ものの見え方は立場や状況の違いで変わる

訳あって自転車通勤をして1週間。

自転車に乗る人の目線、徒歩の目線、自動車に乗る人の目線がいかに違うかを痛感している。今まで乗って原付、ほぼ車の生活をしてきた私がいかに盲目になっていたか。無知は怖いとしてきたが、知った上で忘れることはほぼ絶叫恐怖と私の辞書に書き記しておきたい。

自転車に乗ることで見えてきたもの

風が気持ち良い。日光って暑い。知らなかったお店を発見。自転車の通路がちゃんとある。自転車同士で通せんぼにはならない。割と高い位置から見える。何故こんなところにパン屋さん。信号に捕まらず通れる道発見。この居酒屋あいてるの初めて見た。焼肉屋繁盛してるな。あ。緊急事態宣言解除されたから?自宅で自炊はもう疲れたのかな。マスクしてないけど大丈夫?あらまぁ小さい子が夜遅くまで出歩いて。塾ってあいてるんだ。夜は涼しくて快適。え、ここ潰れたの?割と40分色々考えれる。

割と好きらしい。思えば、わざわざ遠くて、立地も山間、車で行かなきゃ遠方だし、機材や空間が古いままの免許センターも周りがブーブー言ってたが、割と好きだった。夜遅くに仕事から帰ってきての荒れたお家で、皿を洗ったり、おもちゃを一つずつ片付けする時間も割と好き。元々好きかと言ったらそうではないが、好きになれた。適応能力が高いのかもしれない。

嫌なことはあるが、嫌いにはなれない。好きになるためのポイントを探してるのかもしれない。

仕事もそう。人間関係もそう。支援だってそう。立場や環境で見え方は変わるし、視点も違う。嫌なこともたくさんある。だからといって、攻撃したり逃げたりするのは、僕はよく思わない。違って当たり前。自分じゃないんだから。誰であれ他人。違う。嫌って結構。嫌な部分は誰しもある。でも好きになれるところもあるはず。嫌いな部分が生まれた生い立ちとか聞いてみたら感情移入するかもしれない。近づく努力をしてみるのも策かなって思う。

1人でも共感してくれる人や味方が増えれば、きっと自分が生きやすい空間になるはず。だから待つんじゃなくて、共感してもらえるように味方が増えるように動くのは大事かと。行動あるのみ。物事は考え方次第。

サポートがなんなのかすら理解できていませんが、少しでも誰かのためになる記事を綴り続けられるよう、今後ともコツコツと頑張ります!