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日々徒然読書録1月②『ミて』165号

 二階に挨拶にいきましょう。
新高あらたかさんは、実家の父親に僕を紹介するような感じで、二階に誘った。
「はじめまして…」
僕は挨拶をした。新高さんが『夜想』の元編集長と紹介をすると、
「知ってるよ。会ったことあるよね。」
えっ。僕は吃驚した。確かにここ『炉端』には二回ほど来たことがあると記憶しているけど、お会いしていると思うけど、超若造だった自分…。
 最近、何度か新高さんたちに『炉端』に連れてきてもらって、昔の記憶を新たにしていた。どんな記憶かというと新橋あたりの飲み屋で、二階に炉が切ってあって、ちょっと天井が高くて貸し切りで…セゾン劇場の支配人になっていた詩人の八木忠栄さんに連れて来られた。吉岡実さんが居て…たしか土方巽さんも居たと思う。その時は土方さんとは知り合ってもいないし、名乗る感じてもなかったし…という記憶。新高さんに連れてもらって、あ、ここだ!と、あれは夢じゃなかったんだ。
 で、その時の店主の井上孝雄さんが、僕を覚えているなんてと、吃驚したのだ。僕の方はすっかり土方さんに夢中で、井上さんのことを把握していなかった。
 二階で挨拶して、今は、居住に使われている三階にもお邪魔した。片山鍵の油絵が飾ってあったり、井上さんの交流した作家たちの作品が、所狭しと掛かっていた。高橋睦郎さんの詩の会のチラシとか…。ここは詩の館、エリュアールでいう『貧者たちの城』。

 『ミて』第165号は、『炉端』のご主人、そして詩人たちの守護神だった井上孝雄さんの追悼号になっている。
そう井上さんは、僕が信じられない邂逅をした(二十代か三十代の最初の頃に伺って以来、一度もお会いしていない)そのすぐ後に亡くなられた。追悼には、足立正生、新井高子、樋口良澄、ジェフリー・アングルスが文章を寄せているが、誰も彼も素晴らしい追悼文で哀しんでいることはもちろん、受け止めたこと、してもらったことを、確かめるように噛みしめてきましたよと書かれていて、誰もがお互いに詩という媒体で存在を賭けてつき合っていたことが分かる。
 足立正生の文章に、井上孝雄は決して創作の側には回らなかったと——あって、それは『炉端』という食べ物と場所(サロンなのか梁山泊なのか分からないが)というメディアをもって作家や詩人と付き合ってきたものの矜持なのだと思う。その感覚は、創作者の側にいて応援している人間としては、共感以上の尊敬の念をもつ。
 寄せられた文章を読んでいると、井上孝雄は、人や作品を読解く力に優れていたのだということが良く分かる。それは見巧者という存在とは少し違う、創作者が万が一困ったときに、あるいはこれから活動をしようとして踠いている作家の卵に、適切なひと言を言えるような読み方であったようにも思う。

 『ミて』の仕事は、記録し残す仕事も多いのだが、感覚的に云うと、行為を発掘するものだ。新高さんが、地べたをきちんと捉えている詩人だからだろう。井上さんについてもたくさん教えてもらった。生きていく姿勢を書かないという試作を…。
僕の方も残り少ないから、教わったものを活かす場面はないだろうが、それでも何かのときにふっと、言葉になって出てくるかもしれない。『ミて』と井上孝雄さんに感謝したい特集号だ。

PS
 連載中の樋口良澄さんの視点も興味深い。寺山修司と唐十郎は初期の頃から、影響し合っていたと感じている。仲もものすごく良かった。(なんどか電話で話しているのを寺山さんの傍で目撃した。一回は寺山さんが覗き事件でたたかれているときだった)唐十郎の初期作品や動きに関しての樋口さんの発掘力も素晴らしい。連載を愉しみに読んでいる。

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