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信じるか信じないかだけですか?

わたしは、今で言うところの
宗教2世で、21歳のときに
家族の中でわたしだけ宗教をやめました。

わたしの世界の全てだと思っていた
正しさの世界から一人、飛び出したわけです。

今のようなネット社会ではありませんから、
そういった情報が、
特定の宗教団体に所属しないと得ることが
なかなか難しい時代でもあったかと思います。

宗教となると、まるっと信じるか、信じないかの
二択だったわけです。

それが悪かったとか、
過去を悔やんでいるとかではありません。

どんな学びでも、まずは、
まるっと「そういうものなのだ」と、
受け止めてみる必要があるからです。

そういう
トレーニングの場であったのだと
今は思っています。

けれど今は、
どこかの宗教に所属しなくても
情報は簡単に手に入りますし
精神性の学びの場も多種多様にあります。

宗教の役割も変わってくるでしょうし、
変わらざる得ないと感じています。

人間は、権威に弱いものですから、
著名な誰か、自分より上に置いている誰かの
言うことに対しては、盲目になりがちです。

全部を信じてしまう。

わたしのような普通の
50歳を超えたおばさんの言うことには、
「根拠は?」と問いたくなるでしょう。

誰が言ったかは、どうでもいいことです。

仏陀の下記の言葉があります。

誰が何と言おうとも、
たとえ、わたしが言った言葉であっても、
汝自身の理性と常識にそぐわないかぎり、
信じてはならない。

書籍「シータヒーリング」より

根拠は、あなたの中にあります。
あなたの中にしかないのです。

信頼とは自分に置くものです。

結局のところ人は、
信じたいものしか信じられません。

騙すも騙されるも
実のところはないのです。

みなが、
それぞれの「正しさ」の世界で
生きています。

どこかの誰かが見つけた、
唯一の正解らしきものに、
簡単にのっからないで、

外側で得た材料を
自分の中に持ち帰り
感じてみることです。

すんなりと受け入れられることが
あなたの正解とは限りません。

なぜなら、
頭でわかることではないからです。

新しい物事に対しては、
これまでの経験や、
左脳が邪魔をしますから。

人はすぐに白黒つけたがりますが
(わたしもそうです・笑)、
全てをわかろうとしなくてよいのです。

あなたやわたしにとって、
どうでもいいことなら、
サラッと流せるだけです。

そうでない時には、ひとまず
心の隅に置いておく。

その時が来るまで
そっと置いておく勇気が必要です。

自分が決めてきたタイミングが来れば
自ずと、わかる必要があることは
わかるものですから。

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わたしは、恐れではなく愛(祈り)を
あなたに贈りたいから。

当たり前と書いて奇跡と読みます。
当たり前の今日に、
あなたの存在と全ての出来事に
感謝を込めて。

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