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レシート越しの以心伝心

去年の誕生日に、せっかくだから何か新しいことをしようと思い立ち、短歌をはじめてみた。

なぜ短歌なのか、はっきりとした理由があって始めたわけではないけど、限られた字数のなかで表現することは思った以上に難しく、そして楽しくもあった。助詞をなくせば字数ぴったりだけど、無くしちゃうとテンポが〜みたいな悶々とした自問自答を、なんだかんだ今日まで続けられている。

たぶん、確固たる理由をもって始めていたら、肩に力が入って長くは続かなかっただろうなと思う。きっかけはほんとに小さなものだったけど、何かを始める時って、何の気なしに肩ひじ張らずにいたほうが、続けなきゃっていう義務感も生まれにくいし、案外長続きするんでないだろうか。

なぜ短歌なのか。
誕生日の前日、本屋に行き、これから始める趣味を選ぼうと本棚を回遊していた。

まず目についたのは将棋と囲碁。
将棋といえば『3月のライオン』! 囲碁といえば『ヒカルの碁』!とマンガ脳全開で気分が高まり、何か入門書でも買っていこうか、と適当な本をパラパラ眺めてみたものの、どんな本がいいのかイマイチわからないし、そういえば家に将棋の入門書も囲碁の入門書もあるっけ、じゃあ、まあいいか。とスルーしてしまった。(このままだと一生やらない気がする…)

ああでもないこうでもないと独り言をつぶやきながら他の本棚を回遊していると、平積みされていたピンクと水色のハデな装丁の本が目についた。タイトルは『きみを嫌いな奴はクズだよ』(著:木下龍也)。

装丁もタイトルも強烈で、思わず手にとり、中身も確認しないままレジに持っていった。

家に帰ってページをめくってみると、なんと1ページにたった31字しか書いていない。短歌集だった。

短歌とは違うけど、以前に二度ほど連句をやったことがあって、とても楽しい思い出として残っていたので、歌的なことにすこし馴染みがあった。だからなのか、短歌集だとわかった時、すんなり思った。よし、短歌をやろう。

それから毎日、短歌用に買ったノートに歌をしたためている。
五・七・五・七・七の五句体というルールだけをたよりに、ほとんど日記みたいな感じで身の回りのことを書き留めている。

今のところ、短歌の先生は『きみを嫌いな奴はクズだよ』だけなので、毎日ノート2ページ分くらい写経して、これが短歌ってやつかあ、ふむふむ。となんだか自分が高尚なことをしているようで背筋が伸びる。

ただ、木下さんの歌をみていると、たまに学生のころに国語で習ったわずかな短歌を思い出し、短歌ってこんなんだっけ?と思うことがある。

記憶のなかにある短歌(語尾が「〜かな」「〜けり」みたいなやつ)と違って、言葉の選び方も、描くシーンも自分が見聞きしてるようなものばかりで、とても親近感がわくんだけど、絶対に自分では考えつかない言葉の配置や繋ぎ方ばかり。言葉ってこんなにおもしろいんだとワクワクするような歌が一首、真っ白なページをひとつ丸々使って記してある。

結局、木下さんの前作『つむじ風、ここにあります』も買った。二作の歌を日替わりで写経している。

ただ、摂取している歌の傾向がだいぶ偏っている気がするので、他の歌集もほしいなあと思う今日このごろ。どうやら木下さんのは現代短歌って部類に入るそうで。バランスよく、こんどはずっと古い歌集を選びたい。

最後に、

コンビニの店員と手が交差する
レシート越しの以心伝心

…短歌ってこんな感じでいいんでしょうか。

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