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HOTELのBARは奇跡の空間です    

小さなHOTEL

お茶の水にて


#お茶の水駅  からほど近いところに、小さなホテルがあった。
実は今も有るのだけれど、ここに書くのは昔の話なので、在った と書いた。今、そのホテルがどうなのか僕は知らないから。
当時の事だけ書き始めることにする。

当時は、このホテルを愛する人が訪れては、食事を楽しみ、酒を楽しみんだ。 建物としてのホテルと、従業員という人的サービスと、提供される様々な、もの こと 人 それらがそこを訪れる人々とともに作り出す奇跡が素敵このホテルにはあった、そんな話。
とても小さなホテル、大通りから坂道を少し上がって行った場所にあり、奥まったエントランスから決して広くないロビーへと入っていく様は、初めての人にはかなりの緊張を強いる筈。それなのに、不思議とこのホテルはそれが無く、誰でも自然に受け入れてくれる不思議な空間。

初めて訪れた時のこと

私が初めてこのホテルを訪れたのは、20世紀の世紀末 とても暑い真夏の午後だった。汗をかきながら #明治大学  横の坂道を上る。
その理由、シンプル バーで一杯やりたいから
30半ば 当時の私はポロシャツにチノパン、足元はバーガンディーのペニーローファーで、そこを訪れた。
坂の突き当りに、ある洋館がホテルのメインの建物。
車寄せに立つベルマンが極めて自然に私を迎え入れてくれた。
私は、この時間、このホテルに来る客としては極めて異色だった。
荷物は無く、バンケットの客でないのは服装から明らか、食事の時間はとうに過ぎ、まして初めて見る男だ。
大箱ホテルならまだしも、この小さなホテルにしたら違和感しかないゲスト。
それを、このホテルは自然に迎え入れてくれた。
言葉もなく、自然に、まるでお帰りなさいとでも言われた感じさえした。
建物に入ってからも、皆きちんと挨拶はいただけるけれど、「どちらをご利用ですか?」とか、「ご案内いたしましょうか」とか、ましてや「ご宿泊でございますか?」など、何もなく受け入れてくれた。
ロビーを見渡すと、目指すバーは直ぐに見つかった。

何故 このホテルのこのバーへ

今にして思えば、当時、このホテルのバーが、午後のこの時間帯に営業をしているなんて、どうして解ったのだろうか? 常識で考えて、ホテルのバーが開いている時間では無いのに。

ネットで調べた?      いいや
何かで聞いて知っていた?  いいえ

でも、真夏の午後 僕はここで酒をの飲みたいと思ったんだ・・
当時、僕はこのエリアに住み始めた頃で、このホテルの存在はそれとなく知っていた。けれど、一度も利用したことは無かった。けれど、1900年代後半、今よりもBarは身近な存在だった気がする、街のBarはもちろん、ホテルのバーも、今よりは身近な存在だった気がする。僕らは皆、行きつけの店を1軒もっている、そんな時代だったから、オフィスのあった西新宿近辺には行きつけバーが何件かあったものの、自宅近くにバーが欲しかったと言うか、ここ #お茶の水   #駿河台 #神保町  あたりのバーが気になったていた。
さらに、この日は暑くて、冷たい強い酒が飲みたかった

そしてバーへ

都会のド真ん中 なのに、このホテルには、街とは違った空気に満たされいた。それにも関わらず、窓の外の夏の強い日差しと温度とが、エアコンの効いたホテル内のそれとは、決して無関係では無い、一連の流れを持った上で快適に調整されている、違和感のない空間が本当に心地よい。窓ガラスからの光も、適度な光量となり、ロビーに差し込み、ロビー奥に据えられた小さなバーは、窓もなく、暗い空間にあるのだけれど、このバーは、時間が止まった空間である心地よさから言えば、このほの暗さが終日を通して深夜まで同じであるのが、相応しい。
その、この時間にしては、周囲より極端にほの暗い空間へ、僕は入って行った。

