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『ぼくの演劇ゼミナール チェーホフの遊び方/カフカの作り方』 松本修


ボクにカフカのよみ方を教えてくれたのは、まちがいなく松本修(MODE)だ。

彼は、あわせてカフカの愉しみ方も教えてくれていたのだが、それが身体に入ってきたのは、だいぶたってからのことだった。さらにチェーホフと云うと…気にしはじめたのが今で、身体に入るのはいつのころだろう。そして松本修はカフカと同様にチェーホフのスペシャリストでもあったのだ。

ある日、突然、幻想文学作家の一文を読んで読字障害におちいった。それまでの自分が、してきた仕事が真っ白にかわった。いや白いだけならまだしも…歪んでいることにも気がついた。それからだいぶの暝い日々を過ごし…それはまだ迷路のように自分を捉えていて…けっしてそこから抜けることはなく…日常を混迷におとしめる。しかたなく、まがいに本を読みをはじめた。フローベール、プルースト…王道だ。もちろん症状は改善しないまま、読む行為は、映画にもコミックにも転移していった。そちらはなるべく読まず見る行為として。もともと読みは得意じゃないとか、開き直って…。だけどなぜやっているのだろう。やがて未練が身に残っているのかと…また自戒とともに進みが悪くなる。知り合いの編集者が「こんなのはどう?」と、補助線を引く方法を教えてくれた。高校時代国語より算数、いや数学が圧倒的に得意だった、ボクは、双曲線に引く接線を思い浮かべた。どこかに線を引いて入っていけばいいんだな…線に乗っかって…それからというもの、物語に接線を引くようになった。だめなときは強引に破線を入れてみた。破線が入っても、共振がなければ、モトノモクアミ、ただただ量を読んでいた若い頃と変わらない。差し込みをいれ、そこに身体が溶けなければ…身体を小説に入れる方法を教えてくれたのは、松本修。特にカフカに於て。『夜想#カフカの読みかた』では、松本修や高橋悠治が身体によるカフカへのアプローチの仕方を示してくれた。ピアノが弾けないので、高橋悠治の噺は、頭で分かっても感覚で同期はできない。演劇をすこし齧っていたので松本修のアプローチは徐々に身体に染み込んでいくようになった。出版後、パラボリカ・ビスで朗読のような演劇をいくつも上演してもらった。そして井上弘久(元転形劇場)。『変身』の朗読劇をあちこちで上演した。何度読んだだろう、何度井上弘久の朗読を聞いたことだろう。稽古も熱心にやった。繰り返すことによって、カフカのよみ方が身についてきた。もちろんそのよみ方は、カフカに有効であって…たとえばフローベルに使える読書法ではない。フローベルからはじまって読んだページ数は増えていったが…さてどうなんだ…と、混迷は深まるばかり。だから編集者に教わった補助線読書は、藁にすがってやってみることにした。さらに強引な手法にして。映画ならフレームで、小説なら一行で、カットラインを見つけて(見つからなくてもとにかく…)村上春樹の短篇作りの逆…あるいはその一行を求めて…。きっかけのウィンドウが開かないと入れない。仮設でもいいから、フレームを決めてそこから入る。読むセンスのある人は、[そこ]はうまく当たった場所になる、だろう。フランチェスコが、聖書をパッとあけて、一文を読んで説教を始めるように…。そんな当たりをもってくることはできない。だけど読書なので、駄目ならやり直す、あわないと思って放棄する、方法はある。(しかしほんとは、カットインの線はやり直しのきかない線、桃にナイフをいれるのと同じこと。…それでも専門家ではないので…一種の訓練だから、と、言い訳を自分にして、開き直って、接点を求めて小説や映画をパラパラとめくる。何度でも。どこか一ヶ所でも窓が空いていれば、開いているような気になれば、そこから入る。先日の『ドライブ・マイ・カー』は、タイトルまでかなり時間があって、そこから入ると、なかなかいい感じにイメージが変わった。最初からだと、何度もトライても厭な感じしか残らなかった。タイトルからなら見れるので、まあ許してもらおうかと云う感じ。とにかく読字障害、共感障害なので、もちろんきっかけつかみのトレーニングの域は出ていない。
ある日、隅田川縁の『タリーズ』で、線をさがして文庫をパラパラやってはひろい読みしていたら…「なんでそんなことするんですか!」と隣の女史が突然介入してきて…怒られた。「本はね、小説はね、物語なんだからだから、きちっと最初から読みなさいよ。作家は一行目に命をかけて書いているんだから。」確かに自分の演出している舞台で、遅れてきた人を入れなかったことがある、明日、もう一度来て、頭から全部見てよ、と。だからそう云うのは分かる。女史は、きっと作家の人か、その過程の人なのだろう。でもボクは今、不全症を患っていて、どうにも頭からだと、世界に入って行かれないんだよと…言い訳をしかったが止めた。目にうっすらと涙を浮かべていたから…でも、ほんとはこうも云いたかった、物語を線として通して書いていないものもある…例えば『ドライブ・マイ・カー』。チェーホフの『ワーニャ伯父さん』を分解して、さらに別のテキストも入れていて、それはあたかもカードにしてシャッフルするようにもして編み込んでいる。編み込みは、現場の、感覚やワークショップによって選択していく。ドキュメント的[今]も役者のリアリティも取り込んでいくから。で、あとで、整えて一本であるようにする。(ここから先に書くこともにわか勉強の一つ)モダニズムに入りたての作家、カフカやチェーホフも、そしてベケットも…そんなことをやっていたのではないかと…。カフカの長編、中編は、ブロックごとの塊として残されているし、チェーホフも戯曲のスタイルを使うことで、ブロック的な構成をして、全体をまとめている…。モダニズム以降、小説だって、映画だって、興業のためには(本を販売するためには)頭とお尻のできの良さを必要とし、線を通すように作るが…これを学んだのは、柴田元幸さんの解説。イーグルトンからの見事な引用で…イーグルトンを読んでもボクにはフィットしなかったが、柴田解説は、すっときた。(おそらくモダニズムという感覚と構造が全然分かっていない。身体に入っていない…つまり理解していないからなんだろう)「…だから、必ずしも最初から読みださなくても…そして自分がそうしているのは、ある種、病気のリハビリなのだから許して欲しい…」というようなことを理解してもらえるように女史に云うだけの力量をまだもっていなかったので、さらに躊躇していたら…女史の涙がまた少し多くなったように見えた。あ、いかん。と、思ったところで、突然、シベリア鉄道で、文庫のカフカを読んでいる松本修の姿が浮かんだ。まったく突然だ。

