見出し画像

『迷宮遊覧飛行』で霧散した[もやもや]がまた再び。


 山尾さん、私は、特集号のときの複数の[もやもや]で山尾悠子特集の編集長を降りて、それからずっとパラボリカから離れています。別に作ったお茶の会社でいろいろな準備をしています。
 『夜想』を降りてから、山尾さんとは直接あってもお話になりませんしメールのやりとりもしておりません。だからと言われる[だから]は、何のことかさっぱり分かりません。

 Noteの記事は、純粋な読者として、徒然なままに書いたことです。純粋に文字だけからいろいろなことを読み取ってみるという実験をしています。なので山尾さんの信奉者にとっては、気になるやり方かもしれないので、読まないで下さいと書いてあります。そのnoteの後半部分は有料にしてあるので、誰が読んだかが分かります。山尾さんがツィートを書いた段階で読んだ方は3人です。一人は中川多理さん、一人はミルキィさん、一人はボクの精神科医です。山尾さんも礒崎さんもファンの方々も、後半部分に書いてあることを読まれていません。そして、全国、山尾ファンの方々も読まないでくれてありがとうございます。こういうふうに誤読されるのが怖かったので。
 しかしながら、その全文を知らない方たち(ツィート3000人~6000人)に、伝えるような形で、ツィータで直接ぼくに呼びかけるというのは、如何なものでしょうか。多理さんから謝罪をもらって許してもらっていて、もうことは済んでいるというような感じの、そしてあたかも今野が、多理さんのことが載っていないということに何らかの抗議をしているようなことを匂わせる結果になるような説明、私のミスでもう処理は終わっていると、いうことを、ここで今野に対し名指しで云うのには異和感があります。何でそんなことを云わないといけないのが分からない。
 有料の後半部分に、その[言い訳/攻め]に対応するようなことは、書かれていません。載せる基準をエッセイかそうでないかとおっしゃっていますが、ぼくの書いていたのは、物語を書く、文章を書く、本質的なことのなかで、起きた欠如の可能性を語っています。(うまく書けていないかもしれませんが)
 本来、noteで行うような文章ではありませんが、ツィートで公開名指しで話しかけられたので、落ち着いて、本音でお答えしました。『迷宮遊覧飛行』を読んで霧散した[もやもや]が、またぼくの廻りに立ちこめはじめました。不快なことです。

あと、些細なことですが
『夜想』がグロテスクなことを扱っていたような印象操作をされていますが、『夜想』はグロテスクな記事を載せていません。生理的なことはもちろん思想的にも、です。『屍体』はグロテスクではなく、いわば哲学的であったり(若桑みどり)、表現の最高位である→土方巽、といったようなとらえかたで、グロテスクとは縁もゆかりもない編集の仕方をしています。雑誌『TH』と『夜想』が同類の雑誌だと云われたりして、これに関してはだいぶ憤慨したりもしますが、自分としては、違う位置にあると思っています。それは雑誌のもつ役割や方針が違うと云うことだけです。ただ違うということは重要だと考えています。
『夜想』は動物的な、生理的な感覚が作動しない、させないところで、特集を組んできたつもりです。させないというのは、難しく実はおこがましいのですし、ある種、できないのですが、自分としては矜持をもってやってきたと思いますし、歴代のスタッフたちも、あの鬼畜ライター村崎こと黒田一郎ですら、『夜想』で、鬼畜は絶対やりませんと編集長よりも夜想のトーンを大切にしてくれました。



『薔薇色の脚』中川多理人形作品集/出版と展覧会について①

『薔薇色の脚』中川多理人形作品集/出版と展覧会について②

『薔薇色の脚』中川多理人形作品集/出版と展覧会について③

『薔薇色の脚』中川多理人形作品集/出版記念展について④

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?