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都市伝説は似非科学であり科学ではない


都市伝説を科学と定義するのはやめましょう

最近、特にYouTubeで目にすることが多くなったのだが、都市伝説を科学と称して理論物理学の都合の良い部分だけを切り取り(しかも、その内容も間違っている!)科学と称している動画が少なからず散見されるようになった。

確かに、都市伝説は物語やエンタメとして私も楽しんでいるが、それを本気に信じている人々が少なからずいることに危機感を抱いた。本noteの作成は都市伝説に染まった方への処方箋となればと思い書いてる次第である。また、うっかり信じてしまわないための予防薬的な意味合いもある。

古代宇宙考古学は似非科学の筆頭格である

これは古代宇宙飛行士説とも呼ばれる似非科学であるが、現代の科学で解明できない事象のほぼ全てに宇宙人が関与しているという乱暴な説である。諸元は1970年代のSF小説であるが、これが現実の話として語られるのは問題である。

私は別に都市伝説の全てを否定しているわけではなく、そういったストーリーをエンタメとして楽しむ分には何も問題はないが(私も都市伝説の話は大好きである)、それを科学と称するのは無理がある。

残念なことだが、都市伝説に染まった方々はカルト宗教よろしく独自の科学の世界観を持ってしまっているので基本的に科学の行動規範を提示しても無意味である。彼らにとって人類よりも高度な知的生命体が創造したという普遍論が受け入れられて信念のようなものになっているので議論するだけ無駄である。

繰り返しになるが、諸元がSF小説(エーリッヒ・フォン・デニケンの『未来の記憶』)なのでフィクションである。理論物理学の良いとこ取りをして科学的体裁を取っているので信じてしまう人は盲信してしまうのである。

都市伝説に利用されまくっている神話について

古代文明の神話が似てるからといって、宇宙人がやってきて文明を築いたとする似非科学は完全に間違いである。知らない方のために説明すると、神話ではよく大洪水に関する描写がされていることから、宇宙人が文明をリセットするために意図的に大洪水を起こしたというのが古代宇宙飛行士説による説明である。馬鹿げた話ではあるが、もともとが空想のSF小説であり、普遍論は受け入れられやすい概念なので信じてしまう人もいるのである。

都市伝説で解説される神話は偽りである

神話に登場する神々が宇宙人であるという説明は乱暴である。または、宇宙人が創造した神とするのも何も理論的裏付けがない妄想である。以下では、神話とは何か?という根源的な問いに対して科学的見地から神話を解説するものである。

神話とは?─神話を解釈するとは?

まず神話には2つの側面が考えられる。誤りであるような話に対する拒絶の意味としての負のイメージ。そして、日常には見失われた心理や風景・情景が垣間見られるような話としての正のイメージ。この両義性を持っているのが神話といえる。物語の表層(物語、人物)にマイナスの評価が与えられるが、その奥に深遠なる真理や真実があるのではないかと言われている。

J.Hirk(著作『古代及び他の文化における神話の機能』)によると神話の定義は次のようになされる。最初に、神話は民話などとは異なり伝承された普遍的な話に属するもの、つまり伝承された話の一つである。このことから、言語による現象の一つと言えるのだが、誰によって創作・想像されたのか考えるのは無意味である。なぜなら、答えがいくつもあり曖昧だからである。したがって、想像主体を明らかにするアプローチは上手くいかない。伝承されるのは、相互作用によってなされるから聞き手を無視して追及できるものではないのである。言い換えれば、神話はアイデンティティをもちつつ語り継がれるものなのである。また、話なのでテキストをもとに解釈はできない。テキストは固定されているが、話は流動的だからである。ゆえに、神話はテキストの言葉として覚えられないが、話の筋が理解される構造を持つものであると言える。

ギリシア語で考察する神話について

話というものは直接的指示内容がないので、テキストや現実と等しいものではない。文章の因果律、時間的連鎖、構造化で伝えられるものの選択がされ、そしてそれが凝縮され、劇や叙事詩といったさまざまな形式で表れる。例えば、3つの面が見える立方体のそれぞれの面に1~3の番号をあてがった場合、その数字が元の立方体ではなく、一枚ずつカードとして線的に並べられるところを想像するとわかり易い。また、ギリシア語でlogosとは真実の断片を集めて語ることを意味しているのだが、mythosとは本当のことを言う責任を放棄した上で語られる話を意味する。したがって、ここでいうその話には虚構が含まれ、伝承され、事実に基づかない切り離されたものなのである。