BARでの出来事

こんなバーが良いんだ

そのバーは私が過去に知っているバーの中で、最も小規模なものの一つであり、かつ、バーというものは本来はこうあるべきという姿をしていた。使い込まれたカウンターに、背もたれもなければ肘掛けもない、丸椅子が床から生えている。客はただそこに座れば良い。
あの日、夕方と呼ぶには未だ少し早い時間、誰もいないバーに、初老のバーテンが一人。
このホテル全体と少しも変わらない、出迎え方で、バーテンは全席空いている中から、なんとなくここが良いですよ、と雰囲気で教えてくれたのが、入り口入って下手側に行った壁から3席目だった。入り口自体はもう少しだけセンター寄りにあり、バーテンはその辺りに居るものだから、斜め右にバーテンを見る、このポジションはバーの中でも最も好きな場所に今ではなっている。
そこに座った僕は、初老のバーテンに向かって。
「ダイキリをショートではなくクラッシュドアイスを入れたグラスに注いでください。シロップは少なめで」
当時、なんでこんな飲み方をしていたのか、理由は覚えていない、けれど、この日僕はこれを注文した。
これって、所謂、 #パパダイキリ を作るために、ミキサーを回す直前
みたいな飲み物だった。フローズンをおねだりするのは気が引けたのだろう。と、2023年の僕は推理している。

それにしても、初老のバーテンは、穏やかに言われるままに、これを出してくれた。カウンターの僕の目の前には、ホワイトラムのボトルが一本置かれて。このパパダイキリのミキサーがけしていない状況、かなり多量にラムがを使わないと、形にならないよね などと今思う。
真夏の午後、御茶ノ水のクラシカルホテルで、僕はこんなカクテルを飲んでいた。

思い出のダーク

その日は2杯目もダイキリを頼み、半袖シャツにエアコンが少しづつ涼しくなってきたころで、初老のバーテンさんが、さりげなく話題を切り出した。
「ラム酒が好きな方は、とことんラム酒を飲まれる、ダイキリも良いですが、こんなラムはいかがですか、お試しになりませんか」と言ってロックグラスに注がれた琥珀色の飲み物を出してくれた。
それは、得も言われぬ、深みと、ほのかな甘みがあり、香りは、もちろん焼かれた樽由来のものとは思うけれど、その香ばしさも素晴らしい。
こちらは、正直に 「美味しいです 」という。
「こういうラムもあるんですよ」 と笑顔
バーは学校だ、その中でも、ここと飛び切りの学校だと感じた。
今日、教えてもらった1杯のダークラムは、このバーでお返しすればいい。
それは、良く 父親が言っていた事に通じていた
特別な酒を開けた時は、少しだけ店に残す
客は店に育てられ、バーテンは客を育てる
客がバーテンを育て、客が店を育てる
決してどちらが優位でも何でもなく、共存するから共栄できるわけだ。

不思議なことが

この日をきっかけに、僕はこのバーに頻繁に通う事になる。
このバーのローテで何人かのバーテンと顔なじみになり、楽しい時間を過ごした。何年かに渡ってだ。なのに、僕に、あのダークラムをご試走してくれた、あの初老のバーテンに出会う事は無かった。この、奇跡のダークラムの話は、何度もこのバーテン達に伝えたのだけれど、皆、揃って、それが誰なのか知っている筈なのに、彼らの口から、その人の名前も、どんな人なのか、聞けず仕舞いだ。
それは、今日に至っても変わらない。
僕は、常に入口入って下手の端から数席の椅子に座り。シロップ無のダイキリを飲み、ダークラムをロックで飲みながら。
時に出してくれる #クラブハウスサンド  と #オムライス  をいただき。
真冬にシャンパを抜き 雨の夜に不思議な女性と杯を交わし
本当に、このバーが30代の一時期、僕と生活を共にした。

行かなくなったこと

あれほどまでに、居心地の良かったバーに、何故 行かなくなったのか。
まるで思い出せない。
ある日を境に行かなくなった2010年ごろまでは行っていた記憶があるので、
行かなくなって13年になるのか。
ごく最近になって、一度だけ、訪れようとしたことがあった。
坂を上り、ロビーまでは辿りついた。
ただ、そこには、以前のような空気は感じられず。
それは、ホテルが変わったのか、それとも、僕が変わってしまったのか。
ただ、そのホテルの空気が変わったことが、あまりに寂しかったので、
そのことを、その本人に聞いてみた。
彼の口から出た言葉は以前のままの、このホテルのものだったけれど。
口から出た言葉が本当ならば、あの空気には包まれなかったのではないだろうか。でも、いい思い出は残り感謝は残るから。
今度また、いつか、訪ねたくなったなら
行けばいい 
真夏の午後にでも

そして とびきり愛すべき この作品 役者が もう言葉に出せない




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