先の病院でも、カラオケは患者さんたちに大人気だ。作業療法の一環として開催されることが多く、みんな楽しみにしている。患者さんはそれぞれ十八番の楽曲を持っていて、聞き覚えがあるものも多くて楽しい。ああ、あの時代はこの曲が流行っていたななど感慨深く聞いていると、先生も歌いませんか?と声がかかることもあるのだが、いえいえみなさんの番を奪っちゃいけないのでなどと言いながら、笑顔で固辞する。
近頃のカラオケは採点などというものが付いている。音程や声量といった歌唱力が点数で評価されるのだ。通信されているので「全国で何位」などというものまで表示されたりする。カラオケが得意な人たちはそれを競うことが楽しいのだと思われるが、こちらとしてはたまったものではない。患者さんたちは上手な人が多いので、尚更そこは下手な私が歌うわけにはいかない。
ということで、いつも聞き役に徹している。

歌うこと自体が嫌いではないのだが、とにかく歌声のコントロールが下手で、自分でも音程が狂っているのがわかるので耐えられないのだ。話す方はかなり自在に声をコントロールできるのに、歌うとなると途端に全く駄目になってしまうのはどうしてなのか、自分でもよくわからない。
小学生の時になぜ歌を習っていたのかと言えば、別に自分から望んだわけではない。ピアノが習いたくて親に懇願して習わせてもらった時、親が探してきたピアノ教室の先生の本業が声楽家だった。その流れでなぜか歌も一緒に習うことになってしまったのだ。
先生は声楽家でオペラを歌うので、必然的に教わるのはベルカント唱法である。最初はもちろん呼吸法からだ。腹式呼吸をしっかり行うために、仰向けに寝たお腹の上に本を何冊も乗せられて、横隔膜の動きを意識して息を吸ったり吐いたり練習した。
ベルカント唱法というのは、イタリアの伝統的な歌唱法で、オペラで一般的に用いられる歌唱法である。「ベルカント Belcanto」というのはイタリア語で「美しい歌声」の意味だ。小柄なイタリア人が、身体全体を存分に使って共鳴させるように歌う歌唱法で、同じく体格が小柄な日本人にも合っているとされる。しかしイタリア語と日本語では母音の扱いが異なるため、この歌唱法をマスターするには当然かなりの訓練が必要となる。

幼少期の私の声域はソプラノだった。
先生にいつも「頭のてっぺんから天に向かって抜けるように」声をだせと指導されて結構頑張ったのだが、どうしても身体全体を響かせることができなかった。喉、つまり声帯だけで声を出してしまうと、倍音が少ない痩せた歌声しか出ない。そして声帯は筋肉でコントロールされているので、筋肉は鍛えなければ上手に動かすことができない。
歌を習うことに始めから消極的だった私は、歌唱訓練にもあまり身を入れずに過ごしてしまった。先生は歌の指導に熱心だったので、ピアノの発表会では必ず一緒に音楽劇も上演される。「くるみ割り人形」の時は仕方なく雪の精の歌を歌ったが、「白雪姫と七人の小人たち」では、小人役に抜擢されると鬼のような特訓が待っているので、無事後ろのコーラス隊になった時は胸を撫で下ろした。
因みに先生は白雪姫の継母役で、先生の知り合いの方が白雪姫を演じた。かなり厳しくスパルタな先生だったので、子供心に恐い継母役はピッタリだと思ったものだった。
その後第二次性徴期の声変わり(女性にも多少ある)で私の声はかなり低くなったので、今はソプラノではなくアルトである。どうしても歌えと言われたら、中島みゆきを選ぶ。

世界にはホーミーをはじめとしてその土地特有の多彩な歌唱法が存在する。
ひとつの歌唱法では禁忌とされる発声が、別の歌唱法では正統であったりもする。
もちろん声を楽器のように自由自在に操ることには憧れるが、プロの歌手ではない自分は別に下手でもいい。
音楽は、歌うことは、楽しいものだ。
上手い下手など気にすることなく、要は楽しく歌えばいいのだと開き直るとするか。


登場した音楽:オペラ
→イタリアオペラはベルカント唱法で歌われるが、実はドイツオペラはドイツ唱法という異なる歌い方を用いる。これは強靭な筋肉と大柄の骨格に恵まれたガタイの良いゲルマン系に適した歌い方で、かなりの体力が必要となるとともに声帯にも負担をかけるため、日本人歌手にとっては何日も続けて歌うのはキツいそうだ。以前ワーグナーの楽劇に出演したバリトン歌手の方がそう話していたのが印象的だった。
今回のBGM:「白雪姫と七人の小人たち」エレアノア・アルベルガ作曲 ピーター・アッシュ指揮/Taliesin Orchestra
→私が歌ったのはフリードリヒ・W・メラー作曲のほのぼのとしたミュージカルだったが、ロアルド・ダールが脚本を書いたブラックな翻案もあるのだ。


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