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なぜ 当たり前が失われたか?  餃子

失われたものの正体

それは、何時でも何処にでも存在していた

子供の頃の話
別段 著名な店でもなんでもない
町中華はおろか、本当に普通のカウンターだけの小さな #ラーメン屋さん
そこに行き 「ラーメンに餃子を付けてください」といえば、数分後には当たり前に目の前に出されたあの餃子。
別に有り難みもないけれど、当たり前に美味しい、普段食いに食べていた
#餃子  それが2023年の日本ではお目にかかれていない。
思えば、私の言う餃子が食べられなくなったのいつからだろう。
あの餃子が口に出来なくなったのは?
そしてその理由は・・・

私の餃子感

私の言う餃子は、皮には一定の厚みがあり、焼き面はきちんと狐色に焼かれて、その表面は独特の硬さを得て、その硬さは弾力が奪われて、歯を立てれば確かな歯ごたえと共に、皸が入りやがて、そこから割れていく。中の餡は、きちんと火が入り、肉肉しさとともにニラの香りが口に広がる、確かなニンニクの風味が全体を美味いと感じさせ、噛むとパリパリの皮と、焼き目のない方の皮の適度なモッチリ感の対比が楽しめる。
酢醤油の味と餃子本来の味。
これが、少なくとも、私の住んでいた街では、どの店でも裏切られる事無く提供されていた。

やがて、餃子はこうなっていた

何時の頃からか、出てくる餃子が変わっていつた
それは、皮が薄くて、少し小ぶりで、焼面はムラがあり、一部は黒く焦げ、一部は白部分も残るようなものだ。全体にどことなく油っぽく、さらに水分も残っているような餃子だ。
なにより、今日、このタイミングでweb検索で餃子を打ち込むと、出てくる画像の多くは、このタイプが多い気がするのだ。
やはりチェーン店のそれを見ても、やはり私のいうそれではない。
いつのころから、餃子はこうなって行ったのだろうか、そして何故こうなったのだろうか。
あくまで個人的な好みなのかも知れないけれど、私はどうしても昔の餃子が好きなのだ。

個人的仮説

もしかして、私の大好きなあの餃子は、私の故郷のスタンダードなのか?そんな疑問だ。なぜなら、私の脳裏のベース餃子は、いずれも私の生まれ育った街のものであり、この記事を書きながら、色々調べてみたところ、こんな書き込みがあったからだ。
そこにはこんな書き込みが「餃子は皮が厚く個人的には好みではなく、具材たっぷり肉汁が溢れんばかり・・」 これに代表されるわでは無いのかも知れないが、全体的に各店とも皮は厚めの記載と画像だった。もしかして、綿私の好きな餃子は我が故郷が特有のスタンダードなのか?
今までも、見た目だけは、私の好きな餃子を彷彿とさせるものに都内でも、何度か出会ったけれど、いずれも味は、それとは違うもので、もはや、あの餃子は食べられないのかと半ばあきらめている。

そして、出会った好みに近い餃子

週末土曜日ランチタイム 我が家の最寄り駅にほど近い場所にこの店はあった。このところ、町中華に行って633がやりたいとづっと思っていた私。
#633 というのは往年の #BMW ではなくビールのことです はい。
町中華ではあるものの、餃子がメインらしく、餃子のバリエーションが豊富、で肉の餃子、野菜の餃子、皮薄めのパリパリしたもの、エビの餃子に、水餃子とある。 というのが、皮が厚めで焼面がしっかりしていて、そして餡の風味もきちんとあって美味しい。野菜のものと、肉のものを注文して、飲み物を見ると、ありました633 なんと朝日のスパードライと、赤星がある。今日は赤星の気持ち。
赤星と餃子というのは多分一つの完成形かもしれないと思った次第です。
そして、近いうちに、故郷に帰り町中華で1杯やろうと決めた私です。

それにしても、わが町に帰って選ぶべき店もまた悩み多き
それに、地元に帰ると、他にも食べたいものが満載で困るのです。

赤星は美味い
今日はこれをあてに
お店に持っては行けないけれど、これも合いそうです


余談ながら

お店の名前や場所って、note を書く場合なのですが、出した方が良いのかどうか悩みます。だって、お店の方だって出してほしいわけではない、お店自体も人様の持ち物だから、ここ美味しいですよと、出せば、お店の方が喜んでくれるとは限らないじゃないですしね。だから、最近、お店の名前を書く事に少し躊躇いを感じているのです。


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