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歩きたくなる街に自転車が必要な理由ーアメリカの都市プランナーJEFF SPECKが語るウォーカブルと自転車利用の関係

Plat Fukuoka cyclingは福岡のまちがBicycle Friendlyなまちになるために活動しています。『ウォーカブルシティ入門ー10のステップでつくる歩きたくなるまちなか』(ジェフ・スペック著、松浦健治郎監訳、学芸出版社)を読みながら、「Walkable」と「Bicycle Friendly」の関係について連載しています。

これまでの記事は以下マガジンとしてまとめております。

そして、著者であるジェフ=スペック氏が2023年6月30日に来日され、ウォーカブルシティ国際シンポジウムが開催されました。

Plat Fukuoka cyclingは、このシンポジウム開催にあたり、自転車の章であるSTEP6「自転車を歓迎しよう」について考えをまとめると同時に、原著が刊行10周年を既に迎え、昨年10周年版として大幅な増補を受け、その読解を行い紹介しながら、ウォーカブルにおける自転車(バイカブル)を考えたいと思います。

この章において、ジェフ氏はウォーカブルシティにおける自転車の可能性について、論じていますので重要であると思う点に絞って述べたいと思います。

車中心の都市から自転車に優しい都市に変わることの意味ー2つの物理的要素について

 ジェフは自転車を「最も効率的で、健康的で、便利で、持続可能な交通手段」と評価し、自転車がよく利用されている都市について、2つの物理的な要因があると指摘しています。

自転車がよく利用されている都市には、自然環境や文化というよりも、次の2つの物理的な要因があるようだ。まず1つは、都市環境である。(中略)都市密度の高さや用途混合の都市計画、移動距離の短さ、自動車の所有・運転・駐車にかかる費用の高さという、都市生活に付随する条件があげられた。2つ目の理由は、より安全なサイクリング(※筆者注「自転車利用」)環境とより充実した自転車インフラが整備されていること、つまり、自転車を歓迎するように道路が設計されていることである。

ジェフ・スペック:ウォーカブルシティ入門ー10のステップでつくる歩きたくなるまちなか,p205
※「サイクリング」の記載について、ここではより正確なイメージを伝えるべく、「自転車利用」として記載。(以下共通)

 1つ目の都市環境については、福岡市を例にしますと、本マガジンPAR2「用途混在の都心居住が実現しているコンパクトシティ福岡の実力」のところで紹介したとおり、福岡市においては都市密度と用途混在、そして移動の短さといった条件は既に揃っていることを確認してきました。

 2つ目の安全な自転車利用環境については、ジェフは自転車がよく利用されているオランダやデンマークをあげ、それらの都市が最初から上手く自転車インフラが整備されたものではなく、かつてオランダもデンマークも自動車に優しい都市からの転換を試行錯誤の中でいまを構築していっていることを述べています。

オランダでは、筆者も字幕翻訳作業をお手伝いして公開されているオランダの自転車環境を題材としたドキュメンタリー映画「Together we cycle」をみていただけるとわかりやすいので、ご覧ください。

日本語字幕付きは下記リンクで見ることができます

デンマークのコペンハーゲンについては下記の動画が大変わかりやすいです。

 オランダもデンマークも自動車のまちづくりから苦難を乗り越え、今の自転車まちづくりに代表される都市となっています。そして、この波がアメリカのニューヨークに到達しています。

 ジェフは、ニューヨークでの自転車専用レーン導入により、自転車利用者の3倍増、車のスピード違反者や交通事故による負傷者の大幅な減少が実現し、かつ車の移動時間への影響もなかった効果を絶賛しています。
 この点について、ニューヨーク市交通局で交通政策を指揮したジャネット・サディク=カーン氏は著書でこうのべています。

安心というものは単に脅威がないことだけではない。歩く人、自転車に乗る人、自動車を運転する人それぞれが、路上で互いに認識し合い、尊重し合い、そしてしかるべき場所にいる際の感情でもある。私たちは、自転車への反発の絶頂期に、自転車利用者が歩行者にとって安全上の脅威だとする恐怖心について、きいたことがある。(中略)自転車レーンのある街路は、単に自転車に乗っている人びとだけにとって安全なのではない。歩行者にとっても安全なのだ。

ジャネット・サディク=カーン氏、セス・ソロモノウ氏共著:ストリートファイトー人間の街路を取り戻したニューヨーク市交通局長の闘い,p253

 日本におけるウォーカブル政策を含む歩行者重視のまちづくりのでは、歩くことに重点がおかれ、自転車歩行者道でありながら、自転車の通行を禁止する「押し歩き推奨区間」を定める事例がみられる一方で、自動車空間は変わらず都市空間を占有しています。そして現在の日本における自転車の通行空間は、原則車道である方針が打ち出されています。

「車道サイクリング」=「自転車は車と同じように走るもの」という論の問題

 ジェフはアメリカにおいて長年自転車安全講習で指導されてきた、自動車と同じように車道を走行する走行方法(本書では「車道サイクリング」という訳)の抱える根深い課題を明らかにしています。ジェフはこの走行方法の提唱者ジョン・フォレスター氏の考えについてこう述べています。

フォレスターは、自転車利用者の安全を第一に考えた最善の走行方法は、常に適切な走行車線を目に見える形で主張することだと説いた。それに加えて、自転車を自動車の2番手の地位にしてはならないという信念があった。そのため、(中略)「フォレスターの聖戦の相手は自転車専用レーンであり、自動車の通行のために自転車を「横に押しやる」という考えに対抗してきた」のだ。自転車専用レーンは車道と分離しているが自動車と対等になっていないため、なくすべきだとフォレスターは訴えている。

ジェフ・スペック:ウォーカブルシティ入門ー10のステップでつくる歩きたくなるまちなか,pp214

 日本の近年の自転車通行空間の考え方も、同様の「自転車は車道」が原則となっています。自転車利用者は車道にペイントされた「自転車専用通行帯」や「矢羽根」を走ることになっている現状が、圧倒的速度差による心理的恐怖や路上駐車により進路を阻まれることになります。
 この「車道サイクリング」の課題についてジェフは

このような走行方法を求められると、子どもはもちろん、多くの女性やお年寄りは自転車に乗れなくなってします。(中略)大多数の人にとってはストレスであり、やりたくない。
(中略)「車道サイクリング(※車と同じように走る方法)の問題はここにある。確かに最も安全な自転車の乗り方はもしれないが、最も排他的な乗り方でもある

ジェフ・スペック:ウォーカブルシティ入門ー10のステップでつくる歩きたくなるまちなか,p215

と指摘し、車と分離した上での自転車通行空間が望ましいと述べています。日本でもほとんどの自転車利用者が歩道を走行することとなっているのは、そこでなければ安全に走れないことが明白であるからといえると思います。

 日本における自転車の走行空間の歴史は、日本の道路設計基準となっている道路構造令の歴史として、公益財団法人日本交通計画協会発行の雑誌『都市と交通』の記事を参照ください。

「貪欲にならないこと(※欲張りすぎない整備)」から10周年エディションーCYCLING ASCENDANT(自転車利用の飛翔)でジェフが語っていること

 ジェフはこの章の最後に「DON‘T GET GREEDY(貪欲にならないこと)」と題しこう述べています。

自転車支持者のような専門家の意見は、時に間違っていることもある。高速道路整備で都市を破壊した専門家のように、関心をもつ領域の一面に近視眼的に焦点を当ててしまったばかりに、他のすべてを犠牲にしてしまうこともある。ジェネラリストの視点も必要となる都市整備事業では、残念ながら専門家が敵になることもある。あらゆる専門家を満足させるように、メインストリートをデザインし直したら、どうなるろうか。

ジェフ・スペック:ウォーカブルシティ入門ー10のステップでつくる歩きたくなるまちなか,p223

と述べ、自転車サイドに冷静に必要な場所での自転車インフラを見極めるべく、「DON‘T GET GREEDY」と戒めのように述べていた。
 一方で、増補版では「CYCLING ASCENDANT(自転車利用の飛翔)」と題して、冒頭以下のように語っています。

 拙著『ウォーカブル・シティ』で最もアップデートが必要な章はほかでもない、ステップ6「自転車を歓迎しよう」だ。アメリカで起きている自転車革命は、じれったい時もあるにせよ、ほぼ全域で私たちの抱いていた期待を超えるペースで進んでいる。この革命によりデータが蓄積され、そのデータから、私の以前の結論にいくつか誤りがあったことが分かった。

Walkable City 10th Anniversary Edition 増補章 “Cycling Ascendant”P335 訳:宮田浩介

ここにある、ジェフが誤りと認めた結論はまさに「DON‘T GET GREEDY」だったのです!英語版ではまさに「GET GREEDY(貪欲であれ)」となっています。その冒頭を紹介します。

 本書に撤回したい一節があるとすれば、それはステップ6の中の「貪欲にならないこと」だ。もちろん、自転車利用推進は特化型の立場であり、まちのデザインはジェネラリストの手でなされるべきものである。2012年版で書いたように、都市の街路には、それぞれに特化した立場からの要望を全て満たせる空間はない。しかし次の点において私は間違っていた。自転車利用推進の立場からの要望を全て実践し、その結果あらゆる人にとってよりよい場所にならなかった都市など、私は見たことがないのだ。私はようやくコペンハーゲンを訪れ中心街を数キロ自転車で走ったのだが、前を走る8歳と10歳の息子たちのことはちっとも心配にならなかった。人生を変えるようなあの経験をしたことがないなら、自転車利用者が何かを望み、あなたがそれを否定しようという時に、その意味を分かっている気になってはならない。自転車都市とは私たちみなが必要としている都市であり、だからこそコペンハーゲンを思い出すと、私の胸は交互にやってくる喜びと怒りではちきれそうになる。

Walkable City 10th Anniversary Edition 増補章 “Cycling Ascendant”PP342-343 訳:宮田浩介

ジェフが経験したコペンハーゲンという自転車都市の姿は、これまでのジェフの自転車利用、そしてそのインフラに対する概念をコペルニクス転換に匹敵するインパクトを与えたようです。

Plat Fukuoka cyclingは、ジェフが体験したコペンハーゲンでの自転車体験を福岡から形にして、多くの人に体験してもらい、都市の未来を変えていけるよう今後も活動を続けていきます。

まだまだ描き切れていない部分もありますが、一度ここで筆をおくことにします。


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