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2022年03月選 合鍵 /評

合鍵 評
  
 詩を書く人には、恵まれた人がいて、言葉をそのまま紡いでしまえば詩になってしまう人、というのがいる。そういう人はいっぱい書いて、すごい。私は少しうらやましい。

  この作者は、そちら側ではない、というように見える。たった二行で構成された大変短い作品だが、そこには、ロジックとイメージがある。短いから、というものもあるかもしれないが、いわゆる現代インターネットに多く散らばっている詩とは、作りが違う。どちらかと言えばいわゆる短歌俳句に始まる日本に昔からある短詩たちに近いだろう。

  それの本質は、言葉ではない。ジュエリーに似ているものだ。多くの要素を削り落とし、その核にあるものだけを目の前にお出しされている。そこには、確実な意思がある。私は結構選り好みが激しくて、書かれすぎている詩は好きじゃない。書いてあることは扉に過ぎないのだから、そこから何を見るのかは、読み手にゆだねられているほうが、私にとって好ましい。この作品はそれを見事に体現している。
 
例えば、実在する部屋をモチーフとしてこの作品を視覚的にとらえるのか、それとも、自他の境界としてとらえるのか、他者の実存への疑い、そして肯定としてとらえるのか。それは読み手の好きにすることだが、私がざっくりあげただけでもこれだけある。しかも合鍵、という共通の扉があるというイメージの付与を、本文中ではなく、タイトルでやるのがいい。タイトルと本文は相互に補完しあう関係だが、それが十全に機能している。詩に限らず、文に限らず、創作作品というのは、ある種恵まれた無駄を楽しむものだが、その無駄のない空白に、何を見るかは、本当に私たち次第だ。そういう意味で、この作品は非常に自由度が高い。
 
これはすべての言葉と文脈を練り上げなければできないことだ。そしてそれは、紡ぐ言葉総てが詩になるような、恵まれた人にはできないことだ。無才こそ才であると信じることが、少しできそうなことが、私はうれしい。

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