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日々徒然読書録1月①


▼短歌タイムカプセル▼東直子・佐藤弓生・千葉聡△書肆侃侃房
  
 選歌というのは、読者に大きな影響を与えるとのだということをつくづく思った。もしこの本が、短歌を読む最初だったら、寺山修司も、葛原妙子も、吉田隼人も自分にとって、違う歌人になっていただろう。寺山修司の歌は、たぶん誰かにどのようなことを言われ書かれても、感覚の修正がきくような気がして寺山修司と葛原妙子だけを読んだ。
 だから自選集が好き。『山口誓子 自選自解句集』と『雁之食』が僕にとっての詩歌の教科書だ。自選集には俳優の芸談に繋がるマイナス面もないわけではないが、それは捌ききれる範囲なので構わないし、好きな作家ならそれごとまやかされるのも本望だし一興である。

『短歌タイムカプセル』では、選歌した歌の中から一首選んで、三人の一人が鑑賞する。

 きみが歌うクロッカスの歌も新しき家具の一つに数えんとする

東直子は、寺山修司の歌からこの一首を選んで鑑賞している。

 相手がふと口ずさんだ歌を「新しき家具」の一つに数える。つまり、家具のように毎日大切に親しんでいこうとする決意を述べている。ここには、二人で暮らし始めたことへの高揚感がある。それにしても「クロッカスの歌」ってなんだろう。思い当たる有名な歌はないので、即興の鼻歌のようなものだろうか。庭にクロッカスの花でも咲いていたのだろうか。家具に喩えるからには、何度も繰り返したということになると思うが…

 というように書いている。何と凡庸な鑑賞。歌読みの歌鑑賞の中には良く「喩える」が出てくる。銀は何の喩えだろうか…とか。(葛原妙子の歌に対する川野里子)ここではクロッカスの歌を家具に喩えると書いてある。喩えてないでしょう。学校国語の、これは何を意味するかと同じ、学校短歌読みの、この言葉は何の喩えか。喩えられているものを語ってください——に等しく、くだらない。

 寺山修司の二人の生活とは、おそらく九条映子(今日子)さんだろう。

 寺山修司は、いわば前衛演劇の旗手であり、演劇に於ても変革を続けたある種の革命者だと思う。当時、近くで演劇実験室・天井桟敷を見ていた自分としては、あの舞台を越えるものを未だに体験していない。昔は良かったとか、そういう話ではない。もちろん土方巽の演出舞台にもとてつもなく心を奪われた。同じ位に。総合力では天井桟敷かな…(比べる必要はない)そうした舞台は今、日本では見られない。それは日常をどう逸脱するかという(日常から繋がった先で)ことを覚悟していたからだ。寺山修司たちは、だから日常にもそうした非日常を持ち込んでいた。普通に。普通に違ったことをしている、あるいは違う考えをしているということが、最大の魅力だった。別に無理してそうしているわけでもなく、そういう日常を生きていたのだ。

 若い頃、劇団員にもならず、人力飛行機舎や寺山修司の松濤のアパートに出入りしていた。ある日、寺山修司のところに、匿名の封書が送られてきていて、それを見せてくれた。というか、その封書は、結婚式ができない若いカップルが、お互いの財産目録を列記して、それを式の代わりにして知人友人に郵送したものだった。その一通が寺山修司のところにも郵送されていて…たぶん寺山修司にあこがれていたカップルなのだろう…封書の封筒には、宛名と住所が印刷されていたのだが、それを黒で強く塗りつぶされていていた。判読不能だった。
 これどうにか読めないか?と、寺山修司が僕にその封筒を手渡した。僕は、読み取れないですねと、興味なさそうに返した。寺山修司は、どうしても差し出し人を知りたがっていた。他人の内面、他人の素敵な仕掛けを覗くのが大好きな人だった。人と人のあり様に異常に興味を持っている人だった。僕は、興味なさそうにしていたが、その封筒の中身の財産目録の方は、ちらりと見て、全部、記憶していた。僕はそちらの方に興味があった。今は、「死んだ後の僕の右手の骨」と「コピーで作った滝口修造の『余白に書く』」くらいで…あとは、もう全然覚えていない。お洒落だなぁとつくづく思った。
 ところで、ジャックプレベールの詩に『財産目録』というものがある。そこからの影響ではないだろうかと当時は思っていた。寺山修司もおそらくそのことには気づいていて、コンセプトの真似には興味はなく…それは寺山修司の手法であって…寺山修司は真似とかのレベルじゃなく自家薬籠のものとして変位させてしまう…むしろそんなことを若い人がすることに興味があったのだろう。どんなカップルなのか…それを知りたいのだと思う。知ればまた一つドラマが寺山修司の懐に入る。

さて。

きみが歌うクロッカスの歌も新しき家具の一つに数えんとする

 この封筒のやりとりは、もちろん其の歌が寺山修司によって詠まれたずっとずっと後のことだ。僕が会った頃の寺山修司は、もう離婚した九条映子、田中未知、その他、多くの女性たちに囲まれ愛されて仕事をしていた。

 クロッカスの歌は、ほんとうにあっても無くてもいい。それは、寺山修司書く、歌の言葉であり…だけれどもそれは二人の新たな生活のジャックプレベール的『財産目録』なのだ。きみが歌う歌は、僕たち二人の宝物だし、財産だし、家具だよねというような感覚だと思う。「何もないのね私たちの部屋には」と九条さんが云うと、いや、きみの歌う歌があればいいという、昔の寺山修司がもっていたわりと純粋な感覚でもあるようにおもう。

 寺山修司の書くことは大体が虚構だから、ほんとうのことはわからない。だけれどもお洒落なところで新婚生活をはじめた寺山修司のところに、以前の友だちが来て、絨毯の上に煙草の灰をわざと落としていたと。それを嫌だなぁと思う自分が嫌だと寺山修司は書いている。そしてそこを出たと。僕が寺山修司に出会った頃、寺山修司は、松濤のボロいボロいアパートに居たし、映画関係と個人の事務所であった三田の人力飛行機舎も、古い木造の…でもこちらは手入れをしていてモダンな感じもあって…まったく贅沢な感じではなかった。カレーライスに入れる肉の量を気にする(多すぎるのは贅沢だと真剣に言っていた)ような人だった。家具じゃなくて歌、歌を家具にして生きる。僕はとてもそういうところが好きだった。

 寺山修司、若い頃はロマンティックな恋愛、恋愛小道具を駆使したように思う。ドラマティックに演劇的に。
小道具はもちろん言葉であり歌である。余談だけれど、まぁそれにしても寺山さんはほんとうにもてた。後での悪口もほとんど聞かない。

 もちろん時代が——何もないところから、何かを立ち上げることを希求した。だからそこにはロマンティークも、幻想も、虚構も、生き生きと存在していたのだ。零からの演劇。立つことが大変な時代だったのだ。ないところに何かを屹立させる、その発端は言葉である。

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