神話が結びつける自然現象

一方のでまた「神話のような真実」と言われることもある。つまり、神話には真剣で神聖な何かがあるのではないかとも考えられているのである。神話がもつ虚構とこのような真理はいかにして結びつくのだろうか。まず、第一に自然現象が考えられる。例えば、ゼウスは宇宙を支配する神であるのだが、雨や天候といったものがあると、そこからゼウスの話が生まれるのである。とはいえ、このように解釈するのは現在では少数派である。第二に、歴史的事実である。例えば、トロイ戦争などがそれにあたるが、神々が登場してくるところからリアルな話であるとは考えられない。また、大蛇退治などは川の支流を蛇の頭とみなした解釈から治水工事であると考えられたりもする。このように、神話にはあらゆる解釈があてがわれるのである。神話とはリアリティーとはかけ離れていて、そこから馬鹿げたものを取り払うと神話が駄目になってしまうかもしれないのである。

神話は「リアル」ではない

ここで上記のことから、いくつかの問題が生じる。ひとつは、根が一つの話なのに、いくつも根があっていいのかということである。もうひとつは、時代、学者によって直接的指示内容が異なるということである。前者は、どれも正しくないように見えるし、逆に後者はどれも正しいように見える。すなわち、これは問題としてそもそもおかしいのである。リアルなものから生まれたという発想を捨てるべきなのである。我々が感じるリアルなものは、オリジナルではない。神話というのは話であり、事実とは等しくはない。起源に直接的にリアルなものを指示できないのである。「神話は何から生まれたのか?」という問いは魅力的ではあるが、問題として間違っているので放棄すべきなのである。神話の本質は、伝承された話であり、再話可能であり、覚えることができる一度聞いたら忘れないという構造を明らかにしたら、それが分かるのではないのだろうか。

神話にはパターンがある

ウラジミール・プロップは次ぎのような方法で全ロシア民話を一つのパターンに還元しようとした。話と言うのは、機能の連鎖である。ここでいう機能とは、(S)V「~すること」ということである。「~する」というカードを全ロシア民話から抽出しつくっていくと、31に還元される。それが線的に繋がれたものがロシア民話なのである。また、その機能の連鎖は固定されている。つまり、それぞれのカードが並ぶ順番から外れて、カードは並ばないのである。同様のことが、探索民話においても言える。

①-命令
②-出かける
③-見つける
④-取る
⑤-帰国
⑥-渡す

実はこのような構造はすでに先見的本能的に知られているのである。機能の連鎖を知っているような話だったら、一度聞いただけで忘れてしまわないのである。これは伝承される話のひとつの特徴である。

以前は、内容を無視して個々の要素を取り出し、物語と全く無関係の要素をあてがい神話を解釈しようとしていた。これは言語学上誤りだった。例えば、古代のインドの言語学者は音と意味の普遍的な結びつきをみようとしたが、これは言語によって異なる。

神話はいつの時代にも当てはまる

神話は昔の出来事を語っているが、いつの時代にも当てはまることを語っている。これは神話がもっている時間体系のためでもあり、それは通示的、不可逆的、共示的なのである。これは、フランス革命をあらゆる時代に適応するかのような、歴史の教訓と似ている。したがって、その特殊な時間体系にしそって神話は読まれなければならない。そこでは通示と共示が補完関係なのではなくandの関係である。普通の言語活動とは異なるので、音素や意味素や形態素以外の一番小さな要素、すなわち神話素によって翻訳可能なのである。神話素とはカードを作ること、つまりSVのことである。

オイディプス王の物語から、通示的且つ共示的に神話素をとりだした。その表は以下の4つのように分類される。

左1 親密度が過大化された血族関係  → A
左2 親密度が過小評価された血族関係  → A'
右2 大地から人間が生まれてくることの否定 → B
右1 大地から人間が生まれてくることの肯定 → B'

B'がなぜそのように言えるのかというと、北米インディアンに伝わる神話から、レヴィストロースがその固有名詞に不器用さの意味をあてがっているからである。また、女性蔑視が古代ギリシアの背景にあり、そのために人間は大地から生まれるものという教義が考えられ信じられていた。ここから、次のような合理的解釈がなされる。AA'は現実にあり得る。ならば、BB'という関係も認めてよい。ゆえに、この教義は本来否定されるものだが、真理として認められると説明されうるのである。このような説明の背景には、二項対立という構造を通して神話を解釈しようとする潮流があるからである。

再びウラジミール・プロップに話を戻す。プロップは線的に繋がった31枚のカードによって、ロシア民族を一つのパターンへと還元した。そこで現れたものは、固定された機能の連鎖で、再話可能な覚えやすい構造をもっており、話の筋としてはもともと知っている場合が多かった。たとえば、getという命令が与えられたときそれに続く以下のような行動が必然的に予想される。

get→何を?→出発→探す→発見→奪う→戻る

このように、神話を聞いた場合においても普遍性あるいは話の筋を見るのである。

神話の機能性について

W.Burkertはこのプロップのアイデアを利用し、ギリシア神話からある5つの機能の連鎖をもつ話を取り出し、それらを少女の悲劇神話をいう大きなカテゴリーにまとめた。その5つの機能とは次のようなものである。

家を出る 革命児が生まれるという予言を回避するため

牧歌的隠遁生活 神殿、神堂、地下室などに隔離される

強姦される 一人で女神官として仕えているところを、神に犯される

試練 死に繋がるような恐ろしい目にあう

救済 自分の生んだ子供が大人になってその母親の苦しみを拭う

実際にこの話は覚えやすいのであろうか。再話可能であるからには、先見的にこういう話をしっていなければならない。しかし、我々にとってこれが本能的に知りえる話であるとは言えない。これは当時、出産可能となった少女は家にいられないという文化があったからである。出産は「汚れ」に繋がるので、隔離されるべきであると考えられていたのである。これが当時の女性の生活そのものであり、また男の子が成人すれば母親となって楽ができたのである。このように、女の一生の過程が一つの機能の連鎖となっているのである。したがって、その文化の中にいる者にとっては自明のことであり再話可能だった。

神話を解釈することについてまとめてみるこうなる。神話とは再話可能な構造をもっている、伝承される話である。そのような構造をもっているのが神話といえるので、その話の根を探ることは問題として間違っている。その上で、二項対立の構造を通して解釈しようとするのが、現在の潮流であるがそれでも多々無理な部分が見受けられる。

神話をテキストとして解釈して理論物理学をこじつけるは間違いである

実は、神話に量子力学をあてがい解釈する都市伝説があり驚くことに一定の支持をされているが、上記のことから神話の本質とかけ離れたおとぎ話にすぎないことが理解できるだろう。

神話は普遍性があるためそれぞれの時代によって多様な解釈が可能であるが、その再話可能性を無視して「神話は宇宙人(が作った)の話だ!」とこじつけるのは自由ではあるが、科学とは乖離しており単なる妄想にすぎない。このような空想のSF小説を由来とする妄想は科学ではないことは自明の理である。

現在の古代宇宙飛行士説に由来する都市伝説は、繰り返しになるが、エーリッヒ・フォン・デニケンの『未来の記憶』を由来としている。これはSF小説でありフィクションである。土台からフィクションなので科学の行動規範からも外れてしまうのであるが、このような普遍論は単純に受け入れられやすいというために信じてしまう人が沢山いるのである。

都市伝説を盲信する危険性

YouTubeの動画が入口となり、この種の古代宇宙飛行士説を信じてしまうと、それを教義に織り込んでいるカルト宗教をも信じてしまう危険性があるので、あくまで都市伝説はエンタメとして楽しむ娯楽であるという認識を持つことが混迷する現代社会を生き抜く術である。

個人的な話になって恐縮ではあるが、都市伝説を科学と信じ込んでいる迷信深い人に「それは違うよ」と教えると、空想科学のマシンガントークが始まるのでやめたほうがいいだろう。その方は某新興宗教に出家して宇宙人と交流するために修行してるそうだ。ご家族の方の心配は推し量ることができないが、家族の預金も全てお布施として持ち去ってしまわれてさぞかし大変な思いをしているのは想像に難くない。

冒頭にも書いたが、都市伝説を科学ととらえるのは無意味な行為である。神話がもつ普遍性と再話可能性を知れば、神話のオリジナルを問うのは科学的アプローチとして間違っていると理解可能である。


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