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大事なこと と やらなくてもいいこと

父違いの妹については、彼女が赤ちゃんの頃から面識がある。
しかし、九州と東京では距離があり、はたまた私と母の心の距離はそれを遥かに超えるものだったので、この妹とはこれまでに3~4回ほどしか会ったことがない。

その子も大人になって、色んな話を聴いてみたところ、やはりそこには酷い家庭のあり様があった。彼女は遅い時期の子供だったので母と彼女の実父は目に入れても痛くないほどの愛情を受けて育ったことには間違いないだろう。

が、その妹ですら、子供の頃に自ら児童相談所に駆け込んだという。命の危機を感じて。

人はそうそう変われるものではない。母親になっても、歳を取り、老いても。ましてや学ぼうとしない人は特に変わりようがない。
愛情と執着や支配の区別もつかず虐待してしまう。自分の親を悪く思いたくない思春期の頃は、『単なる人種の違い』で自分を納得させていた。そうでないと耐えられなかったからだろう。

が、すっぱりあきらめた大人の日々の中では『そんなもんじゃない。異常だったったし、今も異常だ。』とハッキリ思える。

それが不思議と悲しくないのは、依存が一切に無くなってからだろう。

最初の頃はその態度に危機的なものを感じてか烈火のごとく怒り電話をかけ続けて来たが、やがて向こうも「本気なんだな」とあきらめてくれているようだ。(いや、今でもひそかに何かの保証人とかに勝手にさせられているかも知れないけど。恐怖だな。)

と、そんなことを思い出したのは、今年の夏の頃、今度は母違いの妹と言う人が訪ねて来て、私の実父の遺産を、私を含む3姉妹で分けなければならないと言って来たことが発端だった。

要りませんて。私が赤子の頃に離婚した父親で一度も面識もないんだから。姉妹二人で分けて下さいと辞退した次第。

『分かりました。・・・。じゃあ、具体的にどういう手続きを取るのか?ということはまた連絡します。』とのことだったが、それからしばらく音沙汰がなく、約二か月後に電話が来て『あのう、遺産、どうしますか?戸籍謄本を用意していただけますか?』と言うではないか。

・・・・・・・・。だから!どうしますか?じゃなくて要らないって言ったでしょうが。

『あ、そうですか。じゃあ、待っていてください。もう一人の姉にそう言っておきます。具体的にどうすれば良いのか?というのは近日連絡します。』

と言ってからまた数週間経とうとしている時には嫌な予感がして来た。『あかん。多分、これ自分で家裁か何かに行って手続きしない放棄できないんだろう。』とか。

そう思ってこちらから電話すると『そうなんです。相続人は、親の死亡をしってから三か月前までに相続の意志を決定して届けを出さなきゃダメなんです。』と衝撃の一言。

何、この人。(いや、自分の妹だけどね。)
『また連絡します』と言っていた時には、知ってたんだ。まあ、私も私で、最初から自分で調べれば良かったわけなので、この不思議な妹のことを責められもしない。

『ですから戸籍謄本を取って3人で手続きを・・・もう間に合わないわけですし。せっかくですし。』

つまりは、これだけ言っても遺産分けをしようと言っている。

私は『もう何か月も前に言ったように、要りません。』と強めに言っておいた。

『ですけど、もう・・・』

なんでまあ、身内というのはこんなに合わない人ばかりなのだろうとあきれ果てつつ、司法書士のアドバイスのまま手続きを始めた。
結論としては、放棄出来た。2回に渡って書類を書き、多分もう1~2回ほどこの作業をしなければならないが、まあ、無事に放棄出来る。

私は主に一人で生きて来た。

主にと言うのは、身内以外の多くの人々に助けられ、今日まで泣いたり笑ったり、幸せに生かして貰っているということだ。だから、正確には一人ではない。

ただ、確かなことと言えば、身内でも他人でも、困らせ合いながら集う関係を家族だとか仲間だとか言っている人たちの輪には入りたくない。

電話をすると言ったら電話をする、質問に答えが返って来たのなら、同じ質問を何度もしない。そういう基本的なことも出来ないで「仲良くしましょうよ」と言って来る人たちは、特に必要としていない。

人生は好きな人と語らい、好きな人たちのことを考えるだけでも時間が足りないくらいなのだから。

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