松本修には、カフカのよみ方を教わった。夜想を作りながら。カフカはそんなにやってなくて、本音を云うと、シュルツの特集をやりくて…で、カフカで地ならしたらいけるかも…といいかげんに考えた。まずはカフカ。しかし、カフカを最後まで一気に読めない!という世間で云われていることが自分にも普通におきて、きてさてさあたいへん…。ちょうどその頃、松本修が、カフカ三部作を、集大成的に座高円寺で上演している時だったので、知己もないのに押しかけるという乱暴なことになった。そして編集長助っ人にSを頼んで…どうにかスタ-トを切った。まぁ『夜想』のやりかたはほぼほぼいつもそんなだから…と…まぁでも大変だった。助けてもらったいつものことだけど、書いている人にもSにも、スタッフにも。で、松本修さんには、全然読めなかかったカフカを読めるようにしてもらった。松本修さんもカフカを読めなかったけど、シベリア鉄道に乗りながら読んでいたら、読めるようになったと…との一言がきっかけだった。うっ、じゃぁシベリア鉄道に乗るか…と、一瞬、本気でロシア横断を思ったが…もちろん実際には乗らなかった。松本修のカフカ演出を取材しているうちに…そうそれはとても吃驚の連続だった…ボクの演劇体験は、120%寺山修司なので…それをずっとずっと演劇の基本思考にしていた。松本修がワークショップを本格的に作動していたところは、寺山修司と似ていたが(あの時代にワークショップを独自に考えていたのはその二人が嚆矢だと思う)松本のカフカのワークショプで…訳は自分の好きなもの…それを持ち寄って…適当なところ…を皆で読んでいき、身体の動きを作ってみたりする…松本修はそれをカードにして、演出メモを入れていく…カードがどんどん増えていく…公演にするとも決めず、カフカのテキストに役者の身体が入っていく。(レジメが下手くそなので、『夜想の#カフカの読みかた』か『ぼくの演劇ゼミナール チェーホフの遊び方/カフカの作り方』を読んでいただけるとありがたい)カフカの中編は、松本さんのワークショップのようにして読んでいくと体に入ってくる。僕のカフカ読みには、松本修、そしてそのワークショップにいた元天井桟敷の、福士恵二、高田恵篤の2人がの肉体が、僕にとっての、カフカ接線になった。天井桟敷で『チェンチ一族』の上演の時に、テキストに係わっていたので…そして稽古をずっとずっと付き合って本番に入ったので…そしてその本番も全公演一緒したしたので、二人の肉体が天井桟敷/寺山修司/シーザー演出で、こうなるという過程を身に染ませていたので、逆に今、カフカの上演での二人から、天井桟敷を引いたものが、カフカ/松本修ということになるので、とても愉しくカフカにアプローチできた。二人の声と身体の動きをもって、まずカフカの小説を読む。もちろん二人が演じた場所から…カフカに指一本でも引っかけることができたら、あとは、自分で読み入ることも可能だ。松本修にもうひとつ教わったのは、複数訳を使うことだ。カフカを読む時に翻訳をいくつか併読する。言語を読めない自分は、訳の向こうにシェーマを感じようとする。朧であっても。

松本修は、カフカと共に、チェーホフもかなり多く上演している。云えば松本修は、カフカとチェーホフのスペシャリストだと思う。もちろん実績的にも。松本修の『ぼくの演劇ゼミナール チェーホフの遊び方/カフカの作り方』は、カフカへのアプローチでもあり、チェーホフの読本でもある。ボクの話しはこのあたりで終わる。これから松本修に依ってチェーホフを読んでいきたいと思っているから…。ただ付け加えて一つだけ云っておきたいのは、モダニズムの作品、カフカ、チェーホフを、モダニズムの手法をもって上演し続けたという、新劇やアングラの改良型の演出ではなくて、モダニズム・テキストにふさわしい本質的な演出法を、作り出し、上演し続けていたということだ。松本修の斬新さ、革新性もっともっと評価されても良いのではないかと思う。(ボクもまったくつかまえられていなかった…)そのことに対する評価が少ないのは仕方がないとしても、もっともっと松本の手法ごと、観客が楽しんでブラボーをの声を上げていれば…劇団の上演活動を休止しないでもよかったかもしれない(劇団経営はそんな簡単なことではないことは重々知っているのだが…)分かっていなかったのは、主に自分なので自戒を込めているだけど、誰を責めるとか咎めるとかではない。しまった!という心持ちがする。チェーホフの本をいま舐めるように読んでいる。チェーホフを再び、松本修から始めてみたいものだ…。

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