186回 マスコット・マスカット


かつてガラケーの時代に、携帯ストラップというものが一斉を風靡していた。ギャルと呼ばれた10代の女性たちのパカパカ(二つ折りの携帯電話)に、本体を上回る物量で沢山のストラップがジャラジャラと付いていたものだ。
スマホになってからもしばらくの間は、「iPhoneにはストラップを付ける穴がない!」という理由でAndroidを選ぶ人もいた。そのうちスマホカバーなるものが登場し、ケース型や手帳型など様々な形態にもストラップを付ける穴が開いていたものだが、いつのまにかストラップを付けているひとを殆ど見なくなった。

なぜひとは自分の持ち物に、携帯ストラップのようなマスコットの類を付けたがるのか。
そもそもマスコットという言葉は、フランス語のmascotteに由来する。このmascotteは、プロヴァンス地方で魔女を意味するmascoto(魔法使いmascoの女性形、mascottoとも書く)が語源だそうだ。さらに遡ると中世ラテン語のmascaに行き着く。魔女というと悪いイメージがありそうで、事実最初は邪悪なものという意味だったらしいが、その後反転して幸運や福をもたらす縁起の良い人や物という意味になったという。
プロヴァンス出身のフレデリック・ミストラルは、近代に於けるプロヴァンス語の再興に大きく貢献したとされる作家だ。代表作のプロヴァンス語による詩である『ミレイオ』で、1904年にノーベル文学賞を受賞している。
このミストラルが最初にmascotoという言葉を紹介したとされている。

マスコットがその言葉も意味も広く知られたのは、1880年にパリで初演された『マスコット(La Mascotte)』という全3幕のオペレッタの大ヒットに依るものである。
フランスの作曲家エドモン・オードラン作のこのオペレッタの内容はなかなかに世俗的なのだが、ペッティーナという登場人物の女性が「マスコット」として重用されるという設定が肝である。彼女は”幸運のお守り”というような資質(それは遺伝するらしい)を持っており、そばにいてもらうと運気が上昇するのだという。
ここで注意したいのは、彼女自身が幸運に恵まれるわけではないということだ。確かにマスコットそれ自体は幸運でもなんでもない。
このオペレッタは日本でもヒットして、帝劇や浅草オペラで何度も上演されたそうだ。

日本では江戸時代に「根付」というアイテムが大流行した。
元々は印籠や薬籠・煙草入れなどを持ち歩く際に、それらに付けた紐を帯に挟み、落ちないように留め具として帯の上に引っ掛けるために考えられたものである。
着物にはポケットがないので、こうしたものが実用として必要だったわけだが、次第に装飾性も重視されるようになり、細かい彫刻を施した美術品としての価値も付加されるようになった。明治時代になり洋装が主となると一時衰退したが、海外に熱烈なコレクターも多いため輸出用に生産は続けられた。象牙や蒔絵を用いた高い芸術性は、いま見ても精緻な工芸品として感嘆させられる。
この根付を愛する文化が、携帯ストラップやマスコットに通じるとみる向きも多い。確かに実用としてではなく、ある種のお守りや魔除けとして小さくて可愛いものを付けたくなる気持ちはよくわかる。

スポーツチームや企業は、自身のマスコットを定めているところが多い。マスコットは特定のキャラクタがデザインされているため、ひとめでわかるようになっている。地方のゆるキャラもそのひとつだろう。
軍隊でもマスコットとして生きた動物が可愛がられていたりするが、「不沈のサム」と呼ばれた第二次大戦の海軍船に乗船した猫が、伝説として語り継がれている(フィクションとする説あり)。猫は沈まなかったかわりに、関わった艦船が5隻(戦艦ビスマルク→駆逐艦コサック→空母アークロイヤル→駆逐艦リージョン→駆逐艦ライトニング)とも沈没したので、その後は二度と船には乗船させないとされて地上で余生をおくったそうだ。
これなどは猫自体が幸運だったのであり、周りは幸運ではなかったと言えるので、猫はマスコットとは言えない。

1998年の夏、渋谷109で発売されたハイビスカスの造花がついたストラップは、10日間で2万本売れた記録があるという。
そういえばギャルといえばハイビスカスというイメージだ。なぜハイビスカス。今でもダッシュボードに白いフェイクファーを敷き詰め、その上にハイビスカスが沢山置いてあるクルマを見かけることがあるが、ギャル文化の名残だろうか。

かく言う私も、新しいバッグを手に入れたりすると、いそいそとなにか可愛いマスコットを付けてしまう。
アクキーと呼ばれるアクリルキーホルダーも、もはやキーホルダーとしての用途よりも、マスコットとして用いられる方が多いのではないか。
小さなぬいぐるみのマスコット人形やアクキーは、いくつになっても男女問わず、お守りとしてまた幸運の招き手として、身近に置いておきたいものである。


登場した言語:プロヴァンス語
→フランス南部ロワール川以南、イタリアのピエモンテ州の一部、スペインのカタルーニャ州アラン谷などを含む「オクシタニア」と呼ばれる地域は、オック語を用いており、その中の南オック語が、プロヴァンス語である。ワインの産地で有名なラングドック(Langue d’oc)は、かつてオック語が話された地域という意味の地名である。
今回のBGM:喜歌劇「天国と地獄(原題:地獄のオルフェ) by ジャック・オッフェンバック エンリケ・マッツォーラ指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
→オペレッタといえばオッフェンバック。本名ヤーコブ・レヴィ・エーベルストというこのドイツ生まれのフランスで活躍したチェリストは、オペレッタの父と言われている。日本では「天国と地獄」のタイトルで知られているが、本来は「地獄のオルフェ」。第3部は運動会の定番曲となっている。


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