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"女子サッカー×海外"インタビュー:HIKARI

皆さん、こんにちは。

先日、「女子サッカー×海外」をコンセプトにした新たなプロジェクト「FUTURES」を始動しました。

メンバーの女子サッカーに関するインタビュー記事を投稿しています。

今回は、大学までを日本で過ごし、大学院で渡米し女子サッカーをプレーした、Hikariのインタビューを紹介します。

まずは自己紹介をお願いします。

はじめまして!ひかりです!
1993年生まれ、埼玉県出身です。小学校までは地元の小学校に通っていましたが、中学1年生の時に親元を離れ、中高一貫のサッカープログラム、JFAアカデミー福島に所属しました。高校卒業後は、筑波大学にAO推薦で入学し、体育専門学群・スポーツコーチングを選考して卒業しました。同年、2016年に渡米し、1年の英語の勉強を経て、ジョージア州にあるClayton State Universityの大学院にサッカー奨学金を獲得して進学。Master of Health Administraionを専攻し、2019年に修了しました。その後は、就労ビザのもと同州にあるカイロプラクティックオフィスに就職し、現在に至ります。

サッカーを始めたきっかけは何ですか?

幼い頃から体を動かすのが好きで、バレエ、テニス、水泳、ダンスといろいろなスポーツを習っていましたが、小学校4年生の時に父親が監督をしていた女子チーム(埼玉レイナス)の練習を見に行った時に、ゴールキーパーをしていた山郷のぞみ選手に憧れ、彼女のようなゴールキーパーになりたくてサッカーを始めました。

海外でサッカーをしようと思ったきっかけは何でしたか?

中学・高校で所属していたJFAアカデミー福島では、毎年1回の海外遠征があり、中学1年から高校2年までは毎年アメリカ、高校3年生はフランスに行かせてもらっていました。6年間の遠征を通して、日本人意外の選手とプレーすること、日本以外の文化を体験すること、日本ではない国籍の人と関わることに子供ながら魅力を感じ、いつかアメリカに留学したい、と思ったのがきっかけです。

実際に海外でサッカーをして、どうでしたか?

初めはサッカーの違いにカルチャーショックを受けました。私が日本でやってきたサッカーは、パスを回すことで相手を崩しながら点を取る、相手は常にリスペクトしてフェアプレーは当たり前、そんなサッカーでしたが、私の行った大学では、とにかく蹴って、走って、相手を潰して、というアグレッシブなサッカーをしていました。日本のサッカーに慣れてしまっていた私は、泥臭く、ファールをしてでも点を取る、というプレースタイルになかなか馴染むことができず大変な思いもしましたが、今振り返ってみれば、こうやって新しいプレースタイルを経験できたことや、違う国籍を持つ監督(アイルランド人)の元、違う国籍の選手たち(8割がインターナショナルの選手でした)とプレーできたことは、私をサッカー選手としても、1人の人間としても大きく成長させてくれた大切な経験です。

留学して得られたもの、学んだことはどんなことですか?

自分がいかにちっぽけな価値観をもって、ちっぽけな世界にいたのか、ということに気付かされました。日本にいる時は、周りの目が気になっていたし、人と違うことをしている人がいたら、自分の中で勝手に”変な人”とレッテルを貼っていました。しかし、こっちに来てからはその価値観が一瞬で消え去りました。なぜなら、ここには”変な人”しかいないのです。みんな目の色も違うし、肌の色も違う。話す言語も違うし、服装や言動が、私の思っていた”普通”とはかけ離れているのです。これに気づいてからは、何事も広い視野で捉えられることができるようになりました。そしてなりより自分自身のことを認めてあげることができるようになり、自分のことが好きになりました。

これからどんなことにチャレンジしていきたいですか?

サッカー人生にしても、留学生活にしても、これまで本当にたくさんの方に助けてもらってきました。今度は、私が誰かのために何か助けになることができればと思っています!


以上、Hikariの海外サッカー経験についてお話をお伺いしました。

FUTURES発足メンバーのインタビューは、以上になります。
これからも海外で女子サッカーを経験した人たちの体験談をアップしていけたらと思いますので、ぜひフォローしてお待ちください。

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