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車からハーベスト

10/14メモ

”所有する事”で愛着する心が生まれて、自分の思いがそこに入る…自分の一部にしてしまう様に。その意識がないとーーー。

先日車検を控え、見積もりなどの手配をしていた主人。帰宅してその内容を聞いていた。

「でさ、混んでるらしくて預けて4日位かかるって言うんだよ。”その間ずっと代車乗るんですか?”って言ったらさ…」

「・・・。(代車?ここに”軽”があるのに?)」

黙って話を聞いていたら最後に、

「って、代車要らなかったんだよね(笑)」

って言う話だったので、うんうんって聞いて2人で笑った。

軽自動車は元々、父絡みで使う事になるだろうと用意してもらった中古車。それを主人は自分の車とはもちろんの事、”我が家の車”とも思っていなかった。正確には、「自分の物」以外は所有感がないから、意識されてなかったんだ、と思って聞いていた。

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「いい車乗ってるな…」

高級車じゃないけど、みんなキレイな車に乗ってるなぁ…と、ワン散歩の道中、施設駐車場に止まっている車をポーっと見ていた。

(その前に、あるものを大切にしなさいよ)

そんな声が上がって来た。

昔と違って車が欲しいとか、乗り回したいとかはない。乗せてもらっている方が好きだから。

車は足に使えるように用意してもらってあるけども、殆ど乗らない(元々の目的は父の絡みだから)。

(それの存在は?)

(キレイにしてあげたらいいんじゃないの?)

(車だってあるのに?)

ツラツラ上がった言葉だった。


「あるものに目を向ける」

耳タコの当たり前のようになっている言葉だけども。かつての自分を観た時にそれは今の自分とは明らかに違くて。

「あるものに目を向ける」という事の見方をする自分が育っていなかった。その目線が芽を出していなかった。

そんな風に思った。

”欲しい”と言う欲があるうちは、この目線はパフォーマンス。だって本当は欲しいんだから。でもその欲しいが”本当に欲しかった”じゃなかった時、それはすぐに目線が変えられるもの。

いや、自然と切り替わってしまうもの。

少し自分が育ったという事だな…、そんな風に感じた。

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【どのミチでも】

何を選んでもいい、OKというのは、かなり深みのある事、と感じている。

・それならやらなくて良かったじゃん

・やってみても良いじゃん

どんな選択肢からでも「そこから学び取る」という姿勢を忘れなければ全ての選択は”収穫”にしかならない。

どこかの時点の、何かの思いに執着しなければ常に学び続ける事は続き、その結果に自分の目指した物質が手に入るかもしれない。

やったらいい、何だって。

試して初めて収穫に近づく。

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10/13メモ

結局、何かしらに”合わせよう”と動いている事が多く。多くというより無意識に持っているソレに従っている。

そこにオモテ側が窮屈を感じなければ問題はなく、無意識に任せて反映された現象(側)を、やりこなすのが人が生きている、という事。

実行側であるオモテは動かされているようだけども、意志を持って深い所に”刺激を与える”ことは出来るものと思う。それがスイッチ。

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10/15メモ(ヌボータイム)

どちらにしても、自分が属しているものが”良い”と思っているに決まっている。「どちらでもいい」と言いながら、自然と”良い方”に足を入れて満足している。

無意識で”良い方”は、選択されている。

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『書きたい』という思いがまずある状態で。

様々に湧いた事を色んなカタチで書き留める事を、自然の流れでやっているけども。

こうして並べてみると、記事に上げるまで、似たような事を「表現を変えて」書いているのが判る。

上げてしまえばその、”似たような事”の氣は収まるので、この後に上がってくるものはまた別の「背景」のものになる。

そうして考えると、自分の中に「抱え続けているうち」は、いつまでもそれは消化・昇華されずにあると言える。全くなくなることはないけれど、少なくとも「気はおさまる」という事。

「秘して持っていたい」、というカタチを好む人にとっては理解不能かもしれないけれど、私は自身のこういう流れを追っていること自体がとても楽しい、と感じている。

「発生した”氣”がどのように動いていくか」という事の追跡のようで、おもしろい(*^^*)

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!