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フラッシュメモリー2021

紫紺の空に月が揚がっていた。その月の夜に、いつものように自己紹介をしながらその回の感想を述べる座談になった。突然、笠井叡が「ドイツへ行く」と宣言した。笠井叡からドイツ行きの話を細かく聞いたのは、帰りの横須賀線であったか、記憶にないが、オイリュトミーを習いにオイリュトメウムへ行くということだ。その頃、僕は高橋巌のシュタイナー研究会に通っていた。たぶん笠井叡に勧められたか、ねだって紹介してもらったか…。

少し前から、笠井叡は「天才の時代は終わった。優れた踊りを見せることに意味がなくなるかも…」と話してくれていた。土方巽はアスベスト館を封印して、のち大野一雄の「アルヘンチーナ頌」を振り付ける。エッジのたった踊りというよりは、弱さも抱えた人間の感情を振り付け表現しているように見えた。人間の時代になったんだなと、その時おもった。

贈られた写真集が机の上にのっている。「Stutgart/Chikashi Kasai」。写真集には大平一枝が文章を添えている。その文章に拠れば…大平の文章は、素敵にフラットだ…二人の感情の機微をじっと見つめて記述している…。写真家・笠井爾示の言葉を借りれば父は「突然ドイツに渡ると言い出した」と。四年後帰国を決めるのも突然だったらしい。父とはもちろん舞踏家の笠井叡だ。写真家は笠井爾示。この写真集を見て、家族の側からの笠井叡を想像してみた。穏やかさとは反対に修羅も感じた。

ドイツ行きの突然の事情については、笠井叡から聞いていた。エルゼ・クリンクという校長先生の踊りだけが、オイリュトミーを実現していると、笠井叡は言っていた。あの人だけだと。自分が信頼するのは——たぶん帰国の原因もエクゼが亡くなってのことだと記憶している。家族にも、突然、ドイツに行くと宣言したのか…。笠井叡らしい…。宣言を聞いて、あれから40年もたった今日、家族の側からの視点を見ることになった。この写真集の中に笠井叡の姿はない。気配すらない。笠井叡を消すのは至難のことだ。笠井叡はどこへでも出てしまう人だから…そして無垢な人だから。無垢は刃である。素晴らしい踊りであることの一方で、彼はどれだけ自分以外のものを壊し、傷つけたか。だからこそ彼は天才で唯一無二の表現者なのだ。写真の穏やかさの向こうに修羅を感じる。

僕は被写体になっている笠井叡のパートナーの久子さんと挨拶をする仲ではあるが、それ以上ではない。ダンサーの笠井禮示さんとは楽屋で何度か話したことがあるが、そのくらい。笠井爾示さんと面識はない。昔の写真は見たことがある。以来…ほとんど頭の中に笠井爾示の写真はなかった。そして目の前に水仙色した笠井爾示と笠井久子が産み出した写真集がある。僕は、笠井さんの家族に常に笠井叡と一緒の風景の中で会ってきた。僕の見たことのある久子さんのいるところには、風景には必ず笠井叡さんがいた。家族は必ず[笠井叡の]が付帯されてしまう。笠井叡の側に立っていると。

久子さんが居て…カメラのこちら側には、写真家・爾示がいる。その二人の空間、やりとりの中に写真が焼き付けられた。焼き付けられたとは、古い言い方だが…そして実は、写真家の気配もない。縦一で統一された写真には、必要のないものをカットして、その人と、その人の感じている空気と風景と…それからそれを包む爾示の気持ち…あるいは感情のようなものが写っている。閉鎖された画角なのにとてつもなく静謐で、果てなく柔らかい。鬱で死にたくなったことのある、そして進行するリウマチを身体に抱えた久子さんの、柔らかい笑み。笑みは顔だけでなく身体全体から仄かに緩やかに伝わってくる。負を重ねたときにさらに年齢が堆積すると生きる気持ちを失うことがある。(それは自分の話だが…)だけれども…久子さんは今を負の重なった状態とは受けとめていないかもしれない。きっとそうだ。もしかしたらこの写真集の写真の時間に、空間に水仙を見たときのように――至福の覚醒が訪れたに違いない。

ドイツから、笠井叡と息子二人と帰国して、日本のコミュニティに溶け込めず、モノクロームの世界に陥った久子さんに満開の桜が続く歩道の草むらにラッパスイセンが踊るように揺れている。その時その太陽のような黄色が目に飛び込んだ。(大平一枝後書きより抜粋)踊るような…踊るように存在した黄色のラッパスイセン──踊りと伴走するように生きている久子さんらしい受けとめだ。踊る水仙。黄色の…。その瞬間に感覚が開き、生命が別の活性化したのだ。そして写真集。二人の関係がさらに水仙の覚醒をもたらし、それは至福の暖かい光となって見るものをも包む。

カメラと視線を介在して過ごしたドイツでの時間と空間…写真に写っている全てが奇蹟のように光っている。その[光っている]ことの最中に久子さんの裸体がある。おしゃれな服を着て屋外にいる久子さん、室内で裸身の久子さん。裸身でありながらおしゃれな服を着ているのと変わりなく見える。

「人間の身体って不思議ね。老いるとちゃんと指紋がなくなっていくの。すごいn、よくできているなって思う。老いたり病が進むと、ちゃんとひとつずつ機能を失っていく。尊いし、愛すべき存在。」

大平一枝が久子さんの言葉を記録している。生きていることの穏やかさ力が、息子とのやり取りのなかで生成し息づいている。それは、発生したのではなく、自然とあったのでもなく、旅行のあいだに写真で生成させたもの——であると思う。

老いの肌を、老いの身体を、生きた履歴として褒める写真はあっても、穏やかに[光の膚]としてそこに在るように撮った写真を見たことがない。老いとか鬱とかはやっかいで、なかなか扱いに困ったりするものであるが、そうであっても…このように在ることができるのだ…。それはここに関与した人たちが、芸術というもの(踊りだったり思想だったり写真だったり、そして生きることだったりに)に尊厳をもち愛おしいものだと感じて生きているからなのだ。


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