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ある日、難病になった

はじめまして、SHINONです。

思い立って、これまで経験してきた事を中心に日記にまとめていこうと思います。30歳。神奈川県出身、ずっと都内在住でしたが、最近初めての地、関西地方へ越してきました。人が温かくて早くも大好きな土地です。

■難病の情報、経験談に救われた

自分のことを赤裸々に描いていくのは恥ずかしさもあるけど、自分自身難病は特に情報があまりなくて、苦しんだ過去があるので、どこかの誰かへ何か役立つ情報になるといいなと思い、書いていくことにしました。
難しい学術論文とか、医療関係者用?の解説とか、医学書に書いてあるような内容は目にするけど私は圧倒的に経験談に救われた過去があるので。。

成人して浮足立っていたある日、突然食べ物でアナフィラキシーをおこし、その後紆余曲折経て、消化器系「国の指定難病」を発症しました。

■一つ目の難病は【好酸球性消化管疾患】

聞いたこともない方が多いかと思いますが、この病気の、特に「好酸球性胃腸炎」と診断がついてからはや8年ほどになります。

20代前半の頃は、同世代が友達と外食して酒を嗜んだり、仕事に恋に子育てに、それぞれが新しいライフステージをどんどん進んでいく中、私は入退院を繰り返す日々で、口に出来るのは水だけの生活、薬を飲み点滴を摂取する毎日を繰り返し、取り残された気持ちでいました。

治験で参加していた新薬や治療法に莫大なお金がかかり、その薬たちの副作用でぶくぶく太り、吹き出物だらけ痣だらけ、別の体調不良も増え、月経は止まり、髪は抜け、大好きだった美容、友達と会うこと、まして色恋とはかけ離れていきました。この当時はSNSが発達普及し始めたこともあり、何もかもを人と比べては落ち込むことが多々ありました。

■新婚生活に待っていたもの

そうこうして、治療治療闘病生活の日々の中、ぽっと現れてくれた夫とあっという間に意気投合、とんとん拍子に話が進み、私たちは結婚しました。

体調も新たな治療法が体に合っているようでみるみる回復、断薬の道を進みながら夫と二人三脚で回復の一途をたどっていくとおもいきや…新婚生活に待っていたのは、大好きな人に介護をさせてしまう日常でした。

結婚式を挙げて半年経ったころ、体が動かなくなりました。腕が上がらない、足も動かない、寝たきりでお箸もうまく持てないから、泣きながらご飯を食べたりしました。
二つめの難病、「脳神経の難病」を発症していました。

■二つめの難病【ギランバレー症候群】

こちらも聞いたことがなかった、ギランバレー症候群という脳神経の難病ということが後々発覚しました。
思う様に手足を動かせなくなり、お風呂も一人で入れない。トイレもいけない。車いすや杖が手放せない。もちろん、買い物も、一人で出かけることもできなくなりました。そして、必死にリハビリをしても何度も症状を繰り返し、絶望していきました。

懸命にリハビリに努めました。
毎日ちょっとでも何か変わればいいと願い一進一退な日々を越えて、今は、日常生活が問題なく送れるようになりました。
一人で椅子に腰掛け、パソコンの入力ができています。夫と二人で車で出かけたり、自分の足で歩き買い物をしたり、食べ物を口にできています。

■闘病生活を経て学んできたこと

元プロのチアリーダーもしていた位、体を動かすことが好きで活発で、本来じっとしていられない性格の自分。基本なんとかなるの精神で楽観的でした。それでも病魔の前で消え入りそうになった事、諦めたくなった事、自暴自棄になりマイナスなことばかりに頭を奪われたこともありました。

𓊆人生に無駄な経験はひとつもない𓊇とはよく言ったもので、この病気達を発症して、皮肉ながら私が持ち合わせていなかった沢山の事をたくさん、本当にたくさん学んできました。

病気だから不幸、○○できないから自分はダメだと思うことが増えていたこと自体が不思議と減っていき、幸せを感じることが増えていきました。

もちろん体調の波によってメンタルも落ちることもあるのですが、それでも、根本は全部、自分の𓊆心と頭と体のバランス𓊇なのかもしれないと思う様になり、楽になっていったんです。

■noteで記していきたいこと

このnoteでは、そんな過去、現在の症状あれこれを詳しく書いていくのと、その過程で考えていたこと、感じてきた事、出会った人たちに教えてもらって救われてきたこと等を中心にまとめたいと思っています。

まだまだ不慣れではありますがよかったら、気軽にコメントなどしてくださったら励みになります。宜しくおねがいします!




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