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フラッシュメモリー2022/2乃3/珈琲の旅 Ethiopia

珈琲の旅 Ethiopia

緊急事態宣言が出て久しぶりにいくつかある隠れ家珈琲店に足が向いた。不謹慎な話だが、人気店にふらりと入れるのはこんな時だ。人気店には二種類ある。おおまかに。美味しい店と腹が立つくらい美味しくない店だ。美味しい店に人が多いのは良くわかる。マニアだけでなく…いやマニアにもか…美味しいと感じれる、そして珈琲を飲み慣れれていないというか、飲む習慣のない人にも美味しく感じられる店だ。珈琲にもお客にも真摯なお店だ。

隠れ家珈琲店には大体が本を持っていく。ここは魔力のある場所なので、できたらややこしいけど頭にすーっと入って欲しい本…プルーストとかジョイスとか…今日は石川道雄訳のホフマン。石川道雄訳『黄金宝壺』。頭に入る素敵な訳なんだけど、さらに滋味も味わいたいから。ここの珈琲のように。

疲れた時に癒されるための場所。店主の著作(『珈琲の表現』 )を読むとそう書いてある。甘えて心の調子の悪いときに訪れることが多い。実際、鬱に苛まれて訪れたのが最初だ。静かに過ごすための場所。パソコンはご遠慮願っています。そんな感じ。本は良いのかなとトートバッグから取り出すと、自分の上の明かりだけが少し光量が増した。各テーブルの上の照明が個々に調整できるようになっている、ようだ。明るさちょうど本が読めるくらい。すーっと文字が心におちていく。(僕の場合…)そうして通うようになったのだが、通うというほどには入れない。人気店だ。

久しぶりになので…販売物が少し変わっていて(ここはチョコレートも美味しい。すごく)本が1冊…。あ、松屋で展覧会した時のだな…早速買い求める。もって二階にあがる。この本は、最も古い原生種に出会いに行った時のドキュメント…。ドキュメントと言って良いのか分からないけれど…話は、前にも少しだけ聞いていたし、前著にも書かれている、エチオピアにある、樹齢200年の古木、珈琲の木の話。珈琲の世界はお茶よりも進んでいて、原生種と無農薬と製法について、個性を重視する方向へ回帰している。つまり大規模の農業でない持続可能で美味しいその土地の個性をもつ産物…この場合は珈琲だけど…を求めそこに価値を見いだすネットワークの形成——。

珈琲の森に入って、古木、珈琲の樹に出会い、その豆で珈琲を淹れる。写真も撮ってきた…と見せてもらったのが、来店二回目の時。話を聞いて本にできるなぁとすぐに思った。瞬間、本になるかどうか、さっと自動的に思うのが自分の習い性。(誰にもならっていないけれども…)通常でいけばそうとう無理なところでやるのが楽しい。でも鬱だったので何も言わなかった。何も言わなくて良かったと、つくづく思った。その本を見ながら。

この本は、所謂出版企画というものとは、異なる素性の編まれ方をしている。羨むばかりの…。

珈琲屋(自分でそう言っている)と写真家と編集者が、エチオピアの森にでかけて、そこで作られている珈琲豆を見て体験するのだが、三人が別々の視点で[同じこと]を記述している。だから写真の同じカットが何度も出てくる。

表紙を開けると、

「珈琲の原木の森へ、一緒に行きますか?」

珈琲屋にそそのかされて、

私たちはエチオピアに向いました。

次のページには

「珈琲の原木の森へ、一緒に行きますか?」

冗談半分の軽い誘いであっただが、

まさか皆がのってくるとは思っていなかった。

なんともあっさり実現する形となり、

本当に連れ回しても大丈夫かと、とても緊張した。

書き手は別の人。もちろん。

その二つの文章の周辺にもう1人のメッセージが読める。

魅惑の香りをまとう豆を育む珈琲の故郷・エチオピアへ。同じ景色をみているようで、まるで違うものを見ていた、

私たちなりの、旅の記録

あることがらをいくつかの視線で記述すること。それを本を編集する行為で共有すること。

編集にかかわった人の意見や感覚を矯めて一つにまとめるのが編集。あるいは編集長が決めたように[編む]。知の巨人のような誰でも憧れる人を崇めて[編む]…いろいろにあるけれど、それぞれの視点そのままに一冊にする。ちょっと嫉妬にかられるくらい羨ましい。

多様なものが矯めず活かされる場。しかもそれがある種の楽しさ、快楽さをもって成立する。そんなことができなければ、これからうまく人間は生きていけないのではないかという思いがある。

エチオピアの植民地風な珈琲生産でない、原初的な、なおかつ美味しい珈琲を生産する人たち(経済的にはちょっと大変な…)の視線と交錯する地点というのは難しいけれども、それでも視点の多様性、生き方をそれぞれ尊敬する慈しむというところから、もしかしたら可能性も生まれるかもしれない。

思いながら、静かに[シモダ]を呑む。石川道雄(日夏耿之介のお弟子)訳すホフマンは、不思議に読むものをドレスデンの街に立たせてくれる。『黄金宝壺』今は『黄金の壺』と訳されている、ホフマンの傑作は、たくさんの名翻訳家の手によって訳され、それぞれの訳に魅力を見いだされ、どれも簡単に読むことができる。訳がそれぞれに生きているのである。

リネンの窓覆いの光りがだいぶ黄昏めいてきた。そろそろ外へ。現世に戻ろう。

#蕪木 #珈琲 #シダモ #今野裕一 #ホフマン #黄金の壺  

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