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昔話に学ぶ《も》

みにくいアヒルの子

って

週刊少年ジャンプみたいな話だな

って思わない?

僕だけかな?

非力で無力な主人公が

実は

そもそも魅力や能力があって

ある日、覚醒

実は立派な人だったって話

今のジャンプっぽくはないのかな

ドラゴンボールとか

ハンターハンターとか

あ。でも鬼滅の刃とかもそうだよね。

ワンピースとか呪術廻戦もかな

ナルトとかテニスの王子様とかもそうか。

ボボボーボ・ボーボボとか

世紀末リーダー伝たけし!とかもそうかもね。

努力型のものとは少し違う

スラムダンクとか

僕のヒーローアカデミアとか

アイシールド21とか

そういうものとは少し違う。

なんだか素直に

気に入らない

いけ好かない

これが僕の印象

みにくいアヒルの子

アンデルセン童話

作者は

デンマークの作家

ハンス・クリスチャン・アンデルセン

このお話は

アンデルセン自身の人生が

モデルとされているという

あらすじは以下…


とあるアヒルの群れで、

卵が孵りました。

しかし1羽だけが黒い雛で、

アヒルの親はその姿に驚きます。

しかし

他の雛と同じように上手に泳いだため、

一緒に育てることにしました。

ただ黒い雛は、

周りのアヒルたちから

「みにくい」といじめられ、

耐えきれなくなって

家族のもとから逃げ出します。

しかし

みにくいアヒルの子は、

他の群れへ行っても

いじめられてしまうのです。

しだいに、

生きることに疲れてしまいました。

冬が終わって春になる頃、

みにくいアヒルの子は

自分を殺してもらおうと、

白鳥が住む水辺に向かいました。

そこで水面に映った

自分の姿に驚きます。

黒くてみにくい姿だった雛は、

成長して立派な白鳥の姿になっていたのです。

そして

白鳥の群れにあたたかく迎え入れられ、

幸せに暮らしました。

おしまい…


なんてハッピーエンド

比較対象で

酷く見えるアヒルたち

タイトルがタイトルなだけに

アヒルの意地汚さが誇張されて

歪んだ認識がついてまわってしまうね

作者のアンデルセンは

とても貧しい家庭で育ったんだと。

幼い頃に父親が他界し、

学校へ通うこともままならなかった。

夢だったオペラ歌手になることを諦め、

周囲の助けもあり

なんとか大学へ進学することができたものの

いじめを受ける日が続き、

壮絶で孤独な日々を送ったといいます。

卒業後は

ヨーロッパの各地を転々としながら、

行く先々で

貧富を問わずさまざまな人と交流をし

詩や小説、童話を創作したとのこと。

生きてりゃどうにかなる。

そんなメッセージも見えてくるね。

このお話。

ホントのホントに

アヒルの子だったら

どうだったんだろう。

このお話

白鳥だったから

救われた

白鳥が優しかった

アヒルは薄情だった

そんな話で終わっていいのかな

アヒルがアヒルのままだったら

どうなっていたんだろう

そもそも何故に

アヒルの巣の中に

白鳥の卵があったんだろう

育児放棄?

アヒルも白鳥も

同じカモ目カモ科の生物

マガモ属かハクチョウ属かの違いです

卵は

カモは10㎝くらいの薄い緑の卵

白鳥は種類によっても違いますが

10㎝以上のオフホワイトの卵

同じ10㎝程度だけど色味が少し違う

ちなみに

鳥類の色覚は

人よりも優れていると

言われています

鳥は人間よりも多くの色を見ているとも。

 目の網膜に、色を識別する細胞(錐体)が

人間には3種類しかないのですが、

鳥には4種類あります。

これによって

虹色や

人間の目には見えない

紫外線(UV)スペクトルの一部

を認識でき、視力も優れている。

人間の目では判別できない

似たような色の

微妙な違いやグラデーションを

見分けることができる。

きっと親も気付いていたでしょうに

おや?卵の色が違う?って。

大事なのは

だからどうしたのか。

我が子を立派に育てよう

何の自信もないけれど

どうなるかも分からないけれど

そう考えるのはどの親も一緒

能力だったり見た目だったり

ヒトによっても様々

だけど、

我が子に勝るものはない

そう思うのは

きっとどの親も一緒

そんな親でも

子どもの感情までは読み解けないし

子どもに置かれている環境

の全てを知り得ているわけではない

まさか我が子が「死」を考えている

そんなこと

微塵も考えてなかったのではないか

このお話がハッピーエンドでよかった理由

これは

「自死」が

不幸の連鎖に繋がるかもしれないから

親はどう感じるのだろう

周りの兄弟は?

その家族を見る周りの目はどうなるのだろう。

死で何か変わるわけではない

それは

考える行動することを辞める

逃避にしかならない

それをきっかけに周りへ与える影響も大きい

最後ぐらい搔き回して迷惑を掛けてやる

そんな想いで「自死」を選ぶものもいるだろう

案外伝えたい対象には

伝わりきれない可能性も高い

そんな行動的なことが出来るなら

まずは解決に向けて動いてみる

僕はそちらをおススメする。

「死」の方が「生」より楽

「生」の方が苦しい

そんなハズがない

生きてりゃどうにかなる

もちろん一人じゃ

どうにもならないことはたくさんある

人間は非力でちっぽけな生き物だから

何よりも

自分で自分を認めてもないのであれば

それは一人にも満たしてない

協力者0人で何が出来ようか

協力者がいてこそ

力が発揮できる

協力してもらうには

協力する

理解してもらうためには

理解する

自分がしてもらうだけではなく

自分がしてあげる気持ちで

助け合い

支え合い

そういう気持ちの一つひとつが

福祉の根本の根源なのかなと思うのです。

きっと

今も

世界のどこかには

救われない

助けを求めている

そもそも困るという概念すら忘れ

ただただ悲しんでいる

ストレスが当たり前になってしまい

認識すらも歪んでしまって

ただただ披露している

そんな人たちがごまんといるはず

一人でどうにかしようとしないで

きっと誰かに話せばどうにかなることはある

自分じゃ出なかった

アイデアが出ることだってある

自分一人じゃ出来なかったことが

力が合わさることで出来ることだってある。

だから、

溜め込まない

抱え込まない

頑張りすぎない

ずっと力が入っている状態でなくて

スッと力を抜く瞬間もないと

大事だよ

そんな思いが読み解けるようになれば

きっとあなたも深読民(ふかよみん)…

この話は

も少し深く読み解きたいけど

今日は眠いからまた明日💤

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サポートがなんなのかすら理解できていませんが、少しでも誰かのためになる記事を綴り続けられるよう、今後ともコツコツと頑張ります!