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はまらないパズルの美しさ

認知症のある無しに関わらず、人は心の整理をしようとする。これは先に進むための手段なのか、それとも最後の最後まで、何かを理解しようとする本能のようなものなのか。
とにかく人間という生物だけは、言葉を使って話すことで何かに辿り着こうとしている。

ところで、施設のナースというのは病院に負けず劣らず忙しい。タスクも多いのだが、いつでも医師が傍にいるわけではないし人員も少ない。
が、どうしても必要な時間というものがある。

例えば、失礼のない程度にバタバタと処置を終わらせて立ち去ろうとする際に「うちの母は・・・」と一人の高齢者が語り出すその瞬間だ。
他の方々がどう考えているか知らないが、この一瞬がとても大事。

出て行こうとした足を止めて椅子の脇にしゃがみ込み耳を傾ける。

「私の母は、最期は足を悪くして寝込んでしまった。母の遺骨がまだ家にあるので、きっと寂しがっている。一人にするわけにはいかない。
母が70代で私が50代の時に一匹の柴犬を飼い始めたのだけど、最初は豆柴だと思っていたが、こーんなに大きくなってしまったの。
母の膝の上に上半身しか乗らない状態で寝ていたの。
母は犬が好きだった。」

文字に起こすと取り留めのない話に見えるかも知れない。あるいはこれを現場で聴く人の多くが「はいはい。またあとで聴かせてね。」と足早に立ち去るだけかも知れない。

が、ここでもう少し聴いていると、生前の母親の歳を追い越しても、未だ彼女を苦しめている罪悪感に出会う。

物凄く短く言えば、親子で犬を愛でていた幸せな日々があったけれど、自分がその犬を飼わなければ・・・・、高齢の母親をその大きな犬が引っ張りまわさなければ、「お母さんは転倒せずに済んだのだ。」ということを仰っている。(あるいは、まだ生きていたかも知れないのに・・・と。)

彼女は、その想いを見つめることが辛くて後回しにして来た。そうするうちに忘れることに成功したのだが、高齢になって色々なことが落ち着くと心がモヤモヤして来て、身体にも心にも様々な症状が出るようになってしまった。

彼女は、いつもクロスワードパズルを解いている。何冊もの雑誌になっているパズルなのだが、1ページ1ページがかなり高度で難しい。「凄いですね。」といつも感心していた。
晩年になってから、いつのまにかこれを趣味とするようになったのだと言うのだが、それは無意識のうちに自分が忘れた何かを探す旅だったらしい。

そして、ふと鉛筆を置いて母のことを語り出したのだ。

クロスワードのページには4文字熟語や土地の名前や人の名前、様々な言葉が並ぶ。
が、所詮それらは単語であり、ヒントに過ぎなかった。

彼女が語り出してくれたお母さんとの思い出は、接続詞もちゃんとあって抑揚もあり、全てが色んなところに繋がっていた。
楽しいことや悲しいこと。
間違いなく幸せだった日々。

「納骨・・・しようかな。」

涙がページにポトリと落ちて、そのあと、顔をあげて「ありがとうねえ。聴いてくれて。」と笑ってくれた。
その豊かな皺皺な笑顔の可愛さ。
これを見れるのはクロスワードのページではない。
人生は、そして、美しいものや可愛いものは、みんな曲線で描かれている。

それが分かっていつつ、私もパズルが大好きだ。例えばテトリスのような、カチカチと形がピッタリ合うものを組み立てて謎を解くのが好き。

が、いかんせん、人生の美しさや人の可愛らしさというものは、曲線なので決してそこにはハマらない。

少し前までは、今も、そのハマらなさ加減にイライラすることが多いが、特に施設のナースになってからは、そのハマらなさ加減が段々好きになって来た。

大きくなり過ぎた豆柴は、とっても可愛い子だったそうだ。

数日後、彼女の謎の腰背部痛は軽くなり、今や4点柵で歩けるようになった。
そしてよく顔を皺くちゃにした笑顔で立ち話をされている。

過去から手を伸ばし、声を出し、お母さんや柴犬くんが手伝ってくれたのかも知れない。
おそらくその愛の手も、過去からの道も、きっと曲線を辿って届く愛に違いない。